忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

特定秘密保護法案はクーデターである
「櫻井ジャーナル」のような有名ブログを転載するのは、あまり意味のないことかもしれないが、まあ、「貧者の一灯」として拡散に協力しているつもりである。


公の情報は主権者のものであり、国民を主権者だとしている日本では国民にそうした情報を政府は知らせなければならない。こうした政府の義務を免除する法案が憲法違反だとうことは明らかで、問題の法案は一種のクーデターだと言わざるをえない。


私がこの記事を転載するのは、主に上記の一節のためである。このことが言われた例を私はほかには知らない。






(以下引用)


1980年代から加速したマスコミの劣化、そして国民の無関心によって特定秘密保護法案は誕生


カテゴリ:カテゴリ未分類

 日本のマスコミが気骨あるジャーナリストを露骨に排除し始めたのは1980年代のことである。手間暇かけて記事を書いたり番組を制作するより、政府や大企業などが提供する情報を横流しにした方がコスト・パフォーマンスは良く、儲けが大きいとマスコミの経営者は判断、有能な記者は必要ないということになったのだろう。

 支配層と癒着すれば情報を優先的に提供してもらえる。勿論、そうした情報は支配層にとって都合良く加工されているわけだが、手間暇かけずに情報が手に入るので経営的にはありがたい。この仕組みなら支配層と対峙し、攻撃されるリスクも少なくなり、スポンサーとの関係も良好になる。「バブル」の時代、広告に苦労はせず、読者/視聴者も内容を問わないという事情もあった。

 そうした流れの中、1987年5月に兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局が襲撃され、そこにいた小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負う。「赤報隊」を名乗る人物、あるいは集団から犯行声明が出されているが、事件は未解決である。この事件で日本のマスコミが「びびった」ことは確かだろう。

 支配層と手を組めば低コストで情報は手に入り、様々なリスクは低下する。限られた同業者で一種の特権集団を形成し、部外者を排除すればビジネス的にも楽だ。そうした環境にどっぷりつかったマスコミが情報公開の徹底に消極的なのは必然であり、「秘密保護」にも鈍感になる。そうした歴史の延長線上に今回の特定秘密保護法案は出てきたわけだ。

 公の情報は主権者のものであり、国民を主権者だとしている日本では国民にそうした情報を政府は知らせなければならない。こうした政府の義務を免除する法案が憲法違反だとうことは明らかで、問題の法案は一種のクーデターだと言わざるをえない。

 この法案には官僚たちの夢が詰め込まれているのだろうが、自分たちの情報支配に対する欲望が露骨すぎて、アメリカからも批判の声が挙がった。10月29日付けのニューヨーク・タイムズ紙でも法案が批判されている。政府が自分たちにとって不都合な情報を秘密に指定し、国民から知る権利を奪うものだというわけだ。

 11月11日に日本外国特派員協会は特定秘密法案について、報道の自由や民主主義の根本を脅かすと批判、法案の撤回か、報道活動を脅かさないように大幅な修正を求めるという内容の声明文を出した。

 アメリカでも有力メディアは1970年代の後半から気骨ある記者を排除、21世紀に入ってから戦争の旗振り役として「大活躍」。支配層のプロパガンダ機関化が顕著だ。こうした環境の中にいる「外国特派員」も特定秘密保護法案は認められないと考えた。

 同じ日、日本のマスコミで仕事をしている8名が記者会見を開き、特定秘密保護法案に反対すると表明している。その8名とは青木理、大谷昭宏、川村晃司、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎。

 この席上、「おそらく、最初は米国との軍事情報に限られた話だったのだと思う。しかし、そこへいろいろなものが入ってきて、どんどん一気に悪乗りしてこういう法に作ってしまったという感じがする」と語った岸井を批判する声もあるようだが、アメリカの要請に日本側が「悪乗り」したとする推測はおそらく正しい。アメリカから批判が出ている一因はこの辺にあるのだろう。

 この法案には反対なのだが、権力と組織上層部に怯えて自分の意思を表明できない人たちもいたという。ファシズム化を支えているのはそうした人びとなのだ。少し前に書いたが、マーチン・ルーサー・キング牧師は1963年4月、「バーミンガム刑務所からの手紙」で「悪意ある人びとの憎悪に満ちた言動だけでなく、善意の人びとの驚くべき沈黙」を批判している。







拍手

PR

コメント

コメントを書く