「逝きし世の面影」から抜粋転載。
今回の記事はメディアリテラシーの話が中心で、抜粋した部分は、その中間部分の、話の脇筋である。メディアリテラシーの話(特に、「国境なき記者団」の選ぶ報道の自由度の中身のお粗末さ、あきれるほどの西側えこひいきぶりを一刀両断した後半部)も痛快で面白いのだが、そちらは元記事でお読みいただきたい。
左翼・右翼の定義を「左翼は上下で世界を分け、右翼は内外で世界を分ける」としたのは、名前を失念したが、或る若い社会学者だったと記憶している。なかなか秀抜な定義だと思う。少なくとも、日本の政治的風土における左翼・右翼はこう定義していいかもしれない。
その結果は、左翼は(強大な権力と戦うのだから)常に敗北し、右翼は常に国内や国外に自らの敵を自らの脳内で作り出し、吼え回ることになるわけだ。(安倍政府は言うまでも無く中国を「仮想敵国」としている。)
もっとも、右翼と保守主義は親戚のようなところもあり、またただの自称右翼や商売右翼も沢山いるから、話はそれほど簡単ではない。とりあえず、自分は右翼だ、と思っている人は、或いは自分は古き良き日本を愛する保守主義者であるだけではないのか、と省みるのもいいのではないだろうか。
日本の左翼も右翼のように(右翼を真似て、と書いてあるが、これはむしろ日本社会の「ムラ」意識から来るものだろう。「旅の恥はかき捨て」に見られる、ウチでは外聞を気にし、ソトでは傍若無人に振舞う伝統である。これを宮台シンジは若者文化の特徴として「自分と仲間以外は皆風景」と言ったが、なあに、日本社会全体が伝統的にそうなのだ。だから、日本では本物の左翼は永続しない。必ずどこかで「転向」するのである。)世界を内外に分けがちだ、というのも正しい見方だろう。
私自身は、政治的には漸進的社会主義を良しとする改革主義者(やや左か?)であり、文化的には日本の伝統や自然を愛する保守主義者である。
とりあえず、政治的見解を表明するだけでその人の全人格が判断されるような窮屈な牢獄的社会であることから日本が解放されることが先決問題だろう。
(以下引用)
『右翼と左翼の違いとは』
社会科学的に判断すれば、『保守』とは現在に依拠し、現在を守る勢力のことで、土台からの根本的な造り替えは警戒するが、漸進的な改良を最善と考えている穏健思想で、少しずつ着実に前に向かって動いて行くところに特徴がある。今までの古き良き権威や伝統を『守り』『保つ』政治姿勢で現在の生活や体制に基本的に満足している。
現状に不満はあるが右翼や左翼より相対的に小さい。
『今』にまったく不満で社会の根本的な改革を主張しているのが『右翼』や『左翼』で、現状に『満足出来ない』だけなら同じだが、両者は時間軸が違っている。
左翼は未来に自分の理想を期待し、右翼は『失われた理想の過去に立脚して現在に異議を申し立てる』思想や勢力のこと。
思考形態なら右翼は情緒的・主観的に判断し、左翼は理論的・客観的に判断しようとする。
政治的なスタンスで右と左を分類すると、『左』とは社会を上と下(強者と弱者)に真っ二つに分けて、自分を下(弱者)側に味方して上(強者)に抵抗していると思い込む。
『右』の手法も矢張りまったく同じで、社会を真っ二つに分ける。
違うのはその分け方だけ。
右翼は、世の中を内と外に分け自分を『内』に分類し、それ以外の全てを『外』(内に敵対する危険な存在)と認定する。
結果的に左は『上』(権威や権力を持った強者)を攻撃するので必然的に連敗する。
右は自分が『外』だと思ったものは社会的な弱者でも見境無く攻撃するので良識ある大人に嫌われる。
典型的な弱者である落ちこぼれのニートやフリーター(ネットウョ)が、『弱者の味方』と自分で思っている『左』を攻撃するなどの不思議な現象は社会を『上下』か『内外』かの、『分け方の違い』での衝突と考えれば分かりやすい。
『驚くほど小さい左右の違い(脳内メルトダウン)』
