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小沢秘書裁判の仰天判決

「つむじ風」ブログから転載。
小沢秘書裁判については、下記のつむじ風氏の言葉以上のことは言えないから、彼の言葉を引用することで代弁してもらう。
日本という国は、法治国家ではないし、民主主義国家でもない。旧ソ連並の、官僚支配の暗黒国家である。ただの「期ズレ」記載によって三人の人間、しかも国会議員が懲役刑になるのである。「(小沢は)政治的影響力を持っていた」ことが有罪の論拠となるなら、あらゆる高級官僚と政治家は、その存在だけで死刑にしてよいはずだ。
こういう国家に我々は生きているのである。
日本が「収容所列島」になるのも近いかもしれない。

補足しておけば、下記引用中の「転載」はつむじ風氏による植草ブログからの転載である。その中の

「しかし、政治的な背景を持つ事案について、政治権力が裁判を支配しようと考える場合には、権力は担当判事に権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのだ。極めて簡単なことである。
 
 何よりも重要なことは、この意味で、裁判所の判断にはほとんど意味がないということだ。この最重要の事実をしっかりと認識することがもっとも重要なのだ。
 
 政治的背景を持つ事案で裁判所が示す判断は、公正な判断ではない。政治的な判断なのだ。この基本を踏まえることが何よりも重要なのだ。」

という言葉は、国民全体が常識として覚えるべき言葉である。



(以下引用)



ふざけた判決!!
状況証拠という、陥れ判決
最後の牙城、裁判所の人格攻撃総仕上げ判決だ!!
もう、この国には正義という寄る辺を喪った!!

 大方予想された結果である。裁判所こそは真理の寄る辺、正義の寄る辺という幻想は、とうに喪っている。

 何せ、状況証拠という妄想で、人間を簡単に在任に仕立て上げられるのだ。『疑わしきは罰せず』は、既に喪われて久しい。これで幾人もの人間が冤罪で、人格を貶められた。

 すでに裁判所は、真理を審理する場ではない。人格攻撃の最後の牙城と化した。警察・検察によって絵を描かれた人格攻撃をそれに沿って追認する場となった。裁判官は単なるロボットだ。魂の抜けた抜け殻だ。

 出世と栄達の虚栄を固める一里塚に過ぎない。裁判官という聖なる衣はとうに脱ぎ捨てられた。単なる官僚裁判官が良心も正義もかなぐり捨てて、シナリオに沿って役割を果たす場となった。

 シナリオは誰が書いたか? 官僚裁判官の思弁を利用しようとする利権支配組織である。上は官僚組織、下は似非右翼まで繋がっている。勿論、警察・検察もその中位に属するものだ。その最終仕上げは裁判官と言うことになる。

 しかし、よく考えて観よ。

 その刃は、それらの内部にも向いている。内部で告発すれば、たちどころにその告発者に向かう。仙波元巡査長、大河原元警部補・・・・はその刃に傷ついた。古賀参事官は、その為に早期退職を余儀なくされた。勿論、植草先生はその最初の犠牲者だ。

 利権支配組織は、それ自身戦々恐々としている恐怖と不安の集合体だ。その恐怖と不安をエネルギーに統合しているのだ。彼の東京地裁の判決裁判官は、そうしなければ、立ち所に出世も閉ざされたことであろう。それはおろか、地方転出左遷は間違いなかろう。それを恐れて、不当判決に終始したのである。

 真理と正義のないところに平安はない。

 平安を捨て、只不安と恐怖に苛まれつつ、栄達に走る。それが利権支配組織である。であるから、この不当判決は容易に予想された。

 今や、ほとんど戦争状態にある。あるいは革命前夜にある。低強度戦争、低強度革命の最中にある。

 国民主権派と利権支配組織派との格闘の最中にある。今は国民主権派は少ないが、次第にその数を増してきている。だからこそ、利権支配組織派は強硬且つ支離滅裂の暴挙を敢えて強行するのだ。

 政治家といえども、その手先に終始しているに過ぎない。今は小沢元秘書かも、あるいは小沢元代表かも知れないが、明日は我が身となる。政治家は利権支配組織派である内はこうした攻撃には免れるかも知れないが、国民主権派に立てば、立ち所にその刃は向かう。

 利権支配組織は、別名悪徳ペンタゴンとも呼ばれるし、大蛇とも呼ばれる。八岐大蛇である。その派に属して居れば安泰だと考える政治家は多い。しかし、それも時間の問題だ。

 国民主権派が、歩みは遅いかも知れないが確実に勢力を強めている。その拡大を図りながら、革命は成就されるだろう。それまで忍従、臥薪嘗胆の時節にあると言うことを自覚したい。

