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徽宗皇帝のブログ

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深淵(テレビ・新聞という泥沼)を見つめる者は深淵に見つめ返される
「世に倦む日々」記事で、前半には鋭い指摘(特にINFの訳語の問題や、沖縄南西諸島に配備される予定なのが中距離核兵器であることなど。)が多く、読む価値があるが、後半の「ウクライナ戦争」に関しては、あまりに「テレビ・新聞」情報に毒され、ネット情報に疎い。ネットに多く触れている「素人」のほうが、政治評論では半玄人の「世に倦む日々」氏より賢明である。
まあ、テレビをよく見ているからこそ見える世界があるのだが、「世に倦む日々」氏自身、マスコミを批判しながらマスコミに取り込まれてもいるわけだ。

(以下引用)

日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか

日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14270391.png日本の核武装をずっと言い続けてきたのは安倍晋三だ。誰でも知っている事実だ。だが、そのことが原爆の慰霊の季節に語られない。安倍晋三が糾弾されない。眼前のマスコミの風景に苛立ちを覚える。官房副長官だった20年前、早稲田大の講演会で「核使用は違憲ではない」と暴言を吐き、週刊誌に書かれて大問題になった事件があった。安倍晋三は根っからの核武装論者で、その後も機会ある毎に観測気球を打ち上げてきたし、櫻井よしこをプライムニュースに出演させて、核武装容認の世論を根づかせる策動を行ってきた。

今年、核共有を最初に言い上げて、マスコミの議論に持ち込んだのも安倍晋三である。ロシアのウクライナ侵攻から3日後の2月27日に、フジの日曜報道 THE PRIME に出演して打ち上げた。核を持ってないと攻められるという口上を垂れ流し、ロシア叩きのプロパガンダの奔流に便乗し、世論を巧みに誘導する流れを作った。安倍晋三の邪悪な工作は成果を得て、3月27日の日経新聞の世論調査では、「核共有の議論をすべきだ」が79%になるという深刻な状況が作り出された。マスコミが核武装を煽る事態となった。




日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14290558.pngウクライナのようになりたくなければ核保有すべきだ、隣に核大国がいて侵略の脅威があるのだから核武装は当然だ、という主張を、報道1930などテレビ番組が右翼論者に吠えさせ、反対論者の登場はなく、放送内での論争場面もなかった。安倍晋三は、核武装論と並行させて、同時に防衛費2倍増論も打ち上げ、こちらもマスコミの世論調査で支持多数となり、岸田文雄が参院選の公約にして現実化する進行となった。さらに、敵基地攻撃能力は反撃能力と名前を変えて遂に政府が公認するところとなり、年末に出される防衛3文書の政策の目玉として具体化される展開となった。

今から2年前、2020年10月に書いたブログ記事がある。報道1930で敵基地攻撃能力が特集され、アメリカが日本に実行させる戦略を小谷哲男が直截に語った回についての感想文だ。小谷哲男は隠さず簡潔に要点を述べた。この放送で面白かったのは、番組が「INF」を「中距離ミサイル」と終始訳して説明を続けた点であり、松原耕二も、堤伸輔も、小谷哲男も、とぼけたまま欺瞞の演技を続け切った。言うまでもなく、INFとは Intermediate-range Nuclear Forces の略号であり、日本語訳は中距離核戦力である。私以外には誰もその欺瞞を衝かなかった。


日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14404604.pngアメリカが対中戦略のために日本に配備を急いでいるのはINFであり、中距離核ミサイルに他ならない。だが、報道1930ではINFを中距離ミサイルと訳し、そこに「核」の一文字を付さなかった。テレビの前で吹いた私は、揶揄と皮肉を込めてブログ記事のタイトルに「中距離■ミサイル」の語を入れ、番組の欺瞞を告発した。が、そこから2年経っても、相変わらず日本のマスコミは同じ態度を続けていて、南西諸島に配備計画している敵基地攻撃能力=反撃能力の実体が、INF・中距離核ミサイルである真実を言わない。日本人の欺瞞の持続の強靭さに眩暈を覚える。

クロをシロにして、上が下を騙し、全体がその滑稽な欺瞞劇に最後まで付き合う日本人の精神特性に呆れかえる。誰もウソをウソだと言わない。知らぬフリして通している。敵基地攻撃能力が反撃能力に言葉が変わり、敵国の中枢を狙うと定義づけた以上、その弾頭が破壊するのは単に敵軍基地の施設装備ではない。敵の国家中枢である。したがって、弾頭は破壊威力のある爆弾でなくてはならず、NATOがロシアに対して配備している兵器と同じ仕様と能力でなくてはならない。核モジュールのない通常弾頭の配備などあり得ない。常識で考えても分かる。


日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14435746.png南西諸島にINFを配備する、自衛隊に自前でやらせるということを、アメリカはすでに2年前に方針決定し、着々と準備を進めてきた。おそらく、物理的には即実行できる態勢にあるのだろう。あとは日本の政治だけの問題で、安倍晋三に旗降りさせ、プライムニュースと報道1930で森本敏や佐藤正久や小野寺五典らに喚かせ、世論を固めて政策決定へと運んできた。すでに大詰めの最終段階に来ている。防衛3文書がローンチされれば完了する。ロシアのウクライナ侵攻は、まさに天恵の奇貨の出現で、日本の中距離核ミサイル配備実現への絶好の環境提供となった。

