私はしばしば増田俊男を引用するが、彼は株の指南屋であり、拝金主義の塊のような人間だと私は思っていた。私が彼を引用するのは、彼の推理・予測力が高い水準にあると思っているからだ。人間のタイプとして好んでいるわけではない。しかし、その彼が、下記記事のようなことを言っているのは驚きである。
私は、過度の欲望が人間社会を歪めるものだと思っているし、金とは「欲望保存装置」だと思っている。必要な時に取り出して欲望対象と交換できるのが金であり、つまりは性欲や物欲や食欲の象徴でしかない。まあ欲望が無い人間は木石のようなもので、何のために生きているのか分からない、という向きもあるだろうが、私は欲望そのものを否定しているのではなく、過度の欲望が諸悪の根源だと言っているのである。そして金の蓄積や滞留はその過度の欲望からのものであり、他の部分での金の不足を招き、その生存可能性を奪うから悪だと言っているのである。
生活に必要な金が月給20万円なら、それだけで十分であり、100万円の給与には何の意味もない。ただ余剰を蓄積し、「未来に備える」だけである。その余剰の蓄積が他の部分での不足を生む。一人の人間が80万円を蓄積すれば、16人の人間は月給20万円を月給15万円にされることになる。こうして格差社会となっていく。で、蓄積された80万円は使われないのだから、この世に存在しないと同様の、まったく無意味な80万円なのである。金を貯めこむだけの大金持ちとか大資本家という連中は社会の害悪でしかない。
さて、世界的に見て経済成長は終わった、と増田俊男は言う。私もそう思っている。これからは一部の人間が金を蓄積するのではなく、社会全体の人間がひどい格差もなく穏健に暮らせる社会を構築することが世界的な潮流になるかもしれない。それは人類全体の精神的水準が上がるということでもある。動物的欲望と闘争の社会から、平和と相互扶助の世界へと進んでいくわけだ。その最後の障害がNWO連中であるが、今世界的に起こっている格差廃絶闘争の標的が彼らになる可能性もある。
そうなってほしいものである。
(以下「増田俊男の時事直言」から引用)
ニクソン・ショック前の真水の経済成長と以後のバブル型経済成長の大きな違いは、ショック前は経済成長と共に国民所得が伸びたがショック後は経済規模は拡大したが所得は伸びず失業率が上昇している。もう一つ大きな違いはショック前は健全な経済成長に必要な安価で豊富なエネルギー源、原材料・資源、それに経済効率を高め、所得増を保証する「イノベーション」(発明、発見、改革、改良)があった。1971年のニクソン・ショックまでにアメリカも世界もこうした健全な経済成長を保証する「果実」を使い果たしていた。以後今日までこれと言ったイノベーションもなく、1974年のオイルショックに見られるようにエネルギー・コスト、原材料費高騰、そのしわ寄せが所得低迷とレイ・オフ等による失業率上昇と高止まりとなった。今後どう見ても、かつての自動車や飛行機に匹敵する発明(イノベーション)は期待できないから、特に先進国の持続的経済成長の望みは無くなった。
今後、先進国は中国などの新興国の経済成長で支えられるとは言え、やがて新興国も先進国の運命に従う。今や世界経済の成長の歴史は終わったと見るべきである。
人は何億円もする高級マンションを目指すことを止め、赤とんぼを肩に夕陽の中で自ら丹精して作った野菜を満足げに眺める自分を夢見るだろう。
人は乱立する高層ビルのない自然の中で農民、モノ造り、商人たちが仲良く暮らす社会を想像し始めるだろう。これから人類は、欲と言う名の重い荷物を背負って数千年かけて登りつめた頂上から今度は身軽になって下り始める。
まだ世界が頂を目指している今、すでに日本は麓を目指して帰り支度をしている。何時の日か世界が「伊勢神宮詣」をする時が来るだろう。
これからの政治、経済、文化、哲学は180度変わらねばならない。
私は、過度の欲望が人間社会を歪めるものだと思っているし、金とは「欲望保存装置」だと思っている。必要な時に取り出して欲望対象と交換できるのが金であり、つまりは性欲や物欲や食欲の象徴でしかない。まあ欲望が無い人間は木石のようなもので、何のために生きているのか分からない、という向きもあるだろうが、私は欲望そのものを否定しているのではなく、過度の欲望が諸悪の根源だと言っているのである。そして金の蓄積や滞留はその過度の欲望からのものであり、他の部分での金の不足を招き、その生存可能性を奪うから悪だと言っているのである。
生活に必要な金が月給20万円なら、それだけで十分であり、100万円の給与には何の意味もない。ただ余剰を蓄積し、「未来に備える」だけである。その余剰の蓄積が他の部分での不足を生む。一人の人間が80万円を蓄積すれば、16人の人間は月給20万円を月給15万円にされることになる。こうして格差社会となっていく。で、蓄積された80万円は使われないのだから、この世に存在しないと同様の、まったく無意味な80万円なのである。金を貯めこむだけの大金持ちとか大資本家という連中は社会の害悪でしかない。
さて、世界的に見て経済成長は終わった、と増田俊男は言う。私もそう思っている。これからは一部の人間が金を蓄積するのではなく、社会全体の人間がひどい格差もなく穏健に暮らせる社会を構築することが世界的な潮流になるかもしれない。それは人類全体の精神的水準が上がるということでもある。動物的欲望と闘争の社会から、平和と相互扶助の世界へと進んでいくわけだ。その最後の障害がNWO連中であるが、今世界的に起こっている格差廃絶闘争の標的が彼らになる可能性もある。
そうなってほしいものである。
(以下「増田俊男の時事直言」から引用)
ニクソン・ショック前の真水の経済成長と以後のバブル型経済成長の大きな違いは、ショック前は経済成長と共に国民所得が伸びたがショック後は経済規模は拡大したが所得は伸びず失業率が上昇している。もう一つ大きな違いはショック前は健全な経済成長に必要な安価で豊富なエネルギー源、原材料・資源、それに経済効率を高め、所得増を保証する「イノベーション」(発明、発見、改革、改良)があった。1971年のニクソン・ショックまでにアメリカも世界もこうした健全な経済成長を保証する「果実」を使い果たしていた。以後今日までこれと言ったイノベーションもなく、1974年のオイルショックに見られるようにエネルギー・コスト、原材料費高騰、そのしわ寄せが所得低迷とレイ・オフ等による失業率上昇と高止まりとなった。今後どう見ても、かつての自動車や飛行機に匹敵する発明(イノベーション)は期待できないから、特に先進国の持続的経済成長の望みは無くなった。
今後、先進国は中国などの新興国の経済成長で支えられるとは言え、やがて新興国も先進国の運命に従う。今や世界経済の成長の歴史は終わったと見るべきである。
人は何億円もする高級マンションを目指すことを止め、赤とんぼを肩に夕陽の中で自ら丹精して作った野菜を満足げに眺める自分を夢見るだろう。
人は乱立する高層ビルのない自然の中で農民、モノ造り、商人たちが仲良く暮らす社会を想像し始めるだろう。これから人類は、欲と言う名の重い荷物を背負って数千年かけて登りつめた頂上から今度は身軽になって下り始める。
まだ世界が頂を目指している今、すでに日本は麓を目指して帰り支度をしている。何時の日か世界が「伊勢神宮詣」をする時が来るだろう。
これからの政治、経済、文化、哲学は180度変わらねばならない。
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