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徽宗皇帝のブログ

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異物受け入れのコスト
スェーデン(スウェーデン?)の移民暴動に関する「ネットゲリラ」コメントの中の、次のコメントが面白かったので転載する。
実際、少子化問題が騒がれていたのは、労働力減少を恐れる政府官僚や企業が騒いでいたのであり、日本国民にとっては少子化で人口が減少したら住宅問題も雇用問題もすべて解決し、いい事づくめのはずだったのである。まあ、大学入試の小論文などで「少子化万歳論」を書いたら、不合格だっただろうが、私が受験生ならそう書いていただろう。何せ、私は頭が中学生だから、「世渡り優先」思考ができないのである。そういう意味では私より大人の高校生や中学生はたくさんいる。世渡り名人は子供にもたくさんいるのである。そういう連中が社会の中核にいるから、日本人はシープルズ(羊人間集団)になるのでもあるが。その結果は、「時給300円」の世の中である。
戦後の高度成長期に日本は社会のすべてのインフラを充実させ、生活環境の面では、これ以上必要なものは無い、というところまで来ていた。ただ、「人口が多すぎた」だけである。それが少子化によってすべての人に社会的設備が行きわたる事が可能になったのだが、今度は「労働力が足りない。移民を受け入れろ」という話が産業界から出てきたわけだ。要するに「時給350円以下で働く奴隷」が産業界には必要だ、ということである。
別のコメントにあったが、「移民のメリットは企業が得るが、デメリットは社会が受ける」という点をもっと議論の核にしなければならないだろう。その点が移民問題を論じる公の議論では隠されているのではないか。簡単な話、これもコメントの中にあったのだが、学校に外国人が一人入ると、その生徒のためにどれだけの「インフラ整備」が必要になり、コストがかかる事になるか、考えてみればいい。これは障害児を普通学級に受け入れる場合にも共通する問題だが、こうした特殊な立場の人間の人権が声高に言われるのに対し、周囲の受ける迷惑やコストを論じると、「非人間」扱いにされる風潮があるのではないか。
この問題は「乙武VSイタリアンレストラン」騒ぎの底流にもあるように思われる。
もちろん、「多様性」混在のメリットというものもあることは当然の話だが、デメリットに頬かむりばかりして、偽善的議論をするべきではない、ということだ。そこで、この記事のタイトルも「異物受け入れのコスト」という、やや刺激的なものにした。



(以下引用)




117 アフリカゴールデンキャット(兵庫県). 2013/05/23(木) 19:00:12.14 ID:HVCGSw+x0

このまま人口が減るって言うけど
戦後の人口爆発で増えた分が減るだけで
衰退しているわけではないんだよ
今も30年後も日本の労働力はかなり余ってる
日本国内に労働力と見なされない無職やニートがいるけど
同じ水準かそれ以下の人間を海外では直接雇ってる
委託先も含めれば膨大な数だ
企業が足りないって言ってるのは
時給350円以下の低賃金で働く奴隷なんだよ
移民政策では雇用形態も変わって
最低賃金もかなり引き下げるつもりだぞ
トヨタが言うには時給は300円くらいがちょうどいいとかほざいてるくらいだしな
もう世界中の富裕層だけ集めてどっか移り住めよ






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