「ちきゅう座」から転載。
いやあ、「革命」の話は聞いていても書いていても楽しい。というのは、革命とは(それが中南米の「資本家に操られた軍事革命」でない限り)常に弱者の強者に対する反抗であり、正義の戦いだからだ。(この場合は、「正義とは主観の問題にすぎない」とか「弱者の側に正義があるとは限らない」いう正論は擱いておこう)
私は戦争は大嫌いであるが、革命は大好きだ。革命によって「肥った豚」たちが皆殺しにされるのを見たくてたまらない。それがウォール街にいる連中とは限らない。あるいはスイスやオーストリアにいるかもしれない。いずれにしても、金で政治を買収し、民衆の金をさらに奪う「システム」を作り上げた彼らの足元が今、崩れ落ちつつある。
そこで注意すべきことは当然「反革命」の工作員の活動である。革命の内部から革命を崩壊させる活動が、これから無数に起こってくるだろう。
ともあれ、革命はおだやかに進みつつあるようだ。
私はアメリカ人の自主独立への気概と勇気は完全に失われていたと思っていたが、そうでなかったことを喜びたい。
独立戦争直後のアメリカは、まさしく真の「民主主義国家」であった。それが民衆の手から資本家の手に主権が奪われたのが、アメリカの悲劇の原因なのである。
アメリカが国家を再び民衆の手に取り戻したら、それは世界全体に影響を波及させるだろう。
(以下引用)
ウォール街を占拠せよ ―「アメリカの秋」革命は成功するか―
2011年 10月 10日時代をみる 「ウォール街を占拠せよ」ウォール街デモ半澤健市
<半澤健市(はんざわけんいち):元金融機関勤務>
ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアは自作『キャピタリズム:マネーは踊る』(2009年)でウォール街を包囲するといって単身で金融機関のビルに突進する。映画はこの戯画で終わる。
《これほどの規模のデモを見たことがない》
しかしこれが戯画でなくなった。いま、自らを「99%」と名乗る人々は本気で本当に、「1%」人種の象徴たるウォール街にデモをかけているのである。「1%」は少数による富の独占と企業社会を表現している。
2011年9月17日にニューヨーク市南部マンハッタンの一郭に1000人が集まった。座り込みを始めた。この大衆行動は、奇跡的な速度で増殖している。10月1日には5000人がブルックリン橋を占拠した。ニューヨーク警察は一挙に700人を逮捕した。史上空前の数という。警官による暴力の行使、動物を捕らえるようなネットを使う検束、催涙ガススプレイの使用があった。しかしこの強圧にもめげず10月5日には、デモ参加者は2万人規模になった。ニューヨークの友人はメールで「今日は夕方のニュース番組を見ているとニューヨークのダウンタウン(WALL STREETのある)ヘリからの実況で10000人以上の動員をうつしだしていた。放送記者はこれほどの規模のデモを見たことがないと興奮していた」と伝えてきた。
発端は一つのブログだった。「アラブの春」革命に感動したカナダ人編集者カレ・ラースンが自社の雑誌「アドバスターズ Adbusters」のブログに「ウォール街を占拠せよOccupy Wall Street」と呼びかけた。7月13日のことである。9月17日以降の急展開の詳細は一々掲げない。時々刻々状況は変化しているからである。運動は全米に広がり国境も越え始めている。言いだしっぺのラースン自身が「予想外の展開」と驚きを隠さない。
《「ウォール街を占拠せよ」とは何か》
一体、「ウォール街を占拠せよ」運動体とは何者であるのか。活動家、失業者、弁護士、ジャーナリスト、学生などである。無名で不定型の混成部隊である。リーダーすら特定できない。何を要求しているのか。正に「ウォール街を占拠せよ」、「企業社会の大改革」、「経済的アンバランスの公平化」である。まことに抽象的である。
彼らのサイトを開くと次のような宣言が載っている。
