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徽宗皇帝のブログ

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福島は棄民されている
「長周新聞」記者座談会を転載。
大マスコミもネットも現在のトピックだけを扱い、「現在も続く過去」を検証することはほとんど無い。それが、あらゆる問題の根本解決を不可能にしている要因の一つであるが、長周新聞には、その粘り強い検証姿勢がある。実に得難いメディアであるが、あまり有名ではないと思うので、できるだけ拡散したいものである。
下記座談会を見れば、「反戦な家づくり」の明月氏(山岸飛鳥氏)が言うとおり、福島棄民政策、および福島オンカロ(核廃棄物投棄所)化計画が事実であることは明らかだろう。
農業復興や漁業復興に関しては、これまでの農協や漁協の利権構造についての批判もあり、必ずしも企業の農業や漁業への参入が絶対悪だとも私には思えないが、それが「コーポラティズム」の拡大にならないように監視していく必要は大いにあるだろう。
長周新聞の持つ「左翼的姿勢」(本当は「人民主義的姿勢」だが)を一般人が嫌う可能性もあるし、また、記者の意見を取捨するのは読み手の勝手だが、とりあえず、資料としてだけでも下記座談会の内容は貴重な情報を含んでいると思う。
しかし、被災から2年経って、なお避難所暮らしをしている人がこれだけの数いるということは、日本の政治において一般国民の基本的人権などまったく無用視されていることを如実に示しているのではないだろうか。




(以下引用)



   復興阻む国の放置との矛盾極点
東北大震災2年・記者座談会
               震災に乗じTPP先取り    2013年3月11日付


 未曾有の被害をもたらした東日本大震災と福島第1原発爆発事故から2年が経過した。被災地では、いまだに過酷な避難所生活を強いられ、政府の意図的な放置政策が復興の足かせとなっている。農漁業などの生産者を中心にした下からの復興の努力のなかで政府との矛盾が激化している。本紙は岩手、宮城、福島3県に記者を派遣し、被災地の状況を取材した。2年を経た被災各地の実情とともにその対立点、今後の展望について座談会をもって整理した。
 
 未だに過酷な避難所生活 福島

 A 2年経った被災地の現状から見てみたい。
 B 福島県では、いまだに15万人あまりの避難生活が続いている。原発立地町とその周辺では、双葉町民が埼玉県加須市の騎西高校で避難生活をしているのをはじめ、県内外の仮設住宅や借り上げ住宅に約6万人が散らばって避難生活をしている。
 双葉町が仮役場を置く騎西高校で暮らす双葉町民たちは、「2年経った今でもまさかここで生活しているとは思いもしなかった…」と疲れ切った表情を浮かべていた。今も高齢者を中心に130人が、だだっ広い体育館や教室に畳を敷き、それぞれの世帯が段ボールで区切られた過酷な環境で生活している。風呂や生活家電はすべて共同利用で、3度の食事はいまだに弁当。それも昨年9月から有料になって費用がかさむが教室なので自炊できる環境も整っていない。各自が炊飯器などを持ち込んで米を炊いたりしていた。2年前からなにも変わっていないし、完全に放置されている。
 そのなかで、よりどころのない高齢者たちは、地元では日常だった畑仕事も奪われてやることがなく、体調を壊しやすい体になったり、足腰を弱めて全身が衰弱したり、落ち着くことのできない生活で精神的にまいっている人も多い。故郷に戻れない悔しさと寂しさを抱え、人付き合いもなくなって孤独死や病死する人が増えている。これ以上の避難生活が続けば、もっと死者も増えるのではないかと、被災者同士がお互いを心配している状況だった。
 今後の見通しがたたないなか、六月からは役場だけが福島県いわき市へ移転する。仮設住宅に移れば、これまで励ましあってきた町民同士がバラバラになるし、光熱費、家具、家電などの自己負担を迫られるため、不便であっても避難所に身を寄せてきた高齢者が多く、結束する核となってきた役場がなくなり、高齢者だけがとり残されることへの不安は大きい。“国に見捨てられ、東電に見捨てられ、今度は町にまで…どうすればいいのか”という心境が語られていた。また、東京のマスコミが住民の声をおもしろおかしく書き立てて、“立地町は原発でこれまでいい目にあってきたのだろう”“自業自得だ”といわんばかりの加害者のレッテルを貼られることもあわさって、町民は自由に思いを語ることさえ難しい重苦しい雰囲気が漂っていた。
 C 前町長が政府や県と対立して辞職したが、住民のなかでも、被災者の生活を放置しながら、中間貯蔵施設ありきで動いている国の政策に激しい怒りがある。騎西高校にはグラウンドもあり広い駐車場もあるのに、仮設さえも建てずに段ボール暮らし。放射能による健康被害も軽視はできないが、年間1㍉シーベルトを浴びることよりも、こんな過酷な避難所暮らしを2年も続けさせる方がよっぽど殺人的だ。双葉町現地でも日に日に線量は下がっており、「地元帰還」の要求は根強い。なによりも先祖代代受け継いできて、生活の糧であり、なにものにも代えがたい故郷を、東京などから見た「資産価値」の査定で二束三文で売り飛ばすことなど簡単にできるわけがない。この2年で国はなにをやってきたのかということだ。
 安倍政府の石原伸晃環境大臣は8日、地元に事前の連絡もせずに中間貯蔵施設の現地調査を始めたことを公言した。候補地にあげられた大熊、双葉、葉の3町の同意を受けるための説明中であったにもかかわらず、「お前らは黙って従え!」の態度をむき出しにしている。郡山市の仮設住宅で暮らす浪江町の住民は、「土地や建物には表面的な価値以上に愛着や思い出が詰まっている。その住民の意向など無視して一方的に東電は“あなたへの補償はこれだけ”という押しつけで何度抗議をしても返答がない」と悔しさをぶつけてきた。「補償でもめているあいだに、東電も政府も私たちが死ぬのを待っている」「原発もろとも心中しろということか」といわれていたが、地元無視に対する怒りは激しくならざるを得ない。

