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徽宗皇帝のブログ

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情報を意味化できない大衆
「独りファシズム」から転載。
私自身は「独りファシズム」が一般に認知されるかなり以前から、その価値を見出し、称揚してきた人間だが、その文体の読みづらさには辟易しており、(そういう意図的に難解にした文体が好きだという人も多いようだが)、最近はあまり読んでいなかった。
白居易が、自分の書いた詩を無学な召使の老婆に読み聞かせて、彼女に理解できない語句は他の語句に変えて平易にしたというエピソードが、私は好きなのだが、言語の目的は伝達であって韜晦や自己修飾ではない、というのが私の基本的言語観なのである。もちろん、韜晦するにはするだけの理由が本人にはあるだろうし、難解な言い回しは、軽く読み飛ばされることを拒否する姿勢の現れなのだろうが、それによって失う読者の数もまた大きいのではないか。まあ、あの文体でなければ「独りファシズム」ではない、とも言えるのだが。
さて、下記文章は例によって難解なターム(術語。彼の場合は独自の用法をすることが多い)を散りばめた文章だが、そのほとんどには括弧で意味説明が加えられているから、文意を読み取ることに不自由は無い。だが、読みづらい文体であることは相変わらずだ。しかし、書かれた内容は、これまた相変わらず鋭く、有益である。困ったものである。(笑)

「これに対し、日本国という体系においてはメディアが主導する反知識主義によって、国民の趨勢は未だ何が進行しているかのすら理解できないのであり、膨大な端末機器が氾濫しながら劣化した知性は情報を意味化できないのであり、抵抗の動機や意味すら見いだせないのであり、つまり彼らはなんらの暴力装置を起動させる必要もなく、規格化された我々の支配は、あたかも飼育された家禽と同等にたやすい。」

「劣化した知性は情報を意味化できない」とは、実に素晴らしい言葉である。まさしく、現代の情報氾濫社会の様相を一言で切り捨てている。情報はただのノイズとして一瞬一瞬ごとに消費され、消えていくのであって、「体験」とはならない。(たしか「経験」と「体験」を区別して用いた哲学者がいたが、その区別は忘れた。私としては、「経験」は単に「経過したもの」で、「体験」はその経験が「体に残ったもの」としておく。)
我々大衆を扱うのに、「彼ら」がなんらの暴力装置を起動する必要もないのは、我々大衆が情報操作と情報氾濫によってすでにロボット化しているからだ、ということである。
ならば、そこで(あきらめやただの恨み節で)終わるのではなく、そこから「怒りを持って立ち上がる」ために、我々には何が必要かを考える必要があるのではないだろうか。


(以下引用)



Devil Inside 
2013/04/03 00:05
TPPとは圧倒的暴力を背景に他国市場を獲得するという国際法に抵触した侵略行動であり、明治の開国以来この社会が膨大な労力と犠牲の上に積み上げてきた公共資本一切の略奪であり、それは国家の存立基盤である全ての権益放棄を通告した「ハルノート」に等しく、つまるところ国家主権の委譲要求に他ならない。

原発事故が絶望的に農地と漁場を縮減させているにかかわらず、補助金漬けの安価な食品を輸入して生産者を壊滅させ、膨大な疾患群が予示される状態で医療・保険分野に市場原理を導入しようとしているのだから、この国は地球上で最も狂っている。

有事において食料は戦略物質に転化することから、EU各国は戸別保障によって生産者の保護を徹底しているのだが、我々は食料自給とともにセキュリティ(国家安全)すらも遺棄しようとしているわけだ。

悪夢的に構造の再編成が引き起こされる最中においても、左翼の存在感は無く、右翼は朝鮮人や中国人たたきに腐心しつつ、ひたすら白人種には媚びへつらうのだから、対立の視点を根本的に取り違えている馬鹿な連中であり、我々の思想言論は不毛なのだと思う。

洞察には会計制度や社会資本フローへの理解が不可欠であり、こうした知的負荷を忌避する性向によってワンスローガン政治や差別主義に傾斜するのだろうが、連中の薄っぺらなナショナリズムこそが反日であり、先の大戦で亡くなられた方々への冒瀆ではないのだろうか。

