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徽宗皇帝のブログ

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革命とクーデターはまったく別
「櫻井ジャーナル」から転載。
国際政治分析では、私はこの「櫻井ジャーナル」をもっとも信頼しているので、(多くのブログは、私もそうだが、他人のブログからの情報の受け売りが多い。)自分が良く知らない国際政治ニュースについては、とりあえず「櫻井」を見る。
表面的情報に関しては「田中宇の国際ニュース解説」も幅の広さがあるが、分析自体はさほど鋭くも無い、と感じている。何しろ、元共同通信記者だから、まだ「紐付き」である疑いもあるし。国際政治の裏情報では「戦う老人」飯山一郎が面白い情報を教えることが多いが、少々面白すぎて眉に唾を付けたくなることもある。まあ、そうした幾つかのごひいきブログ、ごひいきサイトから複数の情報や独自の分析を入手して、自分なりの判断を下していくわけである。ほかに、原発関連ではどこよりも「東海アマツィッター」から情報を得ることが多い。また、ゴミ記事が圧倒的に多いが、中に宝石のような情報や秀逸なコメントがたまにあるのは「阿修羅」である。その他、間口は狭いが、特定テーマを深く掘り下げて、貴重な情報を与えてくれるブログはたくさんある。
さて、「櫻井ジャーナル」の2回連続の記事でエジプトのクーデターの意味は一応理解できたように思う。つまり、「欧米傀儡政権に対して本物の革命が起こる前に、欧米の指示で軍部がクーデターを起こした」ということだ。
要するに、南米でこれまで何度も米国がやってきたことを中東でやったわけだ。さて、今回もまた成功するかどうか。試合途中まで勝っていることは試合そのものに勝つこととは別であるから、我々「99%」側は最後の逆転を期待しておこう。
一般人にとっては革命もクーデターも、時の政権が打倒されることだから、似たように見えるが、性質はまったく違う。革命は国民大多数の意思によるものであり、クーデターは、ほんの一部の人間の指示によって起こされるものである。



(以下引用)





2013.07.05

米国に信頼されていると過信していたムルシを大統領の座から引きずり下ろしたシーシ軍最高評議会議長も米英で教育を受けた人物で、反米体制阻止がアメリカの意志

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 エジプトの支配層は「西側」の傀儡だらけだ。選挙を行えば、そうした人間の政府ができあがる。アメリカ支配層の「ご機嫌」を損ねない限り、公約などかなぐり捨て、身勝手な政策を推進できる。場合によっては、アメリカの命令で公約をかなぐり捨てる。モハメド・ムルシも自分をアメリカ政府の手先だと自覚していた。

 ムルシが属するムスリム同胞団は歴史的にイギリスやアメリカと関係が深いのだが、ムルシ個人もアメリカとつながっている。1982年に南カリフォルニア大学で材料科学の博士号を取得、82年から85年までカリフォルニア州立大学で助教授を務めた後、航空宇宙局(NASA)のエンジニアになったという経歴の持ち主なのだ。

 このムルシを排除した軍最高評議会のアブデル・ファター・エル・シーシ議長もアメリカの手駒。1992年にイギリスの統合指揮幕僚大学で、また2006年にはアメリカの陸軍大学で学んだ経験がある。

 ということで、アメリカの支配層にしてみれば、ムルシでもシーシでも個人的には大差がない。問題は庶民の怒り。選挙で騙しても抗議行動で自分たちの計画を壊されてはかなわない。「西側」は「選挙の正統性」とか言って、選挙を絶対化しようとする。が、選挙で自分たちの意に沿わない政権ができたなら、勿論、抗議行動を仕掛け、場合によっては軍事クーデターだ。

 反ムルシの抗議活動では、デモの参加者が掲げたバナーやプラカードに汎アラブ主義、ナショナリズム、社会主義などを支持するフレーズが書かれていた。ガマール・アブドゥン・ナセルの考え方が広がっていることをうかがわせる。これは懸念材料。で、ムルシはアメリカ支配層の「ご機嫌」を損ねてしまったのだろう。

 ナセルは非同盟運動を推進したひとりであり、「西側」、特にイギリスやフランスから敵視されていた。そのナセルを暗殺しようと何度も試みたのがムスリム同胞団だ。ナセル主義の広がりを「西側」は嫌がるだろう。

 前回も書いたように、今回の騒動はシリア情勢が関係しているという見方がある。かつて、外国の軍事介入に反対するようなことを言っていたムルシだが、反シリア政府軍の劣勢が明らかになると、反政府軍への肩入れを公然と口にするようになった。これが自らの足下を脅かすことになる。

