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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

沈黙の季節を前にして
「マスコミに載らない海外記事」から転載。
クリス・ヘッジスは、ポール・クレイグ・ロバーツと並ぶ、私のお気に入りの書き手である。
飯山一郎翁のブログで、「独りファシズム」氏が、近づく「1984年」状況を前にしてブロガーたちに沈黙を勧めていることを知ったが、確かに自己保身は大事だ。しかし、自己保身をせずに、社会の向上のために戦い、血を流した人々がいたからこの世界はより良い世界になってきたのである。その戦いとは、国家対国家の戦いではなく、権力の弾圧に対する戦いである。革命もその一つ、労働運動や、著作による啓蒙などもその一つである。小林多喜二の虐殺など、著名人の死もあるが、首切りや減給などの形で流される無名人の血もある。しかし、そうした先人たちの戦いによって労働者の権利は向上し、庶民の生活は豊かなものになってきたのである。
だが、今や連合などこそが経済界のお先棒を担ぐ有様だ。そして、多くの人々は「物言えば唇寒し」とばかり沈黙の世界に入ろうとしている。
何度か引用した言葉だが、「我々が恐怖すべきは恐怖そのものである」という言葉は大事な教えだと私は思っている。もちろん、自己保身は大事だし、自分はどうあれ、家族の無事は誰しも最大の願いだろう。しかし、誰もが物を言えない社会、「1984年」状況の社会の中で生きたいと誰が思うだろうか。
問題は、この戦いは勝ち目のある戦いとは思えない、と多くの人々が思い始めていることではないだろうか。それが「独りファシズム」氏の発言に表れている。
下の記事はその逆である。今や警察国家、見えざるファシズム社会となった米国での発言だからこそ、この発言に私は勇気づけられる。

なお、海外の書き手は日本の書き手と異なり、「共産主義」と「社会主義」を明確に区別しており、「社会主義」は「民主主義」の一つの形態、あるいはその進化形だと考えているように、私には思われる。もちろん、私の考えも同じである。私は民主主義制度下における「漸進的社会主義」を好ましく思う者であり、下記記事の言葉を借りれば、

機能する民主主義の段階的で漸進的な改革を好ましく思っている。その社会制度が、庶民が、権力者を、非暴力的に解任するのを許容するような体制を好ましく思う。様々な機関が、大企業権力から独立していて、言いなりにならない体制を好ましく思うものだ。







(以下引用)赤字部分は引用者(徽宗)による強調。



2013年10月31日 (木)



我々の見えざる革命




Chris Hedges

2013年10月28日
"Truthdig"

“世界中であらゆる悪や問題を引き起こしているにもかかわらず、一体なぜ政府と資本主義が存在し続けているのか、皆様は自問されたことがおありだろうか?”無政府主義者アレクサンダー・バークマンは、エッセイ“思想こそ大事”で書いている。“もしそうであれば、皆様の答えは、人々がこうした様々な機関を支持しているからであり、彼等が支持しているのは、そうしたものを信じているからだ、ということに違いない。”

バークマンは正しかった。大半の国民が、グローバル資本主義を正当化する思想を信じている限りは、大企業のご主人達に仕える民間と政府の諸機関は難攻不落だ。こうした思想が粉砕されれば、支配階級を支えてきた様々な機関は意気消沈し、崩壊する。思想の戦いは水面下で浸透しつつある。これは、大企業国家が絶えず敗北し続ける戦いだ。益々多くのアメリカ国民が、それを理解しつつある。多くの国民は、政治権力を奪われていることを知っている。彼等は、我々は最も基本的で大切な市民的自由を剥奪され、人類史上最も差し出がましい治安・監視装置の目に曝されて暮らしていることを理解している。国民の半数が貧困生活をしている。そうではない我々の様な人々の多くも、もし大企業国家が打倒されなければ、彼等の一員になるだろう。こうした真実はもはや隠されてはいない。

アメリカ合州国においては、政治的騒乱は休眠状態のように見える。これは正しくない。大企業国家を維持する思想は、あらゆる政治勢力に対して、効力を急速に失いつつある。しかしながら、それにとって代わるべく勃興しつつある思想は未完成だ。右派は、キリスト教ファシズムと銃砲文化の慶賀に引きこもっている。左派は、反共産主義の名による、何十年間もにわたる国家による猛烈な抑圧によって体勢を崩され、再建と再定義に苦闘している。とはいえ支配層エリートに対する大衆の嫌悪感は、ほとんど至る所に存在している。どの思想が大衆の想像力を把握するかの問題なのだ。