▼「ウォール街を占拠せよ」運動は、様々な人種、様々なジェンダー、様々な政治的信条を包み込んだ、リーダーの存在しない抵抗運動である。私達の共通認識は、「私達は、1%の人々の強欲と腐敗とを許せない99%の人々だ」というものだ。私達は革命的な「アラブの春」運動の戦術を用いる。目的達成のために「非暴力」を旨とし参加者全員の安全を最大限に重視する。
リーダーなき不定型集団によるアメリカ資本主義の現実に対する根源的な批判だ。始まったばかりのこの運動を、私は「アメリカの秋」革命になるのではないかと直感している。それは次の理由による。
一つはアメリカ経済の悲惨な現実
二つは運動主体の多様性
三つはソーシャルメディアに始まる下からの革命
《「アメリカの秋」革命になるのではないか》
アメリカ経済は、新自由主義を信条とする金融資本主義の破綻に帰結した。9%を超える失業率。一流大学を出ても就職できない。若年層の失業率は30%に近い。4600万人の貧困層が存在する。「アメリカン・ドリーム」の時代は過ぎ去った。
2008年のリーマン恐慌では、「国益」を理由にブッシュ政権は巨額の税金を投入して金融メカニズムの危機を救った。私的企業のツケが国のツケに回った。財政危機である。ツケは大衆の生活を脅かしている。国際的な支援―世界の経済大国による米国債の購入―がなければ、米連邦財政は債務不履行に陥るだろう。外国からの借金は米国GDPの半額にも達している。
私は、米国経済の様子を堤未果の『貧困大国アメリカ』(岩波新書)正続2冊や、上記のムーア作品の紹介によって示した。期待されたオバマ政権は、大統領自身の意識はどうあれ、「ウォール街」のウォールを突破出来なかった。それどころか茶会派と称する反福祉右翼の反乱に遭遇している。
「ウォール街を占拠せよ」運動の主体は多様であり不定形である。
報道をみる限り、彼らの運動は、「反金融資本」、「アフガン反戦」、「環境保護運動」、「緊縮財政への反発」、「政治一般への不信」などの大衆のあらゆる不満、怒り、要求を抱えた総合体である。
《運動内部の自己認識》
運動内部の自己認識を二つ紹介する。
独立系ジャーナリストのアルン・グプータは言う。
▼この運動が成功しつつある理由は具体的な要求を持たないからであり、不定形であるからだ。それは限界でもあり具体策を提示する必要を否定しない。しかし、我々が最初から具体的要求を示したら運動は失敗したと思う。メディアは要求をみて、「物足りない」とか、「画に描いた餅」などと批判するからだ。また運動内部でも政策を巡る対立が起こるからだ。不定形こそが運動を推進し「破綻した経済システム」への憤怒を継続させるのである。(10月5日、ネット配信番組〈Democracy NOW!〉で番組アンカーのエイミー・グッドマンの質問に答えて)
また参加者の1人でニューヨーク市立大の歴史学教授ジェラルド・レニークは言う。
▼20年の時間軸で見て、今起こっている現象は、金融業とカジノ資本主義を基盤とする奇態な経済モデルの総決算だ。大量の新卒大学生・高校生を吸収する経済構造が近い将来にできるとは思えない。この運動が提起しているのは、我々には新しい選択肢が必要であるということだ。その選択肢は、危機からの脱出した上での、「文明の新しいモデル」というべきものだろう。(〈Democracy NOW!〉9月30日)
いずれも見事だが、危うさを含む運動論である。
一方で有識者の支持が拡がっている。経済学者ジョゼフ・スティグリッツ、言語学者ノーム・チョムスキー、芸術家オノ・ヨーコ、女優スーザン・サランドン、映画監督マイケル・ムーア、反体制哲学者コーネル・ウェスト、ジャーナリストのナオミ・クラインらが連帯の気持を表明している。金融業者ジョージ・ソロスまでが「率直に言ってデモ参加者の気持ちはわかる」と発言した。
《不定形組織が先行し巨大労組が参加する》
ソーシァルメディア先行の運動に伴う興味ある事実がある。
10月5日のデモが2万人規模に膨らんだ理由の一つに、有力な労働組合と大学生の積極参加があった。特に、交通労働者、教職員、小売店員、看護師などの主要労組が決起して合流した。
組織労働者が先行して未組織団体が後続するのが普通の構図であるのに反対のことが起こったのである。