 シリアで体制転覆を目指している武装勢力の主力はアル・ヌスラなどアル・カイダ系の武装集団であり、思想/宗教的な背景という視点で見るとサラフィだ。ムルシの背後と重なる。

 以前にも書いたことだが、アル・カイダの訓練施設でリーダーを務めていたシェイク・ナビル・ナイイムは、アル・ヌスラのリーダー、モハメド・アル・ジャウラニはCIAの工作員だと推測している。ムルシがアメリカと反シリア政府軍につながっていても不思議ではない。

 エジプトからパキスタン、そしてスーダンへとナイイムはアイマン・モハメド・アル・ザワヒリと行動を共にした人物。エジプト軍によってムルシ政権が潰されたことに関し、アル・カイダの幹部としてザワヒリは報復を宣言しているが、このザワヒリはアメリカの二重スパイだとジャウラニは言う。

 シリアをはじめ、中東の作り替える計画をアメリカのネオコンがたてたのは1990年代の初頭。その後、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールも中東や北アフリカに「新秩序」を築こうと動き始める。

 ところが、トルコではエジプトより前から政府の政策に反対する運動が盛り上がり、政権は揺らいでいる。六月にはサウジアラビアではクーデター騒動があり、ハリド・ビン・スルタン・ビン・アブドゥル・アジズ元副国防相が自宅軟禁になった。カタールではハマド・ビン・ハリファ・アル・タニが首長の座を息子のタミム・ビン・ハマド・アル・タニへ譲っている。アメリカの圧力だったという。

 バラク・オバマ政権は中東/北アフリカでの戦略を軌道修正しつつあるのかもしれない。




最終更新日 2013.07.05 22:36:00

2013.07.04

自分は米国に支持されているとして大規模な抗議活動を無視したムルシ大統領を軍が拘束、憲法が停止されたが、遠因はシリアの体制転覆が予定通り進まないこと

カテゴリ:カテゴリ未分類
 モハメド・ムルシ大統領の退陣を要求する100万人規模の抗議活動が展開されていたエジプトで、軍最高評議会のアブデルファター・エル・シーシ議長が憲法の停止を宣言、アドリー・マンスール最高憲法裁判所長官を暫定大統領に指名した。ムルシ大統領は拘束されたようだ。

 直前までムルシ側は強気だった。自分たちはアメリカに支持されていて、アメリカの許可なしにクーデターは実行できないと側近は言っていたのだ。6月下旬には、アメリカ政府が400名以上人の部隊をエジプトへ派遣するという情報も流れていた。(日本のマスコミがムルシの肩を持つのは当然ということ。)

 クーデターはアメリカの許可が必要というムルシ側の主張が正しいなら、最後にムルシはアメリカから見捨てられたと言うこと。ムルシの暴走を放置していると、本当の革命が起こり、アメリカに敵対する体制ができあがる可能性は確かにあるわけで、そうした事態にならないようにクーデターを容認したとしても不思議ではない。

 ムルシの支持母体はムスリム同胞団。歴史的に見て、「西側」とつながりがあることは本ブログでもすでに書いたことだ。同胞団の中でも右派がムルシの基盤で、シリアでも残虐な行為を繰り返していることで悪名高いサラフィにも彼は近い。そもそも、ムルシが選ばれた選挙に不正があると考えるエジプト人は多かったようで、選挙の最中もデモが続いていたと伝えられている。

 つまり、大統領選ではムルシーが25%、アフマド・シャフィーク元首相が24%、ナセル主義者のハムディーン・サッバーヒーが21%、元ムスリム同胞団でリベラル的なアブドルモネイム・アブールフトゥーフが17%。ホスニー・ムバラクを追い出した勢力に支持されていた人物は決選投票に残れなかったのである。アメリカが容認できるふたりが残ったということでもある。

 今回、デモの参加者が掲げたバナーやプラカードに汎アラブ、ナショナリズム、社会主義などを支持するフレーズが書かれていた一因はその辺にありそうだが、抗議活動の盛り上がりを考えると、大統領選のときよりガマール・アブドゥン・ナセルの考え方が広がっている可能性がある。反米色も強まっている。

 今回の騒動はシリア情勢が関係しているという見方もある。現在、シリアでは「西側」や湾岸産油国の支援を受けた武装集団が劣勢で、ムルシーも反政府軍への肩入れを公然と口にしていた。バシャール・アル・アサド体制を倒すため、外国勢力の介入を呼びかけたのだ。

 反シリア政府軍の主力はアル・カイダ、戦闘員を見るとサラフィ。つまり、ムルシーの支持母体を重なる。こうした発言はエジプト国民だけでなく、自国軍を刺激することになり、クーデターの一因になったようだ。1990年代の初頭、ネオコン/イスラエルが描いた「中東新秩序」のプランは揺らいでいる。




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