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徽宗皇帝のブログ

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本当の政治と経済
「晴耕雨読」から転載。
政治と経済の本質を明確に示した、素晴らしい文章である。同じようなことは多くの人が言っており(たとえば「独りファシズム」なども、この文章と同じ思想を繰り返し書いている。)誰もが心の底では薄薄、そうなのではないかと思っていることを、明瞭に断定したわけである。そして、この中に書かれたことがすべて事実であることは、過去の歴史そのものが示している。さらに言えば、「ユダヤプロトコル(シオン長老の議定書)」を読めば、同じ思想が「人間対ゴイム」という支配・被支配関係として明確に述べられている。
要するに、一般庶民(あるいは非ユダヤ人)は豚同然に無知であるから、それを騙すのは罪でも何でもない、ということだ。豚を食うことに罪悪感を持つ必要が無いのと同様に、豚レベルの連中を騙すのは、「優越者」の当然の権利である、という思想だ。
もちろん、下記文章では権力一般、経済一般について述べており、「ユダヤプロトコル」などとは無関係だが、どちらにしても結論は同じである。
それを端的に示すのは次の言葉だ。

「このことからもわかるように、歴史の流れを決めてきたのは公正な取引きにおける合理的な計算などではない。

経済的な権力は、武力や威嚇、詐欺、公然と行われた窃盗によって手中に収められてきたのである。」

「したがって、軍事的征服者や弁護士、煽動政治家、腐敗した政治家や官僚、財界の詐欺師が、いかに歴史を作り上げてきたかを学ぶことから始める方が得策である。

彼らが有利な立場を築くことができたのは、社会から土地や他の生産手段を不当な方法で奪取する一方で、司法制度や裁判長の立場を支配してきたからに他ならない。

 内部事情に詳しい人間や投機家あるいは小搾取者が、土地を独占したり、顧客を経済的困難に追い込んで借金をさせたり、さらには相続税なしで子孫に遺産を譲渡したりすることでいかに優位な立場を築いてきたかという点にこそ、経済の研究の主眼を置くべきだと思う。

社会制度とは、始めに既得権益を手にした者たちがその権力を利用し、維持するために、警察、教育制度、宗教団体などを支配することに由来するものであり、それが社会を構成する人々の間の応分の取決めだと考えるべきではないのである。」


この言葉を読んだ後で、現在の日本(あるいは米国)の政治や経済を見れば、すべて一目瞭然だろう。まさしくこの言葉通りなのであり、要するに、この社会を支配しているのは強盗と詐欺師たちなのである。あらゆる社会システムは彼らに有利なように作られ、改変され、運用されていくわけだ。
さて、それでは、この状態を変えることは永遠に不可能なのだろうか。
言葉を変えれば、一般人民のために政治が存在するという、「真の民主主義」を作り上げるには、何が必要なのだろうか。それとも、それは永遠の幻想なのだろうか。
それこそが、我々がこれから考えていかねばならない絶対的な課題なのである。





(以下引用)*前半はやや冗長であるが、我慢して読むことをお勧めする。



2013/3/24

「今日の世界経済を理解するために」  国際政治
マイケル・ハドソン 

 世界経済は純粋に経済上のものなのだろうか。

それとも、世界の法律や技術、雇用慣行、国際外交などが経済的な合理性にだけ動かされていると信じるのは、あまりにも楽観的すぎるだろうか。

 経済上の現象には暗部があり、その一連の邪悪な動機は、経済に重大な影響力を持つにもかかわらず、権力と支配を求める不合理な目的から生じ、経済に逆効果をもたらすものなのである。