 ずさんな国の除染作業 ゼネコン儲ける仕組

 D 2年経って、政府やマスコミが騒ぐ放射能のリスクに対して住民たちは冷静さを持っている。帰村宣言をした川内村のように戻って頑張ろうという地域もあり、高齢者を中心にして「放射能の影響が少ない自分たちが将来若者が帰ってこれるように故郷を復興するのだ」と誇りをもって村を立て直している。仮設や避難所暮らしでじっとして病気になったり、死んでいくくらいなら、少少の放射能を浴びようが戻って地元を復興させたいという思いは強い。
 一方で、国の除染計画がずさんすぎることが話題になっていた。南相馬市の小高区でも警戒区域が再編されて入れるようになったとき、住民は「やっと戻れる希望が見えた」と毎日毎日避難所から足を運び津波で破壊された家の片付けをおこなった。しかし、居住地域の除染や下水などのインフラ整備を放置しているため、帰って地元を復興させるという住民の意欲を押し潰している。
 B 除染作業では、自治体が管轄する地域と国が直轄して鹿島、大林、大成などのゼネコンが請け負っている特別地域との差が激しい。南相馬市では、除染した際の土砂や草木の仮置き場が決まらないことを理由にしてゼネコンによる除染が1割程度しか進んでいないといわれている。山林の落ち葉を集めるが、すぐ落ち葉がたまってそれを集める…の繰り返しで住宅地の除染まで進んでいないという。作業員が訪れる食堂の店主は、「地元業者が除染を請け負ったら1万5000円前後だが、ゼネコンには国から作業員1人あたり日割りで10万円が支給され、親会社が4割ピンハネして下請け作業員にやらせているという。長引けば長引くほどもうかるビジネスになっているが、それが復興につながっていない」といっていた。除染が進まないので若者が帰還せず、職場では求人が溢れているのに働き手がいない。病院などでも人手不足が深刻化している。住民生活そっちのけで、原発建設でもうけたゼネコンが、作ってもうけ、壊してもうけ、除染でもうけるという仕組みになっていると指摘していた。
 そもそも政府は、もっとも放射能が放出されている時期は住民には教えず、みすみす放射能のなかにさらした。東電も1号機の格納容器のベント(放出)作業をする五時間も前から放射能がすでに10㌔圏内に拡散していることを知りながら住民に知らせず、県も放射線量が通常の700倍にも達していたことを示すモニタリングのデータを消去していたことが今年2月になって明らかになっている。もともと「住民のことなど知ったことか」という姿勢が二年経っても貫かれている。
 C 放射能の拡散で福島県の農業は、全県的に壊滅的な被害を受けたが、生産者の粘り強い復興の努力で立て直しが進んでいた。昨年は米の作付けを制限された二本松市や福島市、伊達市などでも作付け制限が次第に解除され、「復興へ向かって前進できる」と喜び、「生産できることだけで幸せだ」と生産意欲を高めている。だが、一度離れた顧客をとり返すことの難しさも語られており、黒毛和牛の繁殖をしている畜産農家も、生後1年未満で300㌔㌘までに育てた牛は通常であれば40~50万円の価格で取引されるが、昨夏まで20万円台に下がった。子牛1頭に対する東電からの補償は平均で5万円だといわれていた。
