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徽宗皇帝のブログ

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原爆投下の神話と真実
広島原爆記念日にふさわしい、タイムリーな記事が「マスコミに載らない海外記事」に載っていたので、管理人氏感想も含め、全文転載する。「原爆投下はあの戦争を終わらすのに必要だった」「原爆投下で日本が降伏したため、その後の米軍兵士の犠牲が食い止められた」という米国の決まり文句の嘘(後者は必ずしも嘘とは言えないが、原爆の膨大な民間人被害、非戦闘員虐殺という歴史上最大の犯罪を正当化できるものではない。)をできるだけ多くの人が知るべきだろう。こうした過去の歴史の偽装こそが、人類の精神的進歩を頑強に阻んできたのである。
なお、イスラエルがシリアに原爆攻撃をしたという情報がある。詳しくは飯山一郎氏のブログ、「つむじ風」ブログなどを見られたい。




(以下引用)*赤字部分は徽宗による強調。ここが全文の要である。青字部分も徽宗による強調だが、初めて知った事実である。米国人(その米兵の遺族)にとっても許し難い話だろう。




広島の神話 責任を負わない戦争犯罪とアメリカ軍の歴史の嘘




医学博士ゲーリー・G・コールズ

Global Research
2013年7月31日

広島

来る2013年8月6日、火曜日は広島爆撃68周年だ、戦争に疲弊したアメリカ人が、10日後に戦勝を祝って以来ずっと、その全ての真実は、厳しく検閲され、神話化されてきた。

創造性のない/退屈な歴史の先生方(大半、スポーツだけは得意な連中に思えた)に教えられたつまらない歴史の授業、戦時に、イギリスとアメリカ軍がしたこと全て高潔で献身的で、敵がするあらゆることは残忍だという愛国的で、しっかり検閲された教科書のおかげだった。26人の同級生全員が、アメリカ歴史教科書の戦後プロパガンダを鵜呑みにした。我々が対日戦争“名誉の”終結を学んだのはこうした教科書からだ。

もちろん、今の私は、ダグラス・マッカーサー将軍を先頭に、戦争を正当化する軍国主義者連中(そして雑多な愛国心過剰の歴史家達)が練り上げた、偽りの情報を与えられていたことを知っている。マッカーサーは、原爆爆発の真下の地面で実際一体何が起きたのかについて、見事に完全な検閲を課した。日本総督の地位についた後、彼の最初の行動の一つは、広島と長崎の原爆の恐ろしさを記録する全ての写真証拠没収し、および/または、破壊することだった。

かつて1995年、スミソニアン博物館は、原爆投下に関する率直で、歴史的に正確な展示を見せることで、約50年間の似非愛国神話を修正する準備をしていた。(スミソニアン博物館に対する連邦の財政援助を止めると脅したニュート・ギングリッチの共和党が支配する議会を含め)右翼の退役軍人団体や、他の愛国団体から発せられる猛烈な、組織化された、反動的な激しい怒りを受けて、スミソニアンは、文脈上重要だが、不快な部分を全て削除することを強いられた。かくして、またもや我々は、国家指導者に対する、一般的アメリカ人の信頼を揺るがせる可能性がある“愛国的でない”歴史的真実が暴露されるのを恐れたがゆえに、政治的動機に基づく団体が、本当の歴史を大きく書き換えるというもう一つの例を得ることになった。何千人もの無辜の人々が亡くなった、2001/9/11のワールド・トレード・センター・ビル三棟の制御解体や、アフガニスタンの無辜の国民に対して、戦端が開かれたことに対する、ある種ほぼ完全なマスコミ報道管制のようなものだ。(これを主張する文書は以下を検索されたい。 www.ae911truth.org)



1945年8月9日の長崎

もちろん、スミソニアンの歴史家達は頭に銃を突きつけられていたのだが、大混乱の中で、大企業が支配する大手マスコミも、それゆえ一般大衆も、重要な歴史的観点を学び損ねた。それは、こういうことだ。戦争は、夏の原子爆弾無しに、1945年春に終わっていた可能性があり、それゆえ沖縄での何千人ものアメリカ海兵隊員や兵士達の大量戦死者もなかった可能性がある。国際戦争犯罪と、人類に対する犯罪の定義に合致する、無防備の民間人に対する原子爆弾投下を正当化した、それに続いた宣伝攻勢の根拠である、アメリカの日本本土侵攻も必要性など無かったのだ。

