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徽宗皇帝のブログ

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天皇制廃止論について(承前)
以下が、天皇制は維持すべきか廃止すべきかということについての私の現在の考えである。実は、前回の前書きに続けて書いてあったのだが、容量関係で分離してここに載せる。

(以下、私の「天皇制存続論」)

何度も言うように、現在の「偽装民主主義」体制下においては、安倍総理が「国家元首」であり、彼に並ぶ存在はいないことになる。天皇という「権威」の存在が辛うじて、独裁者安倍の「権力」に対抗していると私は思っているわけだ。安倍に権威まで与えて「森羅万象(笑)の支配」を許してもいいという人だけ、天皇制廃止を叫ぶべきだろう。(ここでは安倍総理を問題にしているが、安倍が退陣しても第二第三の安倍は必ず出てくるに決まっている。小泉や橋下などがその候補だろう。下手をしたら杉田水脈とかがなる可能性すらある。)

つまり、民主主義というのは、選挙をコントロールしさえすれば簡単に独裁者を産む可能性を常に持ったシステムなのである。いや、不正選挙をしなくても独裁者は生まれる。
ヒトラーを怪物だと言うのなら、その怪物は民主主義の制度の下で合法的に権力を手に入れたのだということを忘れるべきではない。人民が誤って怪物に票を入れたとしたら、人民とは本来その程度の知性なのであり、ドイツ人が日本人やアメリカ人よりアホだったわけがない。

そして、現在の「天皇制」は天皇の政治権力をまったく認めていないのだから、それを廃止する必要性がどこにあるというのか。
危険なのは、安倍一派による改憲が行われて、天皇を国家元首にした場合だけだろう。そうなる危険性が少しでもあれば天皇制を廃止すべきだ、という声が聞こえてきそうだが、そんなのは国政選挙監視をきちんとすれば起こるはずがないことだ。

では、天皇制を肯定する積極的な理由は何か、と言えば、私は「日本の道徳的模範」としてだと考えている。道徳的でない天皇がこの先に出てきたら、その時にこそ天皇制は廃止すればいいのである。
資本主義とは「欲望のシステム」であり、必然的に膨大な悪を生み出す宿命を持っている。その社会がかろうじて道徳を維持できるとすれば、それは社会に道徳的モデルがいる場合だけだろう。それが日本の場合は天皇であるのが、天皇制存続の条件だと思う。そして天皇が道徳的模範であれば、それは世界への模範になり、世界もまたその好影響を受けるだろう。なお、私は何を貰おうが、天皇にだけはなりたくないと思っている。総理大臣にならなってやってもいいwww






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