 裁判所という最後の牙城をも巻き込んで、無理矢理判決を生みだしたことは、平成の最大の(迷)判決として語り継がれていくことになる。その汚名を被るのは他でもなく、とうの判決裁判官達である。 

【転載開始】2011年9月27日 (火) 

私たちは恐ろしい国に住んでいることを認識するべきである。

 警察・検察・裁判所の公正、中立性は市民が尊厳を保ち、安心して生きて行けるための最低条件である。
 
「法の下の平等」が厳格に守られているのか、法令が適正に運用されているのか、裁判官が良心に従い憲法と法律にのみ拘束されて職権を行っているのか。
 
 答えは否である。
 
 裁判の結果を左右するのは法廷における立証の巧拙ではない。事実と証拠の積み上げでもない。
 
 最大の要因は裁判官の属性である。
 
 
 裁判官の人事処遇を支配しているのは最高裁事務総局である。最高裁事務総局は少数の組織でありながら、裁判所組織全体を支配下に置く組織である。
 最高裁事務総局は法務省と一体化して、基本的に政治権力の側を向いて職務を執行している機関であると考えられている。日本の政治権力の最大の特徴は、その中心に宗主国米国が君臨していることである。
 
 検察組織が米国の監視下に置かれていることは、GHQ時代からの歴史的経緯を背負ったものである。法務省は行政組織であり、内閣総理大臣を頂点とする行政権力の一部であり、政治の顔色を見て行動する組織である。
 
 これと一体化して行動する裁判所も、当然のことながら、時の政治権力、そして、その裏側に君臨する米国の顔色を窺いながら行動する組織なのである。
 裁判をコントロールすることは極めて容易である。コントロールしたい事案を担当する裁判官に、権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのである。
 
 裁判官のなかには、最高裁事務総局の指導に従わない、自分の良心に従って行動する気骨のある人物も存在する。人事評価での不利を承知の上で、良心に従い憲法と法律にのみ拘束されて職権を行う、本来の正しい姿勢を持つ裁判官が、適正な判決を示すのである。
 
 しかし、政治的な背景を持つ事案について、政治権力が裁判を支配しようと考える場合には、権力は担当判事に権力の意向に従順な人物をあてがえばよいのだ。極めて簡単なことである。
 
 何よりも重要なことは、この意味で、裁判所の判断にはほとんど意味がないということだ。この最重要の事実をしっかりと認識することがもっとも重要なのだ。
 
 政治的背景を持つ事案で裁判所が示す判断は、公正な判断ではない。政治的な判断なのだ。この基本を踏まえることが何よりも重要なのだ。
 石川知裕衆議院議員、大久保隆規氏、池田光智氏に有罪判決が示された。不当判決以外の何者でもない。三名は、秘密警察国家の冤罪被害者である。小沢一郎氏も同じであるし、私も同様に秘密警察組織の冤罪被害者である。
 
 事案の詳細については、これまでに詳しく記述してきたから、改めて記述はしないが、極めて微細な、事務上の解釈の相違に基づく紛争である。西松建設関連の政治団体からの献金の取り扱いについては、小沢氏の資金管理団体とまったく同じ事務処理を行った政治家の資金管理団体が多数存在する。
 
 これらのなかで、小沢氏の資金管理団体だけが摘発された。
 
 水谷建設から渡されたとされる裏金疑惑も、検察は立証対象とできず、その刑事責任も追及しない、根拠に乏しいものである。それにもかかわらず、法廷では、小沢氏のイメージを悪化させるために証人尋問が行われたが、水谷建設社長車の運転記録とも矛盾する証言であった。その信憑性は極めて低いものである。
 
 疑わしきを罰してはならないのが刑事裁判の基本の基本である。ところが、現実には、このような微小な事務上の解釈の相違で、現職衆議院議員を含めて3名もの市民の尊厳が奪われた。許されざる暴挙と言わざるを得ない。
 この不当極まりない判決が示すものは、日本の既得権益、日本政治の支配者がいかに小沢一郎氏を恐れているのかという事実である。
 
 大久保隆規氏の無罪は動かせぬものであったはずだが、裁判所は無理を押し通して有罪判決を示した。
 
 小沢一郎氏の元秘書3名に対する有罪判決は、当然のことながら、これから始まる小沢一郎氏の裁判にも影響を与える。
 
 この状況のなかで、日本の既得権益、日本政治の支配者たちは本性を現し、獰猛な牙をむき出しにした。この刃は小沢氏だけに向けられたものではない。主権者である国民に向けられたものであることを私たちははっきりと認識しなければならない。【転載終了】

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