 福島市のリンゴ、サクランボ、桃農家をはじめ、双葉や浪江の若い農業者5人で協同して二本松市で酪農を始めたり、農業者が集団的に除染作業もやって「絶対に立て直す」という意欲が強い。昨年の米の全袋検査でセシウムが検出されたのは、わずか0・0007%にすぎず、きちんと整備した田では米がセシウムを吸収しない事実が明らかになったことも確信になっている。
 D 津波で沿岸部がやられ、基幹産業の水産業が大打撃を受けた岩手、宮城の沿岸部でも、漁業者を中心に生産者に明るさと元気があった。岩手では港のかさ上げも進み、宮古市重茂では大型のクレーン等の設置も終わって、もうじき始まるワカメ漁が心待ちにされていた。震災直後から漁協が核になって復興させてきた田老や重茂では漁師が安心して漁ができる体制が引き続いて確立されており、そのことが明るさにつながっている。
 ただ、陸の復旧を見ると依然として進んでいない。今、一番問題になっているのは沿岸部の津波被災地に暮らしていた人たちの住居問題だ。各地域ごとの移転先は示されたものの着工しているのは一割以下。もともと住んでいた地域は政府から建築規制がかかって更地のまま。そして、高台へ集団移転というが、場所が決まったら、そこから山を切り開き、道路を通して土地造成からはじめなければならず、二八年度まではかかると説明されていた。自分の土地には「戻るな」といわれ、移転先もない。それも、造成されるのは土地だけで、そこに家を建築するのは「自己責任」になるため、年金しかない高齢者、失業者など収入や貯蓄のない人はどうしようもない。年寄りのなかには「今さら借金をして家を建てられるわけがない…できればこのまま仮設でいい」と希望していたり、そもそも返済能力も担保もなく借り入れ自体ができないといわれていた。
 自治体によって補助は違っているが、収入もなく、働かなければ生きていけないなかで現実は厳しいといわれていた。それぞれが瓦礫処理など目前の仕事を見つけて必死で生活している。
 全人口1万6000人のうち1400人が津波で亡くなった大槌町は、建物用地の52%が浸水するなど被災面積の割合は県内で一番ひどいともいわれる。それだけに建築規制で住宅再建のメドがたたないので町民は町外に移住してしまい、今は2000世帯が市街地から八㌔離れた仮設住宅で暮らしている。実質的に町人口すら把握できていない状態だ。見渡す限り更地になった旧市街地で商売を頑張っている住民も「(人口は)実際には8000人ぐらいになっているのではないか。震災前の半分だ」と心配していた。「高台に家を建てるにも個人では借り入れができない。家が建たなければ町には固定資産税も入らない。この状態での放置が続けば、自治体そのものが維持できない」という深刻な現状が語られていた。
 宮城県牡鹿半島の小渕浜など若手漁業者の多い地域では、行政の復旧作業が遅いので、自分たちで作業小屋を建てて漁業を開始した。漁師だけでなく、浜の真ん中にある会社が独自に資材調達などして港を復旧させたことで浜全体に活気があった。3月、4月のワカメ漁の忙しい時期には、石巻市内からもたくさん働きに来るなど、各浜が自力で復興させてきた。行政側の動きがほとんど見えてこないなかで、漁協単位の立ち上がりや、漁師個人の結びつきであったり、それを受け入れる市場や、卸、運送、加工業者の立ち上がりなど、地域によって復旧の原動力もさまざまだが生産者自身の力で生業を再開させてきた。だが、2年たってみて個人や地域の努力では解決できない問題にも直面している。

