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徽宗皇帝のブログ

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日本の教育行政

「カマヤンの燻る日記」から転載。
1よりも2の方がはるかに面白い問題だと思うし、4などは聞くだけヤボ、という感じもするが、こういう問題を徹底して考えることで、教育問題に限らず日本社会の実相が見えてくるだろう。ぜひ、選挙権年齢引き下げを期に、全国の高校生に、まずこれらの問題を考えてもらいたい。


(以下引用)

2015-11-06

[]日本の教育行政はそもそも何を目的としているのか 23:40 日本の教育行政はそもそも何を目的としているのかを含むブックマーク 日本の教育行政はそもそも何を目的としているのかのブックマークコメントAdd StarBUNTENwatto

1

俺の友人がこんなことを述べた。


<試験に絶対出る教育問題>


以下の問題に答えよ。制限時間なし


.


1 欧米に日本のような予備校や塾はない。


  なぜ日本ではダブルスクール化が進んでいるのか。


2 社会に出て必要な「法律」も「経済」も教科にないのはなぜか。


3 「受験」と「教育」と「学問」の違いについて述べよ。


4 「受験秀才」とは揶揄か褒め言葉か。その理由も述べよ。


俺は以下のように返答した。

2

1については実際のところそうなんですか? 何かデータと言うか根拠ありますか? 仮に本当だとしたら、


1-1 日本の学校は思想の左右を越えて「学校は『実直な精神』を刷り込むところである」という前提があり、知識を得るところだという合意がそもそもなく、知識を得ることだけを目的とした塾の需要が喚起された。


ということじゃないかな。


日本の文部省と日教組は日本国内で最も仲の悪いイデオロギー集団で、文部省は日教組を疲弊させるために教員を雑用でいっぱいいっぱいにさせる政策を長年とってきたので、教員が教育にエネルギーをほとんど残していない状況があり、知的教育については塾が代替するという傾向は55年以降はあったかなと思います。


上記問題を解決する一番簡単な方法は、発展途上国的官庁であるところの文部科学省を解体することもしくは文部科学省による学校干渉を全面禁止にすることであります。アメリカの教育もけっこう糞だがアメリカの教育の方が日本よりマシなところはアメリカには文部省がない点だとはよく言われるところであります。


とはいえ塾は戦前から日本では盛況でありますから、知識を公教育だけからではなく民間産業から得ようとするのは「日本の文化」かもしれません。それへの評価は色々だけど。


戦前から塾産業が盛況なのは、日本の「学歴」が「科挙」の伝統を踏襲しているので、「科挙」は私塾が教育するのが常態だったから、公教育のほうがむしろ東アジア教育歴史においてイレギュラーだったという見方もできます。


科挙」の伝統は日本には実際のところなかったので(中国韓国と、この点が日本は違う。)日本においては知識を得るというのは、私塾の「寺子屋」と、「お旦那が芸事を学ぶ」という二つの伝統だけがあり、私塾は日本の伝統に沿い、公教育は靖国神社信仰と同じ程度の普及度合いしかないのではないかという見方もできます。伝統としての長さも似たようなもの。立身出世の手段としての学問というのは明治期から現代に至る比較的最近の、歴史の浅い風潮であります。


日本においては明治期から90年代くらいまでが例外的に学問による立身出世並びに学問によって世界に肩を並べるのが国益に適うという価値観が共有されていた時代で、1920-1945並びに2010年代以降は「日本は身分制国家であり身分を固定することが政策の第一義である、それが日本の伝統である。ついでに言うと日本は欧米や中国みたいには知性を尊敬なんぞしていない。知性は『お旦那』の手遊びであり社会を動かすのは血統である」というのが「日本の伝統」主力価値観となっているというのが俺の感覚であります。


知力を以て世界と伍すという発想があったら安倍晋三が総理大臣になんてならない。


日本の教育行政は、高卒以上の学歴者を殺害したポルポト政権の政策が精神的に近似していると昔から思っているんだが、どうなんだろうね。あと思想統制の歴史伝統をガッツリ持っているロシア・ソビエトの教育政策とも近似しているんじゃないかなあと最近思うけどそっちはポルポト以上に知らないので、どうなんだろうね。



(追記)同記事コメント欄で見た、一読者による別解答も転記しておく。「科挙」にこだわりすぎで、同問題への解答としては中途半端に思えるが、示唆的な部分もあると思う。なお、まったくの余談だが、私はここで言及されている藤沢周平の「サラリーマン的時代小説」を好まない。時代小説の一番の特質であるべき華やぎや爽快感がゼロだ、と思う。サラリーマン時代劇ではなく、「政治的時代劇」では、松本清張の長編時代劇小説が、実は非常に面白い。私は彼のリアルな(暗い)現代小説はあまり好きではないが、時代劇小説だと、現実(現代という時代による縛り)から離れていても当然、という心理が読者にも作者にもあるせいか、小説世界にすんなり入れて、面白さも倍増するのである。



kamayan さんのところ(d:id:kamayan:20151106)で、面白そうなお題を見かけた。


<試験に絶対出る教育問題>
以下の問題に答えよ。制限時間なし


1 欧米に日本のような予備校や塾はない。
  なぜ日本ではダブルスクール化が進んでいるのか。
2 社会に出て必要な「法律」も「経済」も教科にないのはなぜか。
3 「受験」と「教育」と「学問」の違いについて述べよ。
4 「受験秀才」とは揶揄か褒め言葉か。その理由も述べよ。