スカルノの理説どおり、60年代以降の世界は武力ではなく金融をツールとする新植民地政策によって再分割されているのだが、資本勢力は巧みに各国との相互浸透を果たし、支配構造は隠蔽され不可視的であり、市場の膨張主義は多国籍企業による「非公式の帝国」を絶対化し、我々の体系もその版図に飲み込まれようとしている。

売国はビジネスモデルとして熱狂を惹起しているのだが、メディアはこのトレンドによる自己利益の最大化を目論んでいるのであり、破滅的な条約加盟の正当化言説、侵略本質を隠蔽したコンテンツ群による撹乱、自由貿易を肯定する世論調査の捏造など、一切は彼らが多国籍資本の下部構造である証左に他ならない。

つまり、「計画的に情報を供与また流布することにより、対象の国家や組織の意志決定に影響を及ぼし、軍事・政治的目標を達成する」というStrategic Military Psychological Warfare(戦略的心理戦)が実践されていると捉えるべきだろう。

マスコミの主用クライアント(広告主)である経団連企業の過半数株式が外資に制圧されているのだから、彼らが外国人投資家の利潤を最大化する世論誘導に狂奔するのは当然であり、あらためてメディアとは国民の幻惑をミッションとする呪縛装置であると認識しなくてはならない。

換言するならば、この国においては公共の言論者がグローバル資本の利益代弁者と化し、コンプラドール(買弁)としての地位を競い合っているわけだ。

TPP(関税障壁の撤廃)とはミルトン・フリードマン理論(市場原理主義)の核心であるわけだが、それは労働者の非正規化、教育・医療・福祉の削減、フラット税制(消費税)の強化、大企業の税制優遇と不可分であり、つまり「ワシントン・コンセンサス」という米国のヘゲモニー・プロジェクト(覇権計画)の本質であり、民衆が獲得した労働件や生存権の解体により、全面的に社会資本を略奪する地球規模の犯罪であるわけだ。

教育支出や生活保護費の削減、医療費の負担倍増、年金支給年齢の引上げ、正社員の解雇容易化などが推進されているとおり、TPP加盟にむけて多面にまたがる制度解体が進行しているのであり、それはグローバリストによるフォーマット化であり、新たな次元展開に他ならない。

繰り返すが、このように抑制された社会資本は国庫に集約されるのではなく、輸出税還付など各種税制優遇によって多国籍企業の利潤として付け替えられるのであり、また彼らは納税義務を果たすこともなく、利潤の一切を本国へ送還するのだから、莫大な国富の流出により財政破綻は加速するのであり、つまり我々の体系は民間と公共という双方のセクターから完全な挟み撃ちとなり、植民地の体系として終焉することが決定論的に運命付けられたと言えるだろう。

このような社会改変が生存権を脅かすことが明らかであることから、ラテン・アメリカ各国では抵抗運動が勃発し、軍事政権がこれに対し「汚い戦争」と称される粛清を決行したのだが、犠牲となったジャーナリストや左派系の市民は推計3万人規模に達するという。

同じく鄧小平がフリードマン主義による改革を実行した中国においては、「天安門事件」を契機として約4万人が粛清となり、以降は組合活動などが厳戒に鎮圧され、さらに米軍が実効支配するイラクでは、油田や公営企業など国家資本が略奪されたことから市民はレジスタンスに参画しているのだが、開戦以来の犠牲者はすでに65万人を突破している。

世界を平準化する狂騒のイズムは壮絶な暴力衝動を孕んでいるのだが、つまるところ人間の意志や理性、あるいは愛他的行為が最大の参入障壁なのだろう。

これに対し、日本国という体系においてはメディアが主導する反知識主義によって、国民の趨勢は未だ何が進行しているかのすら理解できないのであり、膨大な端末機器が氾濫しながら劣化した知性は情報を意味化できないのであり、抵抗の動機や意味すら見いだせないのであり、つまり彼らはなんらの暴力装置を起動させる必要もなく、規格化された我々の支配は、あたかも飼育された家禽と同等にたやすい。




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