 風評被害の中で買叩き 大手商社が食い物に

 E その一つが、原発事故で東電が汚染水を海に放出したことからおきた風評被害だ。ちょうど1年前、政府が食品におけるセシウムの基準をそれまでの1㌔㌘あたり500ベクレルから100ベクレルに引き下げたことが「ベクレル・ショック」といわれて各浜を震撼させた。50ベクレルを超えた個体はゲルマニウム検査にかけるなど検査が徹底される。それでも、「安全」は担保できるが消費者の「安心」が担保できないといわれた。「基準値超え」が出てしまえば出荷停止に追い込まれるし、三陸産の魚介類が市場で敬遠されたり、安値で買い叩かれる。それは漁業者だけでなく、加工業者や運送業者にも影響しているが、そのうえに東電が電気料金を15%値上げをするといってきたことに怒っていた。
 C 消費者が買わないだけではなく、「風評」をもっけの幸いに国産を買い叩く商社などの動きがある。震災でブランクができたあいだに、中国産の安価なワカメ、チリの銀ザケ、イサダも中国産が入ってきて軒並み国内シェアを奪っている。そのおかげでワカメも昨年の半値で推移し、銀ザケもキロあたり350円だった単価が200円台以下の低価格に落ち込んだ。イサダはキロあたり20円~30円と半値で低迷。他の魚介類にも共通した現象があり、震災から這い上がってやっと生産体制を立て直したと思ったら、今度は、国際価格競争という津波に襲われているという格好だ。
 B 三菱商事は震災直後にチリの養殖会社を買収し、三井物産は今年はじめチリで合弁会社を立ち上げて銀ザケ養殖に動きはじめている。丸紅も同様の動きをしており、三菱商事や双日は中国、インドネシア、タイなどアジア各国でも養殖事業をはじめている。TPPを先どりする形で輸入依存でもうける商社がチャンスとみて早くから動いている。
 E 宮城県は塩竈、気仙沼、石巻という特定第三種漁港もあり国内最大規模の水産基地だ。水産加工品も全国第2位の生産量という比重を占めていたところだ。だが、震災後、下関の業者にも「三陸で加工ができないから」と請負の依頼がきたが、とても請け負えないほど安値だったと驚かれていた。もともと買い叩かれていたところに震災と原発事故が起きて、それに便乗した商社の輸入拡大でさらに買い叩かれている。

 漁業者も結束して抵抗 水産特区や漁港集約

 D だが、漁業者も黙っていない。宮城県では村井知事が「創造的復興」といって漁港集約、水産復興特区など構想を出したが、漁業者の猛反発を受けて進んでいない。現実に合わないことを無理矢理やろうとしてはねつけられている。「その浜で漁をするからそこに漁港があるわけで、隣の港に持って行くといっても現実的には無理なんだ」といわれるし、水産業復興のためではなく、民間商社の食い物にされるということをみんなが見抜いている。
 小さな漁港は復旧が放置され続けている一方、今月6日、県が「水産特区」のモデル地区としてきた石巻市桃浦で水産特区第1号の漁民会社「桃浦かき生産者合同会社」の出荷が始まったことが大大的に報じられた。だが、村井知事は「民間資本を活用した創造的復興」などといいながら、5億5000万円もの補助金を出している。
 この漁民会社に資本参加した仙台中央魚市の「仙台水産」も乗り気ではないが、村井知事が「補助金事業だから」とそそのかして渋渋乗り出したのだと現地では語られていた。今はこの漁民会社の社員となった養殖漁業者(15人)の漁業権でかき養殖をやっているが、5年ごとの漁業権の更新が今年9月に迫っている。それを機に、県は「特区」を申請して、企業自体に漁業権を与えるという前例を作ろうとしているが、県漁協石巻地区支所の漁業者たちが「反対」の意見書を提出するなど地元漁業者の総反発を受けて申請を先送りしている。社員のほとんどが漁業権を持っているのに、わざわざ「特区」を導入することに固執していることが「だれのための特区制度なのか」という疑念を膨らませている。
 B これまでは漁協の下に企業が加わり、漁協に漁場の使用料を払う関係だったが、「特区」が通れば、資本力を持った民間商社が税金で保護されたうえに漁協の管理から離れて漁業権を行使し、共同して出荷や漁場資源の管理をやってきた沿岸の漁業者を淘汰していくことになる。企業は漁業権を「担保」にして銀行から金を借りることができるため、もうからなくなれば海が銀行のものになることもありうると指摘する学者もいる。
 出荷先も、漁協を通さずに伊藤忠商事系列のヨークベニマルとイトーヨーカドーの47店舗に限定して直接出荷するという。地元漁業者の要求で始まったものではないし、これがはびこれば漁業者が分断され、漁協を中心とした浜の結束はなくなってしまう。文字通りの「もうかる漁業」で漁場保護など度外視したコスト競争に巻き込まれ、漁業者は分断され、漁場そのものが荒廃していくことが問題視されている。これもTPPを先どりして、漁業者が守ってきた国内最大の漁場を民間資本がかっさらっていく土壌作りだ。
 A TPPを既定事実にしたかのように「国際競争力」といって大型化・集約化が進められ、被災地でも商社をバックにしたところは復旧が早いように見えるが、競争に勝つには労働者の低賃金しか考えられない。漁業権をとり上げて、被災漁民を低賃金労働者にすることで、商社の産地直販体制を作ろうというものだ。東南アジアのプランテーションでモンサントなどの欧米企業が現地住民を酷使しているアグリビジネスと同じことを被災地でやろうとしている。商社による“沿岸部の奴隷化”だ。