アメリカ諜報機関は、トルーマン大統領政権もそれを全て把握していたのだが、トルーマンが、広島を焼却するという運命的な命令を下す何ヶ月も前に、日本が名誉ある降伏の方法を必死に探し求めていたことを知っていた。

1980年代に明らかにされた諜報データは、アメリカの大規上陸という緊急対応策(1945年11月1日より後の時期に予定されていた)が不要だったことを示している。日本は、1945年4月という早い時期から、駐モスクワ日本大使経由で和平交渉工作をしていた。アメリカは、日本の暗号を何年も前から解読しており、日本の全ての軍・外交メッセージは傍受されていたので、トルーマンは、こうした進展を承知していた。1945年7月13日、東郷外務大臣はこう述べていた。“無条件降伏(あらゆる主権の放棄、特に天皇退位)が唯一の和平への障害である。”

トルーマンと顧問連中は、こうした取り組みを知っており、日本では神と見なされていた天皇裕仁に、戦後、単純に、名目上の首長の地位を認めるだけで、戦争は外交によって終わらせられたはずなのだ。この妥当な譲歩は、見たところ、不合理にも、 ルーズベルトとチャーチルとの1943年のカサブランカ会談で最初に要求され、トルーマン、チャーチルとスターリン三人のポツダム会談でも繰り返された、無条件降伏の為の要求の中で、アメリカに拒否された。それでも、日本は交渉による名誉ある平和を求め続けていた。

ヘンリー・スティチムソン陸軍長官はこう述べている。“本当の疑問は、原爆を使用せずとも降伏が実現できたか否かではなく、別の外交的・軍事的な進路が、より早期の降伏をもたらしたろうか、否かだ。日本閣僚の大半は、1945年春に、最終的に合意したものと実質的に同じ条件を受け入れる用意があった。”言い換えれば、スティチムソンは、アメリカは不必要に戦争を長引かせたと感じていたのだ。

日本が降伏した後、マッカーサーは、屈辱的な“無条件降伏”の条件受け入れを拒否させるよう日本指導部に強要したまさにその条件、日本の精神的な象徴として、天皇の在位を認めたのだ。

そこで下記が、舞台裏で起きていたこと理解する為に、解答が必要な重要な二つの疑問だ。
1.一体なぜアメリカは、日本の降伏(天皇の維持)に関する、日本の唯一の要求を受け入れることを拒否したのか
そして
2.太平洋における勝利は既に確実だったのに、一体なぜ原子爆弾が使用されたのか?

第二次世界大戦後直ぐに、軍事アナリストのハンソン・ボールドウィンは書いている。


“ポツダム宣言(日本の無条件降伏を主張する)が出された1945年7月26日頃には、日本は、軍事的な意味で、戦略的に絶望的な立場にあった。”

トルーマン大統領の最高軍事顧問ウイリアム・リーヒー海軍大将は、その戦争回顧録、「I Was There」(私はそこにいた)でこう書いている。


“この残忍な兵器を広島と長崎で使用することは、対日戦争における物質的支援にならないというのが私の意見だった。効果的な海上封鎖と、通常兵器による爆撃の成功のおかげで、日本は既に敗北し、降伏する構えだった。私自身の感覚は、最初の使用者となることにより、暗黒時代の野蛮人と共通の倫理規範を採用してしまったとというものだ”

ドワイト・D・アイゼンハワー将軍も、爆撃の数週間前の個人的なトルーマン大統領訪問で、原子爆弾は使わぬよう勧めていた。アイゼンハワーはこう語っている。(1963年のニューズウイーク・インタビュー):


“連中をあの恐ろしいもので攻撃する必要はなかった... [交渉]しようともせずに、民間人を殺害し、おびえさせる為、原子爆弾を使用するのは二重の犯罪だ。”

原爆を使用するというトルーマン政権の決断に貢献した多数の要素があった。

1) アメリカは、三発の爆弾製造に、膨大な時間と人力と資金(1940年のドル価格で20億という途方もない額)を投入しており、勢いを止めようという気持ちも根性も皆無だった。

2) アメリカの軍・政治指導部は、多数の一般のアメリカ人同様、真珠湾のおかげで、復讐の意欲に燃えていた。アメリカ軍と、戦争に疲れた国民の頭の中に、慈悲は存在せず、対広島・長崎作戦は、出来事の、好ましくない部分が削除された、国家安全保障版の説明しか知らない人々の大半によって、何の疑問も出されること無しに容認された。