右翼が頭が空っぽで目が節穴なのは当然であり何の不思議も無い。理論的だから左翼になって阿呆だから右翼になる。逆なら驚きである。
ところが驚くことに日本だけは世界の例外で、左翼も右翼も内容的に違いが無い。
右翼の特徴である『世の中を内と外に分ける』手法ですが、これは『絆による日本的共同体』(ムラ社会)の典型的な特徴でもあるので、我が日本国では左翼とて例外では無い。困ったことに内外に分けるのである。(密かに右翼の悪い部分を真似る)
超越的な価値観が無い日本では、左翼さえ簡単に右傾化するのですから面白い。
日本では左右の違いを簡単に克服して、挙国一致現象が起き易いので、右翼左翼の分類は外国ほど大事では無い。
みんなが思うほど、左右の立場にそれほど大きな意味が無い。
根本的な大きな違いがあるのは、科学的な懐疑心の有る無し(信じるか。疑うか)なのである。
世の中には三種類の人間がいて、手品や詐欺のネタを一目で分かる人は極少数しかいない。
進化人類学によれば600万年間も他人の言葉を疑うことなく信じるように人類は進化してきたので、疑う人は最初から極少数なのです。
二番目は自分で見抜けなくてもヒントを与えられたら気がつく注意深い人ですが、矢張り賢い人は絶対数が少ない。
三番目がその他大勢で、悲しいかな誰かにヒントを教えられても、何故か頑強に騙され続ける方を選ぶのです。手品や詐欺など、騙しのネタはそんなに種類があるのではなくて、人々は同じネタで何べんも騙される。
世の中で子供だましな真っ赤な嘘を信じる人が大勢いるから人類社会では絶えることなくお粗末な悲劇が繰り返される。
今回小泉純一郎が仕掛けた脱原発の都知事選の不思議な馬鹿騒ぎですが、間違いなく原発事故の放射能汚染の隠蔽工作ですね。
日本国の左翼知識人・文化人ですが小泉が自民党総裁であった事実を完璧に失念しているのですから情けない。
今回の記事はメディアリテラシーの話が中心で、抜粋した部分は、その中間部分の、話の脇筋である。メディアリテラシーの話(特に、「国境なき記者団」の選ぶ報道の自由度の中身のお粗末さ、あきれるほどの西側えこひいきぶりを一刀両断した後半部)も痛快で面白いのだが、そちらは元記事でお読みいただきたい。
左翼・右翼の定義を「左翼は上下で世界を分け、右翼は内外で世界を分ける」としたのは、名前を失念したが、或る若い社会学者だったと記憶している。なかなか秀抜な定義だと思う。少なくとも、日本の政治的風土における左翼・右翼はこう定義していいかもしれない。
その結果は、左翼は(強大な権力と戦うのだから)常に敗北し、右翼は常に国内や国外に自らの敵を自らの脳内で作り出し、吼え回ることになるわけだ。(安倍政府は言うまでも無く中国を「仮想敵国」としている。)
もっとも、右翼と保守主義は親戚のようなところもあり、またただの自称右翼や商売右翼も沢山いるから、話はそれほど簡単ではない。とりあえず、自分は右翼だ、と思っている人は、或いは自分は古き良き日本を愛する保守主義者であるだけではないのか、と省みるのもいいのではないだろうか。
日本の左翼も右翼のように(右翼を真似て、と書いてあるが、これはむしろ日本社会の「ムラ」意識から来るものだろう。「旅の恥はかき捨て」に見られる、ウチでは外聞を気にし、ソトでは傍若無人に振舞う伝統である。これを宮台シンジは若者文化の特徴として「自分と仲間以外は皆風景」と言ったが、なあに、日本社会全体が伝統的にそうなのだ。だから、日本では本物の左翼は永続しない。必ずどこかで「転向」するのである。)世界を内外に分けがちだ、というのも正しい見方だろう。
私自身は、政治的には漸進的社会主義を良しとする改革主義者(やや左か?)であり、文化的には日本の伝統や自然を愛する保守主義者である。
とりあえず、政治的見解を表明するだけでその人の全人格が判断されるような窮屈な牢獄的社会であることから日本が解放されることが先決問題だろう。
