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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

日本の独立は個人の精神的自立から始まる
「晴耕雨読」記事の後半を転載。白井聡という学者のインタビューらしい。
特に新しい考えではないが、私がいつも下手な言い方をしている内容を理路整然と言えばこうなるかな、という感じである。
同じような考えなのだから前説も必要なし、だろう。

まったく別の話題だが、ネット論説へのコメントの読み取りには注意した方がいい。ペンネームを使う人間もいれば、本名らしきものを使う人間もいるが、どちらにしても、それが「本人」だとは限らないからだ。
ネット世界では「なりすまし」が容易であるのは常識だが、私の本名が或るブログへのコメント欄に使われていたので驚いた。私は自分のブログなどには個人情報はほとんど載せないのだが、ネットを管理する側には筒抜けなのだから、そこに勤める人間に利用された可能性もある。もちろん、偶然の一致という可能性もある。
少なくとも、私は他人のブログやサイトに投稿する方法も知らないほどのIT音痴であり、そのようなコメント(くだらない、ブログ批判コメント)をすることは絶対に無い、と断言しておく。批判するべき相手(社会的影響の高い有名人や権力者に限る)を批判するのは自分のブログでやる。
もっとも、私自身のブログへのコメントは歓迎である。批判コメントにしても、正当な内容だ、と判断すれば削除せずに掲載することもあるだろう。ただし、幾つになっても、人間はけなされるよりは褒められるほうが気分がいいことは確かである。(笑)



(以下引用)



 ――左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。

 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。復古主義的な権力者たちに憲法をいじらせてはならないという時代の要請に応えたものではあったのですが、結果的には『平和がいいよね』というものすごく単純な心情にのみ訴えかけて大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキャンペーンになってしまいました」

 「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈させています。左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと思います」

 ――右も左もだめなら、タガは外れっぱなしですか。

 「海の向こうからタガがはめられていることが、安倍政権下で顕在化してきました。鳩山政権時代、日米同盟の危機がしきりと叫ばれましたが、それは想定内の事態でした。米軍基地をめぐりアメリカにたてついたのですから。ところが安倍政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極めて冷淡な対応を受けています。非常に新しい事態です。これはなんと言っても歴史認識問題が大きい。当然です。アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します」

    ■     ■

 ――そんな中、被害者意識を核にした物言いが目立ちます。

 「被害者意識が前面に出てくるようになったきっかけは、拉致被害問題でしょうね。ずっと加害者呼ばわりされてきた日本社会は、文句なしの被害者になれる瞬間を待っていたと思います。ただこの被害者意識は、日本の近代化は何だったのかという問題にまでさかのぼる根深いものです」

 「江戸時代はみんな平和にやっていたのに、無理やり開国させられ、富国強兵して大戦争をやったけど最後はコテンパンにたたきのめされ、侵略戦争をやったロクでもないやつらだと言われ続ける。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか、近代化なんかしたくてしたわけじゃないと、欧米列強というか近代世界そのものに対する被害者意識がどこかにあるのではないでしょうか。橋下徹大阪市長の先の発言にも、そういう思いを見て取れます」

 ――しかし、被害者意識を足場に思考しても、何か新しいものが生まれるとは思えません。

 「その通りです。結局いま問われているのは、私たちが『独立して在る』とはどういうことなのかということです。いま国民国家の解体が全世界的に進行し、大学では日本語での授業が減るだろうし、社内公用語を英語にする企業も増えている。この国のエリートたちはこれを悲しむ様子もなく推奨し、みんなもどこかウキウキと英語を勉強しています。このウキウキと日本人の英語下手は一見背反する現象ですが、実はつながっているのではないでしょうか」

 ――どういうことでしょう。

 「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません。グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グローバル人材だと飛びつく。敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません」

 「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえるのです」

    ■     ■

 「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているのでしょう。焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災のようなものとして捉えられています。福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。自民党政権はなし崩し的に原子力推進に戻ろうとしているのに、参院選での主要争点にはなりそうにありません」

 ――「仕方ない」の集積が、いまの日本社会を形作っていると。

 「その代表が原爆投下でしょう。日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている節はない。被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに恥辱の経験です。『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。恥の中に生き続けることを拒否すべきです。それが、自分の言葉をもつということでもあります」

 (聞き手・高橋純子)

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 しらいさとし 77年生まれ。文化学園大学助教。専門は社会思想・政治学。著書に「永続敗戦論」「『物質』の蜂起をめざして」「未完のレーニン」。






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