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徽宗皇帝のブログ

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無責任国家日本
今日は首都機能移転、つまり遷都の問題を考えるつもりだったが、まだ頭が機能していないので、とりあえず、今日のネット記事の中で興味を引いた「株式日記と経済展望」の記事を転載する。
今の日本の問題は、この国の根本にある無責任体制・国家私物化・官僚支配・国民洗脳システム・米国による遠隔操縦などが原因であると思われるが、それらはもう耳にタコができるくらい論じられてきてはいる。それらの議論が一般国民に届いていないと言えば、そうかもしれないが、ではいつになったら国民の耳に届くのか。
インターネットの普及によって状況は確かに変わってきている。政府広報が嘘だらけだというのも多くの国民が知るようになってきてはいる。
だが、それで起こるのは、ただのあきらめではないかと私は危惧している。
「この現実は変えようがない」「やっても仕方がない」「社会変革のために行動して自分が不利益を受けるのはいやだ」という考えが国民一般の、特に若者の心にはあるのではないか。

日本を変えるには、「シカタガナイ」をまずやめることが大事だとウォルフレンはその著書で言っているが、まさしくその通りである。
「変わるはずがない」というのはただの空想にすぎない。一見現実的判断に見えても、それは「変わるはずだ」という希望と同様に、まだ空想にしかすぎないのである。どちらも、行動し、現実への影響を見てからのみその真実は分かるのである。
頭の中だけで問題を終わらせるのは私自身の性向でもある。それをやめねばならない、と自戒をこめてそう思う。この拙いブログを書くのも、社会変革への一貢献のつもりなのである。

下記記事は日本上層部の無責任体制が、軍人官僚(という言い方は不適切かもしれないが)を代表に、官僚に伝統的なものであることを示している。



(以下引用)


富永恭次は、1945年(昭和20)1月9日米軍がルソン島に上陸し、フィリピンでの日本の敗退が明らかになると、部下を置き去りに台湾に逃亡。全く処罰 (予備役にまわされたが復帰) されず戦後ものうのうと生きながらえた。
彼らは一様に、「散る桜,残る桜も散る桜」「貴様たちだけを死なせはしない」「最後の一機で俺も特攻に出撃する」といいつつ特攻はしなかった。敗戦の責任を大元帥閣下に死して詫びを入れるのが武勲のみを誇った司令らの身の処し方と考えるが、そのような事も一切行われなかった。  海軍で予備学生の墓場と云われた元山航空隊(七生隊)の青木泰二郎司令は、自らの武勲を誇るために多くの特攻を命じたが、敗戦確実を知るや昭和20年(1945)8月11日、兵を置き去りにして元山空(朝鮮)から一部の上級幕僚、ならびに家族ともども日本に逃亡した。海軍軍人は人間が腐っている。 彼の画像入りWebサイトはこちら
殉国の至情に基づく輩が勝手に酸素魚雷を組み合わせ人間魚雷回天を製造し、これまた勝手に山口県大津島に訓練基地を作り、潜水艦長とつるんで、勝手に出撃し自爆したというのであろうか。 志願が聞いてあきれる。  かっての帝国陸海軍は兵が勝手に国家の資産である航空機と国家の資産である爆弾と国家の当時油の一滴は血の一滴というほど貴重なガソリンをパイロットが盗み出し米艦に突入を繰り返えさせたのか。 兵が兵器を盗み勝手に使用することを黙認したのであれば犯罪の片棒を担いだことになる。また、特攻兵は犯罪者となる。  特攻出撃で不時着帰還者を更に特攻に出している史実をどう説明するのか。
この国はかって国家と国民を破滅の淵に導いた戦争指導者を一度たりともその責任を追求してしてこなかった。
1945年3月21日,大分県宇佐海軍基地の第721海軍航空隊「第一回神雷桜花特別攻撃隊」は,人間爆弾「桜花」15基を運ぶ一式陸攻15機と別途3機,護衛戦闘機30機(計画は55機。25機故障で離脱)で出撃し、特攻隊は全滅。これは「大和」海上特攻2週間前の悲劇である。 人間ロケット自爆部隊、神雷部隊神雷部隊(150名)のうち予備学生(学徒兵)・予科練(少年兵)の出身者は143名、海軍兵学校出身者は7名。護衛戦闘機10機が撃ち落とされ、合計160人が一度に消えた。隊長 野中五郎少佐*。特攻隊を陣頭指揮し戦死した佐官以上の高級将校は、「桜花」部隊の野中五郎少佐ただ一人。海軍兵学校出身者は,ほとんど特攻出撃していない。特攻隊の人選は、未熟練な学徒兵と少年兵に集中していた。「特攻は自然発生的な志願である」のなら、なぜ(死後昇進ではなく)出撃時に佐官以上の高級将校が特攻しなかったのか?。 また均等に兵学校出身者が存在しないのか?

昨今の官僚(厚生労働、社会保険庁) エリート(キャリア)がものを言うすべを持たない弱者(国民大衆)を踏み台にしているのと同じ図式である。丙種飛行予科練習生、以下 乙飛、甲飛のノンキャリアの命を士官学校卒業のキャリアが弄んだと誰が否定できようか。
1945年4月6日、戦艦大和以下の特攻艦隊に乗り合わせた男達は、自らに課せられた任務と、日本の安危を救わんとし、倒れた。彼ら倒れた兵らの力不足だったのか?。否、用兵を誤ったのだ。ならば、その作戦の立案者と天皇の補弼者らは、当然死してその責を負うべきであった。だが悲しいかな、過去も現在もこの国は一度として、結果の責任を論じてこなかった。
2007年6月、この国と地方自治体の総負債は一千兆円を超えると報道された。この超破産状態を招来した責任も取らず、ツケのすべてを責任の無い子や孫の代に押しつけることに平然としている。
靖国神社公式参拝を政治公約とした、あのキツネ目が首相だった5年間だけでも負債は二〇〇兆円増加した。
国技といわれている相撲界。時天山死亡問題、横綱朝青龍の遊び惚け問題。その対応、後手後手トップの理事長が平然と居座り。2007年9月、国会冒頭の所信表明演説ののち、「僕やめたァ~」と病院に逃げ込んだ総理大臣。 この無責任、非常識は今に始まった問題ではない。
先の大戦の、あれだけの惨禍をもたらした責任さえうやむやにした体質は、今後の政治責任さえうやむやにし続けるだろう。

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