『ニューヨーク・タイムズ』(10月5日・電子版)は「エネルギーを求めて労組が反ウォール街闘争に参入 Seeking Energy,Unions Join Protest Against Wall Street」という記事で、労組内部にあった苦慮と決断を報じている。ヒエラルキー型の大労組の幹部会議で、「反ウォール街運動の彼らは何者であるのか」との疑問が出た。一部幹部は、彼らは労組を「運動を取り込み運動を疎外する者」とみて反発するだろうと懸念した。他の幹部は、政府糾弾を叫ぶ極左活動家に悩まされるのを恐れた。しかしある労組では、下部組合員から「我が労組はなぜウォール街にいないのか」と突き上げがあったという。AFL・CIO幹部は「今が具体化の時だ」と言い、多くの労組は運動への参加をコミットした。この記事は官僚的な既成労組と運動の間に存在する思考形式と世代間のギャップを示している。
《閉塞感のなかに祈るような気持で》
さて「ウォール街を占拠せよ」運動は今後どう発展するだろうか。
短期的には急速な展開があると思う。オバマ政権は右からの茶会派に対抗する「リベラルな茶会派」として政局に活用したいだろう。巨大労組はこの運動の戦略的活用を考えるであろう。運動自体は拡大するにつれて、「リーダーと組織」という「官僚機構」の造出が必要になるだろう。「マニフェスト」または「具体的要求」が必要になるだろう。その時に彼らは自立性と統一性を保持できるだろうか。運動が「文明の新しいモデル」を創り出すには、「自立」と「連帯」という困難な課題を克服しなければならないだろう。
この運動は「アメリカの秋」革命になるのではないか。私の直感は殆ど祈りに似ている。日本の反原発運動と同根のものが確かにあるのだ。ウォール街に発した運動は我々にも正面から覚悟を迫っている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1656:111010〕
いやあ、「革命」の話は聞いていても書いていても楽しい。というのは、革命とは(それが中南米の「資本家に操られた軍事革命」でない限り)常に弱者の強者に対する反抗であり、正義の戦いだからだ。(この場合は、「正義とは主観の問題にすぎない」とか「弱者の側に正義があるとは限らない」いう正論は擱いておこう)
私は戦争は大嫌いであるが、革命は大好きだ。革命によって「肥った豚」たちが皆殺しにされるのを見たくてたまらない。それがウォール街にいる連中とは限らない。あるいはスイスやオーストリアにいるかもしれない。いずれにしても、金で政治を買収し、民衆の金をさらに奪う「システム」を作り上げた彼らの足元が今、崩れ落ちつつある。
そこで注意すべきことは当然「反革命」の工作員の活動である。革命の内部から革命を崩壊させる活動が、これから無数に起こってくるだろう。
ともあれ、革命はおだやかに進みつつあるようだ。
私はアメリカ人の自主独立への気概と勇気は完全に失われていたと思っていたが、そうでなかったことを喜びたい。
独立戦争直後のアメリカは、まさしく真の「民主主義国家」であった。それが民衆の手から資本家の手に主権が奪われたのが、アメリカの悲劇の原因なのである。
アメリカが国家を再び民衆の手に取り戻したら、それは世界全体に影響を波及させるだろう。
(以下引用)
ウォール街を占拠せよ ―「アメリカの秋」革命は成功するか―
2011年 10月 10日時代をみる 「ウォール街を占拠せよ」ウォール街デモ半澤健市
<半澤健市(はんざわけんいち):元金融機関勤務>
ドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーアは自作『キャピタリズム:マネーは踊る』(2009年)でウォール街を包囲するといって単身で金融機関のビルに突進する。映画はこの戯画で終わる。
《これほどの規模のデモを見たことがない》
しかしこれが戯画でなくなった。いま、自らを「99%」と名乗る人々は本気で本当に、「1%」人種の象徴たるウォール街にデモをかけているのである。「1%」は少数による富の独占と企業社会を表現している。