 いつの時代にも子供たちは、善良で道徳的な世界がどう機能すべきかを教えられてきた。

その目的は子供たちに正直で生産的な行動をとらせるためであり、人を騙したり、約束を破ったり、盗んだり、嘘をついたり、賄賂を贈ってできるだけ多くの分け前を手にしようという人がいかに多いかということに子供たちを失望させないためでもあった。



ow306 今日の世界経済を理解するために

 また今日、教師は楽天的な学生達に「戦争は何の解決にもならない」という政治的には正しい格言を教える。

こう教える理由は明らかに、子供たちに戦争をしないよう説くことにある。

しかし、これは世界を理解する上で説得力のある方法といえるだろうか。

この教育では、子供たちがいずれ直面しなければならない現実に対処する準備を整えさせることができないのではなかろうか。

 何世紀にもわたり世界は戦争によって形成されてきた。

それにもかかわらず、戦争や暴力がいかに歴史を作り、世界の国境を書き換えてきたかという現実を子供たちに見せないように導くことは賢明な方法ではない。

成功するためには道理をわきまえた行動をとることだと教えるだけならば、いつか屈辱されて深く傷ついたとき、子供たちがどうしてよいかわからなくなるだろう。

何よりも悪いのは、それは子供たちを経済的な殺戮に対しても、平和裏にそして愚直に立ち向かわせることにはなるまいか。

 私は元同僚のハーマン・カーンとともに1970年代に日本を訪れ、世界が実際にどう機能しているのかを日本企業に説明したことがある。

その時カーンは、戦争によって解決された数々の問題を例示した。

ヨーロッパの国境を定め、その政治・金融制度を確立し、さらに宗教上の忠誠心を形成したのはすべて戦争であり、若い国家にイギリスからの政治的、経済的独立を獲得させたのは、米国の独立戦争であった。

日本に200年以上の鎖国を終わらせ、開国させたのはペリー提督率いる黒船であり、ナチ率いるドイツの反ユダヤ主義を解決したのは第二次世界大戦であった。

また西側の金融資本主義に対抗するロシアの共産主義を崩壊させるには冷戦が必要であった。

 このことからもわかるように、歴史の流れを決めてきたのは公正な取引きにおける合理的な計算などではない。

経済的な権力は、武力や威嚇、詐欺、公然と行われた窃盗によって手中に収められてきたのである。

しかし、経済学者は、正当な価格は公正な市場均衡点で落ち着くと説明し、世界が公正であったことなどなかったにもかかわらず、世界が架空のしかも「おとぎ話」のようなすばらしい世界であるかのように、公正な市場がいかに機能するかという研究を続けている。

一方、世界が実際にどう機能しているかの研究はなされていない。

世界がどう機能しているかを知らずして、日本を含む正直な国家が、自分達の国を操作し、威嚇し、騙そうとする世界規模の略奪者から自国を守ることはできないだろう。

したがって、軍事的征服者や弁護士、煽動政治家、腐敗した政治家や官僚、財界の詐欺師が、いかに歴史を作り上げてきたかを学ぶことから始める方が得策である。

彼らが有利な立場を築くことができたのは、社会から土地や他の生産手段を不当な方法で奪取する一方で、司法制度や裁判長の立場を支配してきたからに他ならない。

 内部事情に詳しい人間や投機家あるいは小搾取者が、土地を独占したり、顧客を経済的困難に追い込んで借金をさせたり、さらには相続税なしで子孫に遺産を譲渡したりすることでいかに優位な立場を築いてきたかという点にこそ、経済の研究の主眼を置くべきだと思う。

社会制度とは、始めに既得権益を手にした者たちがその権力を利用し、維持するために、警察、教育制度、宗教団体などを支配することに由来するものであり、それが社会を構成する人々の間の応分の取決めだと考えるべきではないのである。

 このような研究をしていけば、勝者が戦利品を維持し、さらにそれを肯定、正当化するために、武力による威嚇とイデオロギーを諸刃の剣として利用してきたことが浮き彫りになるであろう。

 経済モデルには、こうした背景はほとんど反映されない。

経済モデルが示すのは、理性的な人間が自発的に公正な市場取引の契約を行い、それに対する富の支払および増加にはそれと同等の価値の提供が伴うというものである。

しかし現実を形成しているのは、武力や他の圧力、または窃盗や詐欺行為なのである。

さらに重要なことは、国家の支配によって権力が確立されるということである。

国家支配のためには、不都合な政治ライバルが暗殺されたり、誘拐されたりすることもあり、それに協力した仲間には報酬が支払われる。

しかし、こうした国家支配のための秘密工作の手口も、合理的なユートピアで生活していればどんなにすばらしい生活が送れるかということを示す経済モデルにはほとんど反映されることはない。

