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帝国主義時代を今のモラルで批判しても無意味

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
まあ、江戸末期から明治の時代は世界的に帝国主義の時代であり、吉田松陰の「侵略主義」思想が当時としては特に珍しいものとは思わないが、その考えが長州閥の政治家や軍人の頭を支配し、その後の日本の針路を悲劇的なものにしたのは確かだろう。つまり、吉田松陰は「侵略国家日本」の思想的な生みの親だったわけである。
要するに、帝国主義が実行できる実力も無い新興国家が、身の丈に合わない国家戦略を取ったために、最後は太平洋戦争で叩き潰されたのだが、北海道や琉球や台湾や朝鮮を日本が侵略するのは、大人が子供を相手に喧嘩するようなもので、道義的には切り取り強盗の類であって、それが当時の帝国主義である。強盗の時代だ。
吉田松陰だけでなく、当時の「志士」たちの多くは、世界戦略として似たような考えを持っていたのである。ただ、勝海舟などは、アジア全体を同朋と見ており、自国の周囲を侵略するという思想には反対だったはずだ。つまり、個々の見識の深さの問題だ。
吉田松陰を批判するよりは、その後の長州閥の政治家や軍人の頭の悪さをこそ批判すべきだろう。ちなみに、批判すべきは政治的戦略の程度の低さであって、国際政治ではモラルなどは問題にならない。それが問題になるのは、常に敵対陣営の批判の口実としてだけだ。


(以下引用)



◆http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018021002000189.html
東京新聞  2018年2月10日 朝刊
変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> 
 (7)武力に頼る 集権国家に



(前半略)


-明治維新のころ、その後を見据えていた人はいたのでしょうか。

吉田松陰です。

幕末に獄中でつづった思想書「幽囚録(ゆうしゅうろく)」は、

日本のたどる道を示した予言の書とも言える内容です。


蝦夷(北海道)の地を開墾して、諸侯を封じ、隙に乗じて

カムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球を諭して内地の諸侯同様に参勤させ、

朝鮮を攻めて質を取って朝貢させ、北は満州の地を割き取り、

南は台湾・ルソンを収め、漸次進取の勢いを示せ
>。


さまざまな提言をしています。

当初は、実際に動員計画があったわけではなく、

現実味の薄い内容だったかもしれません。

でも松下村塾で松陰に学んだ弟子たちは、頭のどこかに、

遺言のようにこびり付いていたのだろうと思います。

ここに書かれている思想は、明治以後の外交政策に大きく影響しました。

北海道開発、琉球処分
(※注)、台湾出兵、日韓併合、満州事変、

フィリピン占領と、ほぼ予言の通りに進みました


(以下略)

ことば

※ 琉球処分 … 明治政府が琉球王国を解体し、日本に併合した一連の政策。
         1872年に琉球藩を設置、79年には沖縄県とした。
         琉球の士族を中心に強い反対運動があったが、
         政府は軍隊と警察を派遣して強行した。





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