(以下引用)
『右翼と左翼の違いとは』
社会科学的に判断すれば、『保守』とは現在に依拠し、現在を守る勢力のことで、土台からの根本的な造り替えは警戒するが、漸進的な改良を最善と考えている穏健思想で、少しずつ着実に前に向かって動いて行くところに特徴がある。今までの古き良き権威や伝統を『守り』『保つ』政治姿勢で現在の生活や体制に基本的に満足している。
現状に不満はあるが右翼や左翼より相対的に小さい。
『今』にまったく不満で社会の根本的な改革を主張しているのが『右翼』や『左翼』で、現状に『満足出来ない』だけなら同じだが、両者は時間軸が違っている。
左翼は未来に自分の理想を期待し、右翼は『失われた理想の過去に立脚して現在に異議を申し立てる』思想や勢力のこと。
思考形態なら右翼は情緒的・主観的に判断し、左翼は理論的・客観的に判断しようとする。
政治的なスタンスで右と左を分類すると、『左』とは社会を上と下(強者と弱者)に真っ二つに分けて、自分を下(弱者)側に味方して上(強者)に抵抗していると思い込む。
『右』の手法も矢張りまったく同じで、社会を真っ二つに分ける。
違うのはその分け方だけ。
右翼は、世の中を内と外に分け自分を『内』に分類し、それ以外の全てを『外』(内に敵対する危険な存在)と認定する。
結果的に左は『上』(権威や権力を持った強者)を攻撃するので必然的に連敗する。
右は自分が『外』だと思ったものは社会的な弱者でも見境無く攻撃するので良識ある大人に嫌われる。
典型的な弱者である落ちこぼれのニートやフリーター(ネットウョ)が、『弱者の味方』と自分で思っている『左』を攻撃するなどの不思議な現象は社会を『上下』か『内外』かの、『分け方の違い』での衝突と考えれば分かりやすい。
『驚くほど小さい左右の違い(脳内メルトダウン)』
右翼が頭が空っぽで目が節穴なのは当然であり何の不思議も無い。理論的だから左翼になって阿呆だから右翼になる。逆なら驚きである。
ところが驚くことに日本だけは世界の例外で、左翼も右翼も内容的に違いが無い。
右翼の特徴である『世の中を内と外に分ける』手法ですが、これは『絆による日本的共同体』(ムラ社会)の典型的な特徴でもあるので、我が日本国では左翼とて例外では無い。困ったことに内外に分けるのである。(密かに右翼の悪い部分を真似る)
超越的な価値観が無い日本では、左翼さえ簡単に右傾化するのですから面白い。
日本では左右の違いを簡単に克服して、挙国一致現象が起き易いので、右翼左翼の分類は外国ほど大事では無い。
みんなが思うほど、左右の立場にそれほど大きな意味が無い。
根本的な大きな違いがあるのは、科学的な懐疑心の有る無し(信じるか。疑うか)なのである。
世の中には三種類の人間がいて、手品や詐欺のネタを一目で分かる人は極少数しかいない。
進化人類学によれば600万年間も他人の言葉を疑うことなく信じるように人類は進化してきたので、疑う人は最初から極少数なのです。
二番目は自分で見抜けなくてもヒントを与えられたら気がつく注意深い人ですが、矢張り賢い人は絶対数が少ない。
三番目がその他大勢で、悲しいかな誰かにヒントを教えられても、何故か頑強に騙され続ける方を選ぶのです。手品や詐欺など、騙しのネタはそんなに種類があるのではなくて、人々は同じネタで何べんも騙される。
世の中で子供だましな真っ赤な嘘を信じる人が大勢いるから人類社会では絶えることなくお粗末な悲劇が繰り返される。
今回小泉純一郎が仕掛けた脱原発の都知事選の不思議な馬鹿騒ぎですが、間違いなく原発事故の放射能汚染の隠蔽工作ですね。
日本国の左翼知識人・文化人ですが小泉が自民党総裁であった事実を完璧に失念しているのですから情けない。
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