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徽宗皇帝のブログ

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安全保障化(セキュリタイゼーション)が国を戦争に導く
私は伊勢崎賢治という人物に胡散臭いものを感じていて、その発言をきちんと読んだことはないが、図書館の子供向けの本の中に彼の「本当の戦争の話をしよう」というタイトルの本があり、借りてみた。同じタイトルの本は他にもいくつかあり、そのパクリタイトルだが、それはまあ、いい。国連の一部門で平和維持活動をしてきた経歴があるはずだから、実際に「本当の戦争」の内実を知っているのだろう。だが、内容が、福島県の高偏差値高校の生徒への講義の形で、読みにくい。だから、流し読みしかしていないが、その中に少し興味深い言葉があった。
それは「セキュリタイゼーション」という言葉(概念)で、まだ適切な日本語訳語は無いようだ。ただ、わざわざ政治用語とするのもおかしいほどありふれたもの(政治要素・政治軍事手法・人心操作法)で、伊勢崎はこれを「戦争はすべてセキュリタイゼーションで起きる」と章題にしているのが、「へえ、そうなのかね」と興味を惹くので、その考察をしてみる。

おそらく、この言葉は「security」という言葉が元になっていて、アメリカは日米安保条約を「軍事同盟(military alliance)ではなく「security alliance」と呼んでいるらしい。(日本は憲法上、どの国とも軍事同盟は結べないのが本来である。)「セキュリティ」の意味は言うまでもないだろう。家の鍵も監視カメラも警備員もすべて「セキュリティ(安全保障)」である。中学生向けの辞書だと「①安全、無事、安心 ②保護、防衛、保安、警備」などの訳がある。問題は、この②の赤字の場合だ。これが「戦争はすべてセキュリタイゼーションから起こる」につながるのは想像できるだろう。
つまり、「防衛論議」は、「我が国を守るためには、その脅威となる敵国を滅ぼさねばならない」という思想に容易に結びつき、しかも「一番安全確実な戦略は先制攻撃である」となれば、「戦争はすべてセキュリタイゼーションから起こる」は、まさに真実だ、となる。

一応、ネットで「セキュリタイゼーション」を調べて、この考察を終わることにする。
日本が米国との「安全保障条約」によって、中国との戦争に追いやられつつあるのは今さら言うまでもないだろう。



(以下引用)


安全保障化(あんぜんほしょうか、:Securitization)とは、オーレ・ヴェーヴァが提唱した概念であり[1]コペンハーゲン学派の主要概念の一つである。日本語では、安全保障問題化セキュリタイゼーションと表記されることがある。

内容

[編集]

安全保障化理論によれば、安全保障のアジェンダは、言語行為によって行為遂行的に決定されるものである。すなわち、ディスコースを通じて、ある問題が安全保障の問題であるという社会的事実が構築されることで決まるとされる。その構築プロセスは、安全保障化アクターによる脅威の存在の訴え及びその脅威に対処するための非常手段の要請と、オーディエンスによるその主張の受容からなる。安全保障化が成立するか否かは、オーディエンスが受容するか否か次第である。 このプロセスの分かりやすい例として、たとえば「敵が攻めてくる。家族が危険に晒される。守りを固めなければならない」という言説と、それを受け入れる一般市民という構図が挙げられる。


安全保障化の行為の基本要素は以下のとおりである。

  • 安全保障化を行う行為主体(Securitizing actor)
  • 脅威にさらされ、保護されるべき対象(Referent object)
  • 争点が安全保障上の脅威だと説明され、受け入れる聴衆(Audience)

安全保障化された問題を解決するための非常手段に関して、一般の民主的討論や科学的研究・批判が認められない傾向があることを、ヴェーヴァなどが指摘している。 [2]


上記とは逆に、それまで安全保障の問題であるとされていたものが、そうでなくなるという動きは脱安全保障化(desecuritization)と呼ばれる。




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