普通、革命というものは、通常の状態なら、国家による、意味が無いやら、ささいな不法行為と見なされるものを巡って突発するものだ。しかし、アメリカ合州国でのように、革命の火口が積み重なりさえすれば、僅かな火花で、大衆暴動に容易に火をつけることが可能だ。個人や運動では、この火口に火をつけることはできない。どこで、いつ突発するのか、誰も知らない。それが一体どのような形なのか、誰も知らない。しかし民衆暴動が起きるのは確実だ。大企業国家が、庶民のささやかな不満にさえも対処することを拒み、更には、国家による弾圧の高まりや、慢性的失業や不完全就業、アメリカ国民の半数以上を不自由にしている、借金を払い終えるまで、債権者のために働かせる慣習や、希望の喪失や、まん延する絶望を改善することに惨めにも失敗したことからして、報復は不可避だ。

“革命というものは、沸点における漸進的変化なのだから(徽宗注:ここは「漸進的変化における沸点」とすべきではないだろうか。)、やかんの沸騰を早くさせることができないと同様、人は本当の革命を‘起こす’ことはできない”とバークマンは書いている。“やかんを沸かすのは、その下にある火だ。やかんがどれほど早く沸点に至るかは、火の強さに依存する。”

革命は、それが勃発した際は、エリートや体制側にとっては、突然の意外なものの様に見える。これは革命の騒乱や意識の本当の動きは、社会の本流の人々には見えず、それがほとんど終わった後になってようやく気がつくためだ。歴史を通して、急進的な変革を求めた人々は、常に、まず支配層エリートを支えるのに用いられた思想の信用を落とし、社会の為の代案を作り上げざるを得なかったが、こうした思想は、ユートピア革命神話の中で具現化されている。書籍“イマジン: 社会主義アメリカ合衆国で暮らす”や、ウェブサイトPopular Resitanceで試みられている、大企業専制に対する代案としての実行可能な社会主義の明確な表現は、卓絶したものだと私は思う。そういう思想が国民の多数に移ってしまえば、新たな社会構想が大衆の想像力を掌握してしまえば、旧体制は終わりだ。

思想や構想を欠いた蜂起は、支配層エリートにとって、決して脅威ではない。明確な定義と方向性の無い、それを支える思想のない社会動乱は、虚無主義、成り行き任せの暴力と混沌状態に陥る。騒乱は自滅する。この核心こそ、ブラック・ブロックの無政府主義者達の一部に、私が同意しない理由だ。私は細心な計画を信じている。バークマンや、エマ・ゴールドマン、ピョートル・クロポトキンやミハイル・バクーニン等を含む多くの無政府主義者達もそうだった。

支配層エリート達があからさまに反抗される頃には、思想への信頼、我々の場合は、支配層エリート構造を維持している、自由市場資本主義とグローバリゼーションへの信頼は既にほぼ完全に喪失している。そして一度、十分な人数の人々がそれを理解してしまえば、何年もかかる“緩慢で、静かで、平和な、社会進化の過程は、迅速で、戦闘的で、暴力的になる”とバークマンが書いている。“進化は革命と化す。”

我々はそういう方向に向かっている。私が革命を支持するがゆえに、そう言っているわけではない。私はそうではない。機能する民主主義の段階的で漸進的な改革を好ましく思っている。その社会制度が、庶民が、権力者を、非暴力的に解任するのを許容するような体制を好ましく思う。様々な機関が、大企業権力から独立していて、言いなりにならない体制を好ましく思うものだ。しかし、我々はそういう体制の中で生きてはいない。反乱が唯一残された選択肢なのだ。支配層エリートは、彼らの存在を正当化する思想が死んでしまえば武力行使に踏み切る。それが彼等にとって、権力への最後の頼みの綱だ。もし非暴力大衆運動が、官僚や公務員や警官を、イデオロギー的に武装解除し、彼等を離脱させることが出来れば、本質的に、非暴力革命は可能だ。しかし、もし国家が、反政府派に対して、効果的で長期的な暴力行為を組織できれば、反作用として、革命側の暴力、あるいは国家がテロと呼ぶものを引き起こす。暴力革命は、革命家を、敵対者達と同様に冷酷にさせてしまうのが普通だ。“怪物達と戦う人々は誰であれ、その過程で、自分が怪物にならぬよう注意すべきだ”フリードリッヒ・ニーチェは書いている。“もし深淵をずっと注視し続けていると、深淵は人を見返すものだ。”

