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徽宗皇帝のブログ

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天皇論とブロガーの自我肥大
「谷間の百合」から記事全文(写真は省略)を転載。
私自身が書きたいと思っていたことを百合さんが見事に書いておられる。
最近の「wantonのブログ」が、やたらに天皇批判の論陣を張っていること、しかもその内容や根拠が私から見ればどうにもいい加減で不合理な感じがして気になっていたのだが、考察したり検証したりするのも面倒で心の中がモヤモヤしていたのである。百合さんの文章で、それがスッキリした。
鬼塚英昭や高橋五郎の文章あるいはインタビューをwanton氏や孔徳秋水氏はよく引用して、「天皇こそすべての悪の根源だ」みたいな印象を拡散するのに協力しておられるが、私はその考えには同意しかねるのである。昭和天皇に太平洋戦争の最大の責任がある、という意見には同意するが、しかし、百合さんが言うように、それは

想像するに、軍部はもちろん、マスコミも国民も戦争を希望したのではありませんか。

という当時の風潮の中での意思決定だったと私も思っている。もちろん、「一億総懺悔論」のような論で戦争犯罪者を免責していいというのではまったく無い。
戦争終結が「国体護持」への未練のために遅れ、そのために「沖縄・広島・長崎」などの膨大な被害者を出したのも事実であるだろうが、しかし、wanton氏が言うように、広島や長崎への原爆投下が「天皇の意志」あるいは「天皇の同意」の下で行われたなどというのはまったくのナンセンスとしか思えない。
まして、天皇が現在でも最高の国家権力者であるとか、「天皇の隠し財産(天皇の金塊)」は世界最大のものだ、とかいう言葉に至っては、妄想も極(きわ)まれり、としか思えないのである。
なお、wanton氏はSEALDsの運動を疑問視する発言も繰り返しているが、その代表の奥田氏には政治的に未熟な面が多々あるにしても、シールズの活動によって日本の民主主義に新たな局面が生まれ、真の民主主義の誕生に近づいている、と考えるのが理性的判断だろう。その動きを邪魔することで何が得られるのか。シールズの活動が失敗した時に「俺は最初からこの活動は駄目だと言っていただろう」と自分の先見の明を誇るだけのことだ。そして、自分がその「失敗」に加担したことへの自己批判は無いだろう。「山本太郎が国会発言をする前に、自分に話を聞きに来たら、いいアドバイスをしてやれたのに」、という発言もあったが、たかがブロガーごときがいっぱしの政治評論家気取りである。wanton氏は最近、のぼせ上がっているのではないか。


(以下引用)


天皇は最後まで抵抗されていました。
むかし、東京大空襲の無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイに天皇が勲章を授与されたという記事を読んで、あり得ないことだと衝撃を受けたことがありました。

その後、天皇は叙勲に最後まで抵抗したという記事をどこかで読んでようやく息が付けた思いがしました。

きのう、「wantonのブログ」で、(孔徳秋水さんのツイッターにも)むかしと同じ記事がありました。

わたしは早速ウィキを見たのですが、事実は大分違ったものでした。

やはり、天皇は最後まで抵抗されていました。

「勲一等の授与は、天皇が直接手渡す「親授」が通例であるが、昭和天皇は親授しなかった」と。

ルメイへの勲一等は入間基地で航空幕僚長より授与されたということですが、その理由は、航空自衛隊育成に協力があったからというものでした。

授与を働きかけた人物については諸説があり特定できないということですが、反対や批判の声に対して、ときの総理大臣佐藤栄作は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのは当然だ」として叙勲に踏み切ったとあります。

政治家や官僚は叙勲に積極的だったようで、そのころから政府がアメリカのご機嫌をとるのに汲々としていたことがよく分かります。


 


今わたしが焦慮するのは、集団的自衛権が国会を通れば、自動的に天皇が承認したことになることです。

こんなかなしいことがあるでしょうか。

そして、また後年、天皇が認めたから戦争になったということにされるのではという不安が頭を過るのです。

天皇に拒否権はありません。

戦前のことについても、天皇は自ら、2.26と敗戦時の人間宣言の2回、立憲君主の立場を逸脱したと述べられましたが、戦後はなおのこと、厳しく憲法を順守することに徹してきておられます。

内閣が決めたことに、「ノー」は言えないのです。


わたしは、天皇は人間だと思っています。

しかし、天皇は日本と国民の「象徴」なのです。

わたしは人間である天皇は「誤られた」ことも多々あったと思っています。

(わたしは無謬説はとりません。)


 


きのうの晩、息子と話をしていて、息子が天皇が戦争を止められなかったのはおかしいと言ったので、分かってないなと思いました。

想像するに、軍部はもちろん、マスコミも国民も戦争を希望したのではありませんか。

その熱狂にどうして天皇一人が抵抗することができたでしょうか。

ただ、明治天皇の「四方の海、みなはらからと思う世に、など波風の立ち騒ぐらん」と言う御製を引用されるのが精一杯の抵抗だったのではないかと思いました。

敗戦の詔勅をだすことも容易ではなかったことからも類推できることです。


わたしは、天皇の戦争責任を糺すことに異論はありません。

ぜひ、検証、総括してほしいと思います。

デマを封じるためにも、、、

そして、その時は天皇のみならず、国民の責任も同時に総括すべきだと思います。


 


ブログにはまた、天皇がイギリスから陸軍大将の称号を授与されたことが書かれていましたが、これは慣例的、儀礼的なものだったのではないでしょうか。

いまでも、業績のある人に、外国から名誉博士号などが授与されるのと同じ感覚だと思います。

友好国の間での慣例だと思います。

また、東京大空襲のときに、皇居が爆撃されなかったことにも言及されていましたが、古今東西、敵の大将の居城は戦果として残し、大将は生け捕りにする(日本ではほとんど自刃したようですが)というのが戦争の常道ではありませんか。


ブログの管理人さんが、エビデンス(証拠)を出せという人間を信用しないと書いておられたことに共感したばかりでした。

だから、わたしは、エビデンスは?とは言いません。

しかし、あなたはそれを誰から聞かれましたか、どこで読まれましたかということは訊いてみたい気がします。

それを手繰っていけば噂の出所に行き付くはずですが、無理でしょうね。

みんな誤魔化すでしょうから。

それにしても、反論できない人に対して言いたい放題は駄目でしょう。


 





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