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徽宗皇帝のブログ

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欧米中心主義世界の異常性
MS井口博士のブログ記事の一部だが、MSが何の略かは書かない。カタカナでワープロ(パソコン)打ちするのが面倒なので略記しておく。敬称ではないが、蔑称でもない。私なりの尊称である。変人で勇気のある無名科学者、といったところか。他の人が言わないことや気づかないことをしばしば書いているのはご存じのとおりだ。なお、敬称は「世間で一般的に尊敬されている」ことを表し、尊称は「個人的に尊敬している」ことの表明の意味で私は書いている。いつも井口博士のことを揶揄的に書いているが、その思想のユニークさと、好奇心の旺盛さに教えられることは多い。
引用する記事もそのひとつで、かなり重大な問題だが、世間の人はこの問題の大きさに気づかないか無視している。これを単なる国粋主義的見方だと思う人、つまり頭の中まで西洋人化し、自分が西洋人の仲間だと思い込んでいる黄色い猿も多いだろう。
ただし、下の記事では「学者による問題発見」と「その事項を在地住民は最初から知っていること」を同列に扱い、それを「白人至上主義」「英語独善世界」の問題としている錯誤があると思う。これ(後者)はたとえば「アメリカ大陸の発見」という表現がおかしい、という問題として最近は少し是正されてはいるようだが、大局的にはまったく変わっていない。

(以下引用)画像の大半は省略する。蛍の発光の同時(同期)性は、知らない人も多いかと思うので動画も載せる。ただし、動画は微速度撮影(高速映像)かと思われ、実際はもっとゆっくりした現象だろう。そのため、一斉に光り、一斉に止むというその同時性が異様な印象を与えるのである。

これに対して、俺はこう返答した。
「。。。外国人が日本語圏に入ってくることは素晴らしいことだと思います。なぜなら日本文明だけが東洋と西洋を初めて融合した文明、すなわち真のグローバルな文明だからです。英語圏ではアメリカを含めてあくまで西洋の価値観の集大成に過ぎず、常にこの地球にあって片手落ちになります。中国語圏ではアジア文明しかわかりません。この話はまたいつかブログにメモしようと思っていますが、世界の人にはあまりこの事実は知られていないでしょう。。。。」
私がこのことを最近強く意識するようになったわけは、英語には次のようなことが起こるからである。
たとえば、縄文文明という言葉の「縄文」という単語を考えよう。
これはかつて拙ブログでも取り上げたことがあったが、モースというアメリカの自称学者さんが、アメリカ本土では学位もなく全く無名だったために、一攫千金を夢見て日本にやってきた。
そして自分の学者の運命を変える発見として見つけたのが貝塚である。
その貝塚やその時代の石器を発見し、石器の特徴からそれを縄文と名付けたわけだ。
モースはこの功績を認められて学位を得て正真正銘の考古学者として認められて教授になることができた。
ここまでは単なるラッキーないしは美談にすぎない。
何が問題かといえば、貝塚の場所を教えた日本人や石器の存在を知っていた日本人の存在である。
江戸時代から西洋を凌駕する初等教育のできていた日本にあって、そうした石器の存在や貝塚などは名前はついてはいなかったかもしれないが日本人が知らなかったはずがない。
本当はすでにずっと昔からそうした遺跡の存在は日本人の中では知られていたはずだ。
ところがそれが日本の中だけの話だから諸外国には伝わらない。
こうして西洋世界で初めてそれを英語で記述したモースが発見者として世界最初の称号を得る。
じゃあ、モースに貝塚の場所を教えた日本人は何も知らなかったのか?
そんなはずはないだろう。
その人の名前は西洋文明の中では欠落し、手柄はモースだけのものになる。
この構造が西洋文明の、あるいは英語圏の問題なのである。
最近でも同じようなことが頻繁に起こっている。
たとえば、我々の理論物理の世界にその理論の発見者としてノーベル賞候補になっている蔵本由紀博士がいる。
この先生の理論は「蔵本理論」と呼ばれるが、この理論は東南アジアで普通に起こるホタルの発光の同期現象を記述することができる理論として有名である。
この蔵本さんに一番影響を与えたのがウィンフリーという人だ。
この博士はガンで早世してもういないが、この人の研究が蔵本博士をして蔵本理論を生み出すきっかけとなった。
問題は、この「ホタルの発光現象」を初めて英語圏に伝えた研究者がこの現象の発見者として歴史に名を残したということになってしまうということである。
しかしながら、この発光現象は原住民にとって太古から知られていたはずであろう。
現地語でそれなりの言葉でお互いに語り合っていたはずである。
しかし英語圏にはその白人研究者がそれを認めるまではこの現象が地球上に存在しないことになる。
これは貝塚や日本の古代土器が西洋人に知られなかったとしても日本人の誰か走っていたはずである。
が、それは西洋人=白人が知るまではこの世界に存在しなかったことになってしまうというのと同じなわけだ。
最初のコメントの話へ戻ると、英語圏というもの、西洋語圏にはこういう重大な問題が存在するということである。
ところが、日本語圏になると、世界はグローバル化するのだ。
英語圏ではすべてが西洋文明の延長線上として閉じているが、日本語圏になれば、世界が開かれるのだ。
日本語には漢字があるから、古代の中国やインドなどの情報がそこに含まれる。
英語を通じて西洋世界もそこに存在する。
以前、武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしで紹介された、フランス人学者のレビストロームの話を拙ブログにもメモしたことがある。


つまり、英語圏の世界観、英米人の考え方では、次のようになるだろう。
始めに英語ありき!
世界は英語でできている!
英語で表現されたものだけが存在する!
我々日本人はこういうことは十二分に注意しなくてはいけませんナ。

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