暴力革命は常に悲劇的だ。私や他の多くの活動家達は、我々の反乱を非暴力なものにするようつとめている。国内の残虐行為、国家と、それに反対する人々双方により暴力が行使されないようつとめている。とりわけ大企業国家が巨大国内治安機関や武装警察勢力支配しているからには、我々が成功する保証はない。だが我々は試みなければならない。

あらゆる法律、政府規制や内的拘束から自由な大企業は、没落過程の中で、出来るだけ多く、出来るだけ早く、盗みを働こうとしているのだ。大企業経営者連中はもはや自分達の強奪の影響など気にしていない。彼らの多くは、自分達が略奪している体制は崩壊するだろうと思っている。彼等は私利私欲と傲慢さに目がくらんでいるのだ。連中は、自分達の非道な富で、治安と保護を買えると信じている。彼等はビジネス・スクールで経営学を学ぶ時間を減らし、人間性や人間の歴史の研究にもう少し時間を使うべきだった。彼等は自分達の墓を掘っているのだ。

我々の大企業全体主義への移行は、あらゆる姿の全体主義への移行と同様、段階的だ。全体主義体制は、民主的な自由主義をむしばみながら、潮の干満の様に、時によって、二歩前進する前に一歩後退する。この過程もは今や完了した。“被統治者の同意”というのはきつい冗談だ。ジョージ・W・ブッシュや、ビル・クリントン同様、バラク・オバマとて、大企業権力に逆らうことはできない。直前の二人の前任者達と違い、知的にも、おそらく感情的にも、障害のあったブッシュは、大統領が全体主義の過程を幇助していることを理解していなかった。クリントンとオバマと民主党は、自分達が演じた、そして演じつつある破壊的役割を理解していたのだから、彼等は遥かに冷笑的で、遥かに国の破壊に加担していたと見なすべきなのだ。民主党の政治家連中は、リベラル階級の“皆さんの苦しみはよく分かります”という聞き慣れた言辞を語るが、大企業が我々の個人的な富と権力を奪い去るままにしている。彼等は大企業権力にとって便利な仮面だ。

大企業国家は、政治的・経済的過程において、人々の個人的影響力があるという虚構を維持しようとしている。我々は政治参加者なのだと信じ込んでいる限り、膨大な宣伝攻勢や、無限の無意味な選挙の周期や、空虚な政治芝居という見世物によって、嘘が維持され、大企業を支配する一握りの連中は、自家用ジェット機や、役員室や屋上の高級住宅やマンションでのんびりしていられる。大企業資本主義とグローバリゼーションの破綻が暴露された為に、支配層エリートは益々神経質になっている。彼等は、もし彼等の権力を正当化している思想が死ねば、彼等は終わりであることを知っているのだ。それが一体なぜ、占拠運動等の自発的な反乱も含め、体制と異なる意見は、大企業国家によって無慈悲に押しつぶされるかという理由だ。

“...多くの思想、かつては真実だと信じられていたものが、間違いで、悪いものだと見なされるようになる”バークマンはエッセイで書いている。“王や、奴隷所有や農奴制は神から授かった権力だという思想。全世界が、そうした制度が正しく、公正で、不易だと信じる時代がかつてあった。そうした迷信や誤った考えに、進歩的な思想家が戦いをしかけ、そうした思想は信用を失い、国民に対する支配力を失い、最終的に、そうした思想を具現化した機関は廃絶された。知識人は、そうしたものは、その‘有用性’より‘長生きしすぎ’、それゆえに‘死んだ’のだと語るだろう。しかし、一体なぜ彼等は‘有用性’を失って‘長生きしすぎた’のだろう? 一体誰にとって、そうしたものは役立ち、いかにして‘死んだ’のだろう? 我々は既に、そうしたものは支配階級にとってのみ有用だったこと、大衆蜂起と革命によって廃止されたことを知っている。”

Chris Hedgesのコラム記事は、Truthdigに毎月曜日に掲載されるが、彼は20年間、中米、中東、アフリカとバルカン半島で海外特派員を経験してき た。彼は50ヶ国以上から報道し、クリスチャン・サイエンス・モニター、ナショナル・パブリック・ラジオ、ダラス・モーニング・ニューズ、ニューヨーク・ タイムズで働いたが、ニューヨーク・タイムズでは15年間、海外特派員をつとめた。

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記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/our_invisible_revolution_20131028

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