3) 広島原爆の核分裂物質はウランだった。長崎原爆はプルトニウム爆弾だった。科学的好奇心は、計画を完了まで押し進めた極めて大きな要素だった。マンハッタン計画の科学者達(そして、アメリカ陸軍の計画指揮者レズリー・グローヴス将軍)は“もし都市が丸ごと一発のウラン爆弾で破壊されたら一体何がおきるだろうか?”“プルトニウム爆弾ではどうだろう?”ということに好奇心を持っていた。

二発の原爆を使用するという判断は1945年8月よりずっと前になされていた。科学実験を推進するためには、日本の降伏を受け入れるという選択肢はありえなかった。もちろん、もし広島への原爆投下が即時降伏を強制することを狙ったものだったのであれば、三日という二発の爆弾の間隔は良心のかけらもないほど短い。日本の通信・運輸能力は壊滅状態にあり、誰も、アメリカ軍すら、まして日本最高司令部は、広島で起きたこと十分理解できていなかった。(マンハッタン計画は余りに極秘だった為、太平洋戦域全体の司令官ダグラス・マッカーサーでさえ、広島の5日前まで、蚊帳の外に置かれていた。)

4) ロシア人はV-E Day(ヨーロッパ戦勝記念日、5月8日)の90日後に日本との戦争に突入する意図を表明しており、それは広島が爆撃された二日後の8月8日にあたる。実際、ロシアは8月8日に日本に戦争を宣告し、長崎が焼かれて灰と化した時には、満州を東に向かって進撃していた。アメリカは日本がロシアに降伏したり、戦利品を分け合ったりするのがいやだったのだ。

ロシアは、間もなく唯一のもう一つの超大国、そして将来の敵になるところだったので、冷戦最初の核戦争の脅威“メッセージ”が送られたのだ。ロシアは実際、期待していたものよりはるかに僅かな戦利品しか得られず、二超大国は、まかないきれない核軍拡競争と、人類絶滅の可能性をもたらす、冷戦という膠着状態に即座に陥ってしまった 。そこで起きたのは、数世代の軍事的狂気を経た、両国の道徳的・財政的破綻だった。

広島爆撃では、推計80,000人の無辜の民間人と、20,000人の武器を持たない若い日本人徴集兵が即死した。更に何十万人もが、短くされた余命の間、極めてつらい火傷、放射能による病、白血病、貧血症や治療不能の感染症による緩慢な死に苦しめられた。生き残った人々の何世代もの子孫までもが、放射能で引き起こされる恐ろしい病気、癌や早死に苦しめられる状態が、まさにこの瞬間も続いている。

隠蔽されてきた、もう一つの恥ずべき現実は、その存在をアメリカ軍司令部が十分承知していた12人のアメリカ人パイロット達が、運命の日に、広島刑務所内で、瞬時に焼き殺された事実だ。

そこで陸軍省公認の太平洋戦争終結説明には、アメリカ人が、アメリカ大企業、軍、政治、マスコミのオピニオンリーダーによって絶えず吹き込まれている長たらしい神話の中に、しっかり位置を占めた新たな一連の神話が含まれており、その過程で、戦争の身の毛もよだつ恐ろしさは、讃美へと置き換えられた。北朝鮮、イラン、ベトナム、ラオス、カンボジア、レバノン、グラナダ、パナマ、フィリピン、チリ、エルサルバドル、ニカラグア、グアテマラ、ホンジュラス、ハイチ、コロンビア、クウェート、イラク、アフガニスタン、等々の国々でのアメリカ軍侵略と占領で、実際に何が起きたのかということも、検閲で削除されてしまった他の実相だ。このリストにはcoverそれ以外の国々での、無数の秘密のペンタゴン/CIA隠密作戦や、暗殺計画、150もの国々にアメリカ軍基地(基地を承認すれば、たっぷり賄賂が支払われ、さもなくば、経済制裁で脅された)。

しかし、どういうわけか、私達の多くは、依然“正しかろうが、間違っていようが、我が祖国”という、あやふやな愛国心にしがみついて、戦争で金儲けをする超億万長者の大企業エリート連中(そして連中お雇いの政治家、軍首脳やマスコミ解説者連中)は、平和、正義、平等、自由と、略奪的資本主義の為“世界を安全にする”為にのみ尽力しているのだと言う、巧妙に練り上げられた神話を必死に信じようとしている。

アメリカ軍が、たまの専制君主と対決し、死者や(肉体的、精神的に)瀕死の重傷を負ったアメリカ兵士達という、必要な犠牲者達を生みだしたのは事実だが、戦争に赴くことの合理化は、往々にして、我々ヤンキー達に自分の国に帰れと説得しようとしている“神なき共産主義者”や、反米“武装反抗勢力”や“自由の戦士”達のそれとそっくりだ。