設問の前提となる事実関係に検証の余地は大いあるが、今はさて置く。


kamayan さんの回答も面白かったが、できればいろんな違う人のいろんな別々の意見も読んでみたいと思った。隗より始めよってことで、私なりの意見を書いてみる。


kamayan さんのエントリーでも言及されている科挙は、近代以前の中国だけではなくベトナムや朝鮮でも実施されていたが、なぜか日本では採用されなかった。


科挙に関する私の知識は、宮崎市定の有名な本を一冊読んだ範囲を出ないことを断ったうえで、科挙制度が設立当初の意図はともかく制度末期の中国清朝においては、事実上「愚民化政策」としてしか機能していなかったことを指摘したい。四書五経を丸暗記するという猛勉強と天文学的な競争率を勝ち抜いて高級官僚に登用された秀才たちが、西洋列強の進出という国難に際してありえへん無能を晒したエピソードは枚挙にいとまがない。阿片戦争においてイギリス軍の砲撃の正確さに驚いた官僚が「あれは魔術に違いない」と判断し、「魔術を打ち破るには穢れを使うのが一番だ」と「おまる」を並べた話とか(おっとこれは宮崎市定じゃなくて陳舜臣の本に出てきたんだったかな?…今調べました。講談社文庫版『中国の歴史(七)』P119です)。


ではなぜ日本では科挙が用いられなかったか? 諸説あるが、幕府が中央政権の体をなしていなかった室町以前はガン無視するとして(ほんの一例だが、応仁の乱前夜の大飢饉に対する室町幕府の無能無策は、ひどいよ。一言でいうとなんもせんかった)、私は司馬遼太郎を援用して江戸期には科挙を用いなくても別の愚民化政策が機能していたという説を提示したい。司馬によると、いわゆる三英傑のうち、信長、秀吉は剣術の価値に重きを置かなかったという。集団戦において、個々の戦闘力の影響は限定的と判断したのだろう。一方、家康は尚武を唱え剣豪を重用した。それによって江戸期の剣術、剣道の空前の隆盛が現れたという。家康が信長秀吉の判断を知らなかったわけがあるまい。この感情的には大っ嫌いだがその偉大さは認めざるを得ない王朝創業者の、とにかく「人が悪い」としか言えない他の諸政策と併せて鑑みると「賢くなると困るからチャンバラでもやらせとけ」と邪推するしかないのである。


しかもその効用がゼロじゃない、どころか大ありだから、さらに始末が悪い。江戸時代は「自力救済」の時代だったのだ。藤沢周平の諸作品は愛すべきものだが、読者は「もし悪い奴が勝っていたら?」との想像はしてみるべきである。相手方にもぜってー言い分はあるから、多分まったく違うドラマができるんじゃないかな?


近世において日本も列強進出の危機にさらされると、そうした政策をとり続けることはできなくなる。近代化が迫られるわけだが、ここで現れたのが「実学」に対する重視あるいは偏重であって、それは「追いつき追い越せ」の時代、kamayan さんのエントリーでいう「明治期から90年代くらいまで」のまさに「例外的に」幸福な時代においては、それに対して「価値観が共有されて」いて誰も疑問を差し挟まなくてもよかったかも知れないが…


今や「実学偏重」は、かつての「科挙」や「剣術」のように、愚民化政策の道具としても使用できる、ということを認識しなければならない時代になりつつあるんじゃなかろうか?


あちこちの ブックマークコメントに “米欧流の学校教育は「根拠を挙げて自分の主張を述べるトレーニング」を小学校から大学までずっとやる。だから日本人が一対一で議論するとたいてい負ける。” という意味のことを二~三度書いた。私の体験は英会話スクールのネイティブ講師相手くらいではあるが、活字やネットで読むことと体感がよく一致はしている。


 私が議論で負けるくらいならいい。国を動かす政治家や官僚までもが、学校教育でディベートやディスカッションによる思考トレーニングを重ねる経験を欠くことが、昨日のホッテントリに上がったコレのような目を覆いたくなるニュースにつながっているんじゃないだろうか?


b.hatena.ne.jp


あと、先週のコレとか。


www.tbsradio.jp


別記事だったがブコメに「やってることが幸福の科学と変わんねーぞ」と、このリンクを貼ったんだった。


www.sankei.com


どれも言っちゃ悪いが、超難関科挙に合格した優秀な官僚が、大真面目に艦隊砲撃の前におまる並べるレベルだとしか思えないが、どうしてこうなった?



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