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徽宗皇帝のブログ

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ネット世界は無数の小さなタコ壺状態である
「マスコミに載らない海外記事」の管理人氏(自称メタボおやじ氏)の管理人感想部分を全文掲載する。今の日本の直面する問題についての有益な示唆がたくさんある文章だ。
だが、残念なことに、これほど素晴らしい言葉も、狭いネット世界の、さらにそのほんの一部の「A層」にしか届かないのである。そして、こうした記事を読むほどの人は、もともと管理人氏に近い見識を持っているのであり、いわばネット世界は、多くの狭い容器の中で同じ液体(情報や思想)がぐるぐる回転しているという状態に近いわけだ。
私はネットの可能性を信じる者であるが、同時に、ネットが今のままでは現実世界の現実政治を変える力にはなれない、とも考えている。
何度も言うように、世間のB層を「こちら側」に取り込むことが現実政治を変えるのであり、そのための「新しいマスコミ」を作り育てるのが、現在の急務だと私は考えている。


(以下引用)



3/11。原発:「ごみ問題、未来への投棄だ」 脚本家・倉本聰さんインタビューの一部を引用させていただこう。

毎日新聞 2013年03月04日 東京朝刊


◆原発にはいろいろな視点がありますが、ごみ問題が最大のテーマでしょう。事故が起きなくても使用済み核燃料の問題があるし、40年で廃炉にする場合も大量にごみが出る。廃炉に使うロボットも高レベルの放射能に汚染されたごみになる。処分については何も決まっていない。これからアジアで原発の新設が相次ぎ、日本がビジネスチャンスとばかりに参入しようとしているが、許されるのかという気がします。核のごみが出る責任を誰が取るのか。私たちは資本主義の中で、ごみを出すことに慣れきり、反省がなくなった。

 −−私たちは電力を使っているのに、核のごみの処分はひとごとで、誰かがやってくれると思っている面があります。

 ◆未来というごみ箱に核のごみを捨てているわけです。それでは我々の子孫はたまらない。そもそも、そこまで人間という生き物は持たない仕組みになっているのでしょう。

 −−世の中はアベノミクスを歓迎し、多くの人々は景気回復を期待しています。経済成長を中心に考えると、原発は必要だという意見も出てきます。

 ◆安倍さんには、核のごみの問題をどうするのか、しっかり答えてほしい。経団連の会長さんにも。何の返答もなく、次のステップ、その次のステップというのはおかしい。便槽のあふれ出した家に住んでいるようなものなのに、どんどん原発を動かしていこうというのは理解できない。

 −−震災直後の夏は東京でも省エネ意識が進み、明かりが消えましたが、昨年の夏は違いました。

 ◆日本人は忘れっぽくなってしまった。私自身は、資本主義的な考え方とは決別しなければいけないと考えています。」

見るだけで不快な政治家、「憲法は独立国でない時に作られた。今は独立国家なのだから、戒厳令を作らなければならない。」と真っ赤な嘘を語っていた。実際は、もちろん、戒厳令とはいわず、「非常時に国民の権利を制限する緊急事態条項」と言っていた。連中にとって、不都合な言論・活動の統制を狙ったものに過ぎないだろう。

「今はまだ属国なのだから、戒厳令を作ってはならない。憲法をいじってはいけない。」のが正解。下さった宗主国の暴虐への楯に利用するべきだ。

本当に独立国家なら、国内に外国軍隊は駐留させな い。

百害あって一利ないTPPなどに参加しない。

「耕助のブログ 賀茂川耕助のブログです」にもある。No.914 日本はアメリカの植民地

政府はTPPメリット説明に足る統計が出せないといっている。メリットが皆無なのだから、いくら頭の良い官僚が、いくら時間をかけても出せるわけがない。


歴史は巡り、傀儡支配層連中は、もし記憶されるとすれば、もう一つのユートピア運動、残忍な阿呆集団として記憶されることになるのだろうか?それにしては、余りに、連中の支配期間が長すぎ、人数が多すぎる。

アフガニスタンや、イラクや、リビアや、シリアの無辜の国民のみならず゛自国民を悲惨な状況においやり続けている国、破綻した国内、海外政策ばかり推進する、ならずものテロ警察国家の命令を、どうしていつまでも聞き続けなければいけないのだろう。

この文章の種本、『グローバリズムという妄想』は翻訳が出ている。

松岡正剛の千夜千冊『グローバリズムという妄想』を拝読すると、まるでTPP詐欺予告。

一番ぴったりの項目をコピーさせていただこう。太字は小生が加工。


(4)グローバル資本主義の生みの親は、どう見てもアングロサクソンによるものだ。アングロサクソンは「合意」のための「契約」が大好きな民族だから、その合意と契約による経済的戦略を非アングロサクソン型の国々に認めさせるためには、どんな会議や折衝も辞さない。その象徴的な例が、たとえば1985年のプラザ合意だった。
 こういう合意と契約が、各国に押しつけがましい構造改革を迫るのは当然である。ニュージーランドやメキシコや日本が、いっときではあれそのシナリオに屈服しようとしたのは、不幸というしかない。

そのまま、固有名詞と年号を入れ換えれば、現状そのまま。


グローバル資本主義の生みの親は、どう見てもアメリカによるものだ。アメリカは「合意」のための「契約」が大好きな民族だから、その合意と契約による経済的戦略を非アングロサクソン型の国々に認めさせるためには、どんな会議や折衝も辞さない。その象徴的な例が、たとえば2013年のTPPだ。
 こういう合意と契約が、各国に押しつけがましい構造改革を迫るのは当然である。ニュージーランドやメキシコや日本が、そのシナリオに屈服しようとしているのは、不幸というしかない。

末尾の一部も引用せていただく。同じことを、いつも妄想ししている。


グレイは日本が幕末維新で開国したことをもったいながっていて、江戸社会こそは「ゼロ成長経済が繁栄と文化生活を完全に両立させた希有な例」だとみなしたのである。なるほど、ゼロ成長モデルがこんなところにあったかと思わせた。

是非、記事全文をお読み頂きたい。本一冊丸ごと読んだような気になれる。

「内田樹の研究室」の二つの記事も、この英語記事と繋がっている。
•ガラパゴス化の症状としてのグローバリズムについて
•グローバリストを信じるな


貧しいメタボおやじも、両氏お勧めの『グローバリズムという妄想』を読みたくなった。





2013年3月11日 (月) TPP・ACTA, アメリカ, 新自由主義 | 固定リンク



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