 シカゴ学派のマネタリスト、ミルトン・フリードマンは、「この世にただなどというものはない」という、どちらかというと愚鈍な格言を有名にした人物である。

しかし、実世界で行われているのは、「いかに無償で利益を得るか」ということに集約される。

政治内部に入り込むということは結局、何かを無償で獲得するための政治プロセスに加わることによって、社会からただで恩恵を受ける仕組みを作る立場に立つことなのだ。

 無償の恩恵は、市場が耐えうる価格を設定することが可能になる「独占権」という形で与えられることもある。

これこそ、イギリスの内部事情に詳しい者たちが17世紀から19世紀にかけて裕福になった理由であり、第三世界のエリートたちが20世紀に自らを富ませるために使った手法である。

 公費を使い労せずして利益を得ることこそ、最も熟練した経済の勝者が行っていることの本質である。

土地や独占権、その他の資産を実際の価値よりも安い価格で購入すること、しかも自分の存在を可能な限り隠してそれを行うことは、裕福になるための最も確実な方法である。

その目的は自分自身ではリスクを負わず、社会や政府、あるいは国税当局やビジネス・パートナーにそのリスクを押し付けることにある。

 歴史を一瞥すれば、経済のゲームは決まって何かを無償で勝ち取るためであったことがすぐに理解できるだろう。

米国で最古の富豪の財産が築かれたのは、独立戦争勃発の1775年から1789年に憲法が発布されるまでの十数年間、共和国誕生のどさくさに紛れて行われた土地の横領に端を発している。

無節操な土地の横領、およびマンハッタンの南端部にあるトリニティ教会の不動産にまつわるニューヨーク市の腐敗によって、その後2世紀を左右する権力基盤が築かれたのである。

 同様に、それより7世紀前に行われたイギリスの土地横領では、征服王と呼ばれたウィリアム1世が1066年に英軍を破り、ノルマン人の仲間たちと土地を分割した。

それがその後のイギリスの歴史を形成し、また英国議会上院の有権者を決定することになった。

軍事力を背景にした土地の強奪は、いわゆる「原始的蓄積」であり、それは常に貰い得であった。

 無償で何かを得るということは、無料で富を手にすることである。

時にそれは、実際には発生しないリスクに対する代償という形をとる場合もある。

リスクがあるように見えるが、実際には存在しないリスクを冒すことに対して高収益が与えられる。

例えば1980年代半ば、米国の大口預金者は、最も腐敗の激しい S&L(貯蓄貸付組合)に預金することで割り増し金利を稼げることを知った。

預金者がS&Lの商売が合法的ではないことを承知で預金していたため、S&Lはその高リスクに対し高金利で報いなければならなかったからだ。

しかもS&Lが倒産すると、米国政府はFSLIC(連邦貯蓄金融公社)を通じて預金を保証したのである。

 もう一つのリスクのない割り増しボーナスを手にしたのは不動産投資家である。

彼らは銀行を抱き込んで不動産への融資を求め、自己資金はほとんどゼロで不動産を購入した。

その融資に対して、不動産投資家は賃貸収入全額を担保に入れた。

投資家が狙ったのは賃貸収入ではなく、不動産が値上りした時に得られるキャピタルゲインであった。

もし価格が下がれば、ただ退散すれば良かった。

 1990年以降、日本の不動産投機家が行ってきたのはこれである。

貧乏くじを引いた銀行が不良債権を抱えて苦境に立たされると、政府は公的資金を使って銀行を救済した。

不動産投機家の責任を追及して、過去に博打で儲けた売却益で債務を返済させることはしなかった。

それどころか、仲間の不動産投資家や完全な詐欺師、無責任な投機家に融資を行い不良債権を作った銀行や株主に責任をとらせることもしなかった。

 ニクソンは大統領時代、キッシンジャーや外交ゲームの理論家たちに、世界を舞台に自分の要求を押し通すには、他の国の指導者たちに、彼が狂っているのではないかと思わせることだと助言された。

これでニクソンは有利な立場に立った。

というのも他の指導者達は、米国の要求に屈した方が、ニクソンが癇癪を起こして世界の大部分を武力で破壊したり、秘密工作につながるような危険を冒すよりはましだと考えたからである。