1945年8月6日と9日は、婉曲に“巻き添え被害”や“誤爆”と表現される、不可避の大量殺りくを常に伴う、あらゆる“総力戦”という政治課題の中で行われる洗脳の二つの好例にすぎない。

我々がかつて知っていて、愛していた、人道的な平和をもたらすアメリカを救い出し、復活させるには、もはや遅すぎるのかも知れない。大企業によるアメリカ・リベラル民主主義乗っ取りに、効果的に対決するには、もはや遅すぎるのかも知れない。利己的に世界を破滅への道へと引きずりこんでいる傲慢で強欲な支配層エリートを、首尾よく打倒するには、もはや遅すぎるのかも知れない。私が「愛想の良いアメリカ・ファシズム」と呼ぶ、継続中のクーデターは、既に目標を達成してしまったのかも知れない。

だが、依然、多少の望みはあるかも知れない。戦争を挑発する連中が(ペンタゴン、軍需産業や、議会内の連中のイヌどもによる極めて意欲的な支援を得て)世界中で引き起こしている戦争に対して、沈黙し続けるのでなく、真実をこれ以上無視することが不可能な今、良識のある人々は、我々が感じるであろう不快さ(認知的不協和)にもかかわらず、歴史の真実全体を学び始める必要があるのだ。

我々の名において仕立てあげられてきた、アメリカの数えきれない戦争犯罪を素直に認める必要がある。そして、我々は街路に出て、犯罪的ならずもの国家へとアメリカを転換している連中に、公に抗議し、ナチス・ドイツとファシスト日本に起きたのと同様に、究極的に、アメリカ国境の外で、苦しんでいる何十億人もの犠牲者達によって、崩壊の標的とされることになる、連中への協力を勇敢に拒否する必要がある。

儲かることや、過度に特権を持った、過剰消費で、持続不可能なアメリカ風生活様式にとって有利なことだけをするのではなく、人類全体にとっての変化の為に正しい事をすることが、本当の名誉、本当の愛国心であり、本当の平和に向けた重要な出発点だろう。

記事原文のurl:www.globalresearch.ca/the-hiroshima-myth-unaccountable-war-crimes-and-the-lies-of-us-military-history/5344436


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原爆の代りに、ヘリコプターがふってきた。驚くことはない。間もなく、雨が降ろうが、槍が降ろうが、日本軍兵士は宗主国の侵略戦争の尖兵として活躍できるようになる。アメリカで、スパイ活動や、軍事活動の多くがが、民営化されているのと同様、ワタミや楽天が、傭兵派遣会社を設立し、大いに収益を上げる様になるだろう。いや、その前に、パソナが傭兵派遣部門を設立するだろう?テレビでは、朝から晩まで、傭兵会社の傭兵になって、大学に行こうというコマーシャルが流される。素晴らしい新世界。

敗戦後、日本が独立したと歴史の授業でも、大本営広報部でも吹き込まれる。振り返ってみると、現代日本史を小学校や、中学校で習った記憶はない。


創造性のない/退屈な歴史の先生方に教えられたつまらない歴史の授業は、戦後、アメリカがすること全てが高潔で献身的だ、という愛国的で、しっかり検閲された教科書のおかげだった。50人の同級生全員が、日本の歴史教科書の戦後プロパガンダを鵜呑みにした。我々が日本は“独立している”ことを学んだのはこうした教科書からだ。

数日前、新聞にピーター・カズニック教授の小さな記事が載ったのに驚いた。氏は、オリバー・ストーンの連続シリーズの脚本を一緒に書いた人ゆえ、当然な説。

この話題、ピーター・カズニック教授の『広島・長崎への原爆投下再考 日米の視点』税込み2940円を拝読中。

全体的に納得できる主張をされている筆者には大変申し訳ないが、「我々がかつて知っていて、愛していた人道的な平和をもたらすアメリカを救い出し、復活させる」という部分の論理、全く理解できない。

藤永茂氏の『アメリカン・ドリームという悪夢 建国神話の偽善と二つの原罪』三交社、2010年3月の読者として、またハワード・ジンの『民衆のアメリカ史 上・下』の読者として、到底納得しがたい。

「かつて知っていて、愛していた人道的な平和をもたらすアメリカ」という神話にとらわれていては、人道的な平和はもたらせないだろう。


なによりもまず、彼等の名において仕立てあげられてきた、人道的な平和をもたらすアメリカという神話の嘘を素直に認める必要があると思う。







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