 生産復興は共同化が要 展望ない企業化

 D 桃浦地区は津波で大部分が被害を受け、高台にあった家が数軒しか残らなかった。家や仕事を失って仮設や避難先から通う人がほとんどだ。合同会社でかき剥きをしている婦人も、「ここで働いている人たちは津波で家をなくした人も多い。ここ以外に働くところもないから」と話していた。復興を遅らせることでそこに追い込んでいるのが実際だ。
 B 協同組合の強い岩手県の重茂や田老のように、漁協が核になり、漁師がとってきたものを、加工・製造、冷蔵、販売までやっていくことで、雇用にもなり、漁師が安心して漁に出られる体制となって安定した収入につながっている。東京が利益を吸い上げていく企業化よりも共同化の方がはるかに展望がある。いちいち“6次産業化”だと持ち上げるが、すでに共同の力でやられている。これを奨励することはしないのも特徴だ。
 C 石巻市でも、加工団地のある魚町周辺の防災計画は、先月やっと県から出されたが、幹線道路に防潮堤をつくり、センサーで開く扉をとり付けると説明されていた。建物は低いのに道路だけかさ上げするので「プールにするつもりか」といわれていた。どの地域でも復興計画が市民生活からかけ離れているため、反発も受けて二転三転している。複数の漁業者が「先祖からずっと海の恵みでご飯を食べてきたんだ。だから海が持って行くのは当然。命さえ助かればまた立て直すだけなんだ」といっていたが、自然に逆らって防災都市を造るから、危機意識や感覚が薄れていくことを危惧する声が強い。
 A 釜石市では被災者の多くが仮設住宅に押し込められ、住むところに困っている人がまだまだいるなか、津波でやられた店舗に大金を投じて、いち早く復興のために頑張ってきた商店街の人人に立ち退きを迫り、イオンの2万平方㍍のイオンタウンをつくる計画を出していた。防潮堤建設などの防災計画とセットで、基盤整備だけで1000億円もの巨額事業。白紙に絵を描くような行政の「まちづくり」趣味で、人の生活を差し置いて「賑わいプロジェクト」をしていることが、必死で立て直してきた住民との矛盾になっている。

 売国政治覆す共通課題 全国的な連帯不可欠

 E 「だれのための復興なのか」が最大の矛盾だ。原発被災地では住民に「心中」を迫って、核廃棄物の処理場として国が奪いとる。津波被災地では、TPPの先どりで商社が漁場まで奪いとる。被災地が困窮していることをいいことにして、政府が今から全国でやろうとしていることを「ショックドクトリン」で強行している。
 B 福島では、自民党の原発政策に対する怒りは強い。原発推進で全国に作ってきた張本人が反省もせずにまた「原発推進」をいうことに「ふざけるな!」という感情は例外なくある。福島原発では、終息どころか、いまだに事故原因の特定すらできていない。山口県上関町ではまだ新規立地の動きがあることを伝えると、「冗談じゃない」と他人事ではないこととして怒っていた。「2年たっても避難生活をしているこの現状を伝えてほしい」といわれていた。
 D 岩手の漁協関係者も、TPPで今以上に魚価が下がって行くことへの危機感と同時に、「TPPの規制緩和で漁業権もおびやかされる」と問題にしていた。「そうなれば桃浦の“特区”どころではない」と。同時に、三陸の豊かな漁場や水産業に対する誇りが強烈に高まっているし、抵抗する力はさらに強まっていく流れだ。これは全国の漁民と共通する思いだ。
 A 野垂れ死にした民主党に引き続き、自民党・安倍政府の棄民政策、売国政策が被災地で典型的に表れている。TPPにしろ、原発政策にしろ、復興に向けて立て直そうとする生産者をはじめとする住民との鋭い対立構図は全国共通の問題だ。安倍政府はアメリカの要求にそってTPPの交渉参加を勝手に表明したが、実態はなにもなく孤立を深める他はない。「日米安保」を根幹としたこの売国政治とたたかう全国的な連帯を強めることが不可欠だ。




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