 社会生活は、経済的責任や市場の妥協とは性質が異なり、むしろチェス・ゲームに似ている。

しかしそのゲームには変動要因が無数にあるため、必要な戦略をマスターするには一生かかる。

いや、一生かかってもすべてを学ぶことは無理かもしれない。

チェスとは違い、初心者が秘密工作や汚職、契約不履行といった戦略を学べる教科書はほとんどない。

この契約不履行が、富を蓄積するための最も確実で費用が一切かからない方法の1つだということはあまり知られていない。

今日では、不正を働いて不運な取引相手を裁判に巻き込んだ方が得策だというのが一般的な考え方である。

告訴者が損害賠償を勝ち得るまでには裁判に長い時間を要するばかりか、高い弁護料を払った方が裁判の勝者になると決まっているからである。

 窃盗が権力を得る最も簡単な方法の1つだとすれば、1989年以降(実際にはピノチェト将軍による1973年のチリのクーデター以降)行われている民営化は、歴史的に見ても最も重大な窃盗である。

民営化については権威ある学術書が何百冊も書かれているが、それらはすべて民営化政策が社会にとっていかに生産的で良いものかという趣旨のものばかりである。

そこには、チリの将軍、イギリスの投資銀行家、ロシアの元官僚といったエリートたちが、民営化によっていかに多くの略奪品を手にしたかについてはほとんど記されていない。

 経済学の裏には権力が存在する。

権力とは、権力中の、あるいは権力そのものの否応なしの拡大に対していかなる抵抗をも認めないことである。

古来、富の蓄積を駆り立ててきた動機とは、それを生産的な投資に向けるためではなく、権力強化のために使うことだった。

権力強化のため、ローマの役人に賄賂を与えたり、略奪的な指導者である主人が私設軍のために隷属平民を雇ったり、有利子の融資を行った後抵当権を没収したり、土地を獲得するといった手段がとられてきた。

 富や権力の追求は、とりつかれた霊魂の具現となる傾向がある。

経済的利益は究極の目標ではなく、近代の産業経済および金融組織経済における力の指標にすぎないのである。

 多くの人々にとってさらに理解しにくいのは、国家および公的所有を形成することは、これらの資産を民営化するのと同じように権力を獲得し得るということである。

心臓が収縮と弛緩を繰り返すように、民営と公営の両面で力が蓄積されるのである。

 社会そのものを道理にかなったものにするには、抑制と均衡の仕組みを作ることでそうした行動を食い止める必要がある。

しかし、権力を持ったエリートはすばらしく大袈裟な目的の虚飾に満ちた声明を用意したり、近代の操作的市場の持つ利己主義的性質を隠した結果を約束したりすることで、そうした社会の努力を阻害しようとするであろう。

 この種の欺瞞が、現在世界的に繰り広げられている社会および経済のゲームの一部をなしているのである。

経済理論そのものが摩耗しており、今日、学生たちが受ける経済教育は、世界が実際にどのように機能しているかを示す学術的な描写ではなく、特別利益団体を擁護するための粉飾的理論にすぎない。

 したがって日本が行うべきことは、米国の大学に送る学生の数を減らし、将来の日本の政治家や官僚に、世界的ゲームという認識への妨げとなる「おとぎ話」を学ばせないことである。

経済モデルの構築より、世界に対する穿った見方を含み史実を理解することが必要なのである。

 コンセンサスを優先する社会ではこのような見方は簡単には受け入れられないだろう。

米国に代表されるようなアウトサイダーからなる社会にこそ、より浸透しやすい。

しかしそれは、たとえ米国が自国では理解していたとしても、海外へ輸出できるような知識体系にはなっていない。

これは国際経済外交を混乱させるための秘密の方法や、日本や他の国に対してあたかも有益だと思わせて米国の命令に従わせる時に使う広報手段の特徴なのである。

 惜しげもなく無料で提供される助言は、結局、自らの利益に資するためのものである。

この教訓を学ばない限り、日本は自国の運命を自分達で決められるようにはならないであろう。

6/8/7





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