2011年9月17日にニューヨーク市南部マンハッタンの一郭に1000人が集まった。座り込みを始めた。この大衆行動は、奇跡的な速度で増殖している。10月1日には5000人がブルックリン橋を占拠した。ニューヨーク警察は一挙に700人を逮捕した。史上空前の数という。警官による暴力の行使、動物を捕らえるようなネットを使う検束、催涙ガススプレイの使用があった。しかしこの強圧にもめげず10月5日には、デモ参加者は2万人規模になった。ニューヨークの友人はメールで「今日は夕方のニュース番組を見ているとニューヨークのダウンタウン(WALL STREETのある)ヘリからの実況で10000人以上の動員をうつしだしていた。放送記者はこれほどの規模のデモを見たことがないと興奮していた」と伝えてきた。
発端は一つのブログだった。「アラブの春」革命に感動したカナダ人編集者カレ・ラースンが自社の雑誌「アドバスターズ Adbusters」のブログに「ウォール街を占拠せよOccupy Wall Street」と呼びかけた。7月13日のことである。9月17日以降の急展開の詳細は一々掲げない。時々刻々状況は変化しているからである。運動は全米に広がり国境も越え始めている。言いだしっぺのラースン自身が「予想外の展開」と驚きを隠さない。
《「ウォール街を占拠せよ」とは何か》
一体、「ウォール街を占拠せよ」運動体とは何者であるのか。活動家、失業者、弁護士、ジャーナリスト、学生などである。無名で不定型の混成部隊である。リーダーすら特定できない。何を要求しているのか。正に「ウォール街を占拠せよ」、「企業社会の大改革」、「経済的アンバランスの公平化」である。まことに抽象的である。
彼らのサイトを開くと次のような宣言が載っている。
▼「ウォール街を占拠せよ」運動は、様々な人種、様々なジェンダー、様々な政治的信条を包み込んだ、リーダーの存在しない抵抗運動である。私達の共通認識は、「私達は、1%の人々の強欲と腐敗とを許せない99%の人々だ」というものだ。私達は革命的な「アラブの春」運動の戦術を用いる。目的達成のために「非暴力」を旨とし参加者全員の安全を最大限に重視する。
リーダーなき不定型集団によるアメリカ資本主義の現実に対する根源的な批判だ。始まったばかりのこの運動を、私は「アメリカの秋」革命になるのではないかと直感している。それは次の理由による。
一つはアメリカ経済の悲惨な現実
二つは運動主体の多様性
三つはソーシャルメディアに始まる下からの革命
《「アメリカの秋」革命になるのではないか》
アメリカ経済は、新自由主義を信条とする金融資本主義の破綻に帰結した。9%を超える失業率。一流大学を出ても就職できない。若年層の失業率は30%に近い。4600万人の貧困層が存在する。「アメリカン・ドリーム」の時代は過ぎ去った。
2008年のリーマン恐慌では、「国益」を理由にブッシュ政権は巨額の税金を投入して金融メカニズムの危機を救った。私的企業のツケが国のツケに回った。財政危機である。ツケは大衆の生活を脅かしている。国際的な支援―世界の経済大国による米国債の購入―がなければ、米連邦財政は債務不履行に陥るだろう。外国からの借金は米国GDPの半額にも達している。
私は、米国経済の様子を堤未果の『貧困大国アメリカ』(岩波新書)正続2冊や、上記のムーア作品の紹介によって示した。期待されたオバマ政権は、大統領自身の意識はどうあれ、「ウォール街」のウォールを突破出来なかった。それどころか茶会派と称する反福祉右翼の反乱に遭遇している。
「ウォール街を占拠せよ」運動の主体は多様であり不定形である。
報道をみる限り、彼らの運動は、「反金融資本」、「アフガン反戦」、「環境保護運動」、「緊縮財政への反発」、「政治一般への不信」などの大衆のあらゆる不満、怒り、要求を抱えた総合体である。
《運動内部の自己認識》
運動内部の自己認識を二つ紹介する。
独立系ジャーナリストのアルン・グプータは言う。