安倍晋三が暗殺され、俄に統一教会批判が起こり、安倍晋三と統一教会の根深く醜悪な関係が露わとなり、安倍晋三の評価が落ち、安倍晋三が推進してきた政策にブレーキを踏む気分が漂い始めた。8月7日のサンデーモーニングでは、浜田敬子が核共有に対して批判のコメントを言い、3月4月頃の「日本も核共有の議論を始めよ」「NATO諸国並みの軍事力を持て」の世論が沸騰した空間とは様子が違い始めている。それは歓迎すべき変化だが、それにしてもリベラルと目されるマスコミ論者の言論が惰弱で、声がか細く消極的で、本当にこの国が広島長崎の被爆国なのかと耳を疑う。


日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14453406.png8月の慰霊の季節が終われば、ただちに反撃能力の具体論に入り、日本のINF配備を押し切る議論が始まるのではないか。中国の台湾威嚇の軍事演習を口実にして、中国叩きの気勢を上げ、その圧力で統一教会問題への関心と批判世論を後退させ、安倍晋三が生きていた時に予定していた改憲政局と核武装是認の世論工作へバックラッシュさせる思惑だろう。今年の8月の「戦争を振り返る」国民的追想行事は、ウクライナのプロパガンダで中身が埋められている。マスコミは、日本人が先の戦争を反省する時空間を、ロシアを叩いて西側を賛美する時空間に変えてしまった。悪辣に狡猾に政治化した。

いつもなら、80年前の日本の戦争の歴史が焦点になり、いわば真摯な反戦教育がされるのに、今年はウクライナ戦争の話にスリカエられ、ロシアと中国の「専制主義」が唾棄され、西側・ウクライナの「自由と民主主義と人権の普遍的価値観」が称揚されている。西側・ウクライナと一体になってロシアと戦う日本が構図設定され、その一員としての自覚が促され、対ロシアの「民主主義戦争」を鼓舞する特集報道になっている。3月4月のプロパガンダの再演と反復だ。NHKも、民放も、メッセージは同じで、反戦主義や平和主義の基調はすっ飛んでいる。8月6日の広島市長の「平和宣言」さえ、ロシア叩きが主張の核心となった。


日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14474748.png安倍暗殺の一か月前、「認知戦」をテーマにした記事を書いた。絶望のバラードという感じの文章になっている。情勢の推移は絶望的なもので、戦争は確実に起こり、それに対してどうすることもできないという無力感を吐露している。神に祈るような気持ちで、唯一の望みは奇跡が起きることだと述べ、アメリカで金融システムに衝撃の事故が発生し、中国で現行の政治体制が劇的に転換し、二つの偶然が同時に重なって、台湾有事の戦争プログラムとは別の方向へ事態が進むことを期待した。真っ暗な荒野を這う心境を書き綴るしかなかった。その一か月後に予想もしなかった歴史的変事が起きた。

世の中は偶然で動く。偶然といっても分析すれば必然に違いないけれど、全く予測できなかった出来事で、神のなせる業としか受け止めようがない。事件が起きなければ、今頃はもっと反動の局面が極まり、秋国会へ向けて改憲発議の段取りが埋められる日々だっただろう。マスコミの世論調査も、改憲にフォーカスした設計になっていたことは確実だ。だが、現在は、統一教会問題の浮上により、その危機感と焦燥感から遠のいた状態にある。山上徹也が復讐の行動を起こさなければ、この一時的安堵はなかった。私の安堵の一服感は、櫻井よしこなど隷米右翼にとっては危機と焦燥の局面である。


日本の核武装論を推し進めたのは安倍晋三だ - なぜ指摘され非難されないのか_c0315619_14532437.pngもう一つ、偶然といえば、とんでもなく悪い偶然に2月に襲われた。ロシアのウクライナ侵攻という最悪の禍患に遭遇した。安倍右翼は小躍りして吉報に歓喜したことだろう。改憲と核武装(南西諸島へのINF配備)の政治の遂行の上で、これ以上ない順風の条件を神が与えたことに感謝したに違いない。他方、私は悲観して蒼ざめ、老害プーチンの軽挙と過失を恨んで嘆いた。世の中、一寸先は闇で何が起きるか分からない。庶民は神の気まぐれにただ狼狽するばかりで、人間主体の無力に感じ入るのみの存在でしかない。民主主義とか、言論とか、何のことだろうという虚無的な思考を最近は強く持つ。

尚、リンクした6月8日の記事末尾に添付した画像が消え、ファイル名だけが剝き出しで醜く並んでいるのは、不具合ではなく、私が削除したからである。エキサイトのブログの画像容量をオーバーしたため、やむなく過去の画像を消去し、新しい記事の画像のための容量を捻出確保している。つまり、エキサイトの当ブログはハード的に寿命を迎えたという意味で、新しい転居先(ボリューム)を探さないといけなくなった。note に引っ越そうと考えている。これまで、エキサイト、FC2、エキサイトと変わり、3回目の引っ越しとなる。トレードマークだった画像表示の独自スタイルが変更を余儀なくされるかもしれない。

新しいチャレンジが始まる。神様は公平だと思う。庶民は前を向いて努力だけすればよい。最後に、それにしても、原爆の惨禍を国民が振り返る大事な季節に、なぜ「反撃能力」の中身に光が当たって批判されることがないのだろう。年に一度だけ、保守を含めた多くの国民が平和憲法の精神に接近するこの季節に、悪魔のINF配備政策が問題になって糾弾されないのだろう。マスコミだけでなくネットでも。不思議だ。

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