▼この運動が成功しつつある理由は具体的な要求を持たないからであり、不定形であるからだ。それは限界でもあり具体策を提示する必要を否定しない。しかし、我々が最初から具体的要求を示したら運動は失敗したと思う。メディアは要求をみて、「物足りない」とか、「画に描いた餅」などと批判するからだ。また運動内部でも政策を巡る対立が起こるからだ。不定形こそが運動を推進し「破綻した経済システム」への憤怒を継続させるのである。(10月5日、ネット配信番組〈Democracy NOW!〉で番組アンカーのエイミー・グッドマンの質問に答えて)
また参加者の1人でニューヨーク市立大の歴史学教授ジェラルド・レニークは言う。
▼20年の時間軸で見て、今起こっている現象は、金融業とカジノ資本主義を基盤とする奇態な経済モデルの総決算だ。大量の新卒大学生・高校生を吸収する経済構造が近い将来にできるとは思えない。この運動が提起しているのは、我々には新しい選択肢が必要であるということだ。その選択肢は、危機からの脱出した上での、「文明の新しいモデル」というべきものだろう。(〈Democracy NOW!〉9月30日)
いずれも見事だが、危うさを含む運動論である。
一方で有識者の支持が拡がっている。経済学者ジョゼフ・スティグリッツ、言語学者ノーム・チョムスキー、芸術家オノ・ヨーコ、女優スーザン・サランドン、映画監督マイケル・ムーア、反体制哲学者コーネル・ウェスト、ジャーナリストのナオミ・クラインらが連帯の気持を表明している。金融業者ジョージ・ソロスまでが「率直に言ってデモ参加者の気持ちはわかる」と発言した。
《不定形組織が先行し巨大労組が参加する》
ソーシァルメディア先行の運動に伴う興味ある事実がある。
10月5日のデモが2万人規模に膨らんだ理由の一つに、有力な労働組合と大学生の積極参加があった。特に、交通労働者、教職員、小売店員、看護師などの主要労組が決起して合流した。
組織労働者が先行して未組織団体が後続するのが普通の構図であるのに反対のことが起こったのである。
『ニューヨーク・タイムズ』(10月5日・電子版)は「エネルギーを求めて労組が反ウォール街闘争に参入 Seeking Energy,Unions Join Protest Against Wall Street」という記事で、労組内部にあった苦慮と決断を報じている。ヒエラルキー型の大労組の幹部会議で、「反ウォール街運動の彼らは何者であるのか」との疑問が出た。一部幹部は、彼らは労組を「運動を取り込み運動を疎外する者」とみて反発するだろうと懸念した。他の幹部は、政府糾弾を叫ぶ極左活動家に悩まされるのを恐れた。しかしある労組では、下部組合員から「我が労組はなぜウォール街にいないのか」と突き上げがあったという。AFL・CIO幹部は「今が具体化の時だ」と言い、多くの労組は運動への参加をコミットした。この記事は官僚的な既成労組と運動の間に存在する思考形式と世代間のギャップを示している。
《閉塞感のなかに祈るような気持で》
さて「ウォール街を占拠せよ」運動は今後どう発展するだろうか。
短期的には急速な展開があると思う。オバマ政権は右からの茶会派に対抗する「リベラルな茶会派」として政局に活用したいだろう。巨大労組はこの運動の戦略的活用を考えるであろう。運動自体は拡大するにつれて、「リーダーと組織」という「官僚機構」の造出が必要になるだろう。「マニフェスト」または「具体的要求」が必要になるだろう。その時に彼らは自立性と統一性を保持できるだろうか。運動が「文明の新しいモデル」を創り出すには、「自立」と「連帯」という困難な課題を克服しなければならないだろう。
この運動は「アメリカの秋」革命になるのではないか。私の直感は殆ど祈りに似ている。日本の反原発運動と同根のものが確かにあるのだ。ウォール街に発した運動は我々にも正面から覚悟を迫っている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔eye1656:111010〕
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