要するに、新コロ問題、新コロワクチン問題は、人類が「西洋医学(現代医学)の呪縛から覚醒するいい機会、あるいは最後の機会だ」ということである。
言うまでもないが、私は西洋医学(ロックフェラーが作った医療帝国)のすべてを否定するものではないし、東洋医学だからいいとも思っていない。単に西洋医学は今や宗教化していて、その抑圧力や害悪も偽宗教並みだ、ということである。新コロ詐欺で人類が覚醒しないなら、永遠に覚醒することは無いのではないか。
私は、癌(咽喉癌)にかかった同僚が癌治療を始めて数週間で歩行困難になり、ひと月のうちに死ぬのを間近で見た人間である。それ以来、私は癌治療は癌そのものより恐ろしいと思っているが、癌治療をした人間のすべてがそうなったわけではない。有害な治療と有益な治療があるが、有害な治療をした医者はけっしてその責任を取らないのである。
(以下引用)
しかし、このメンデルソン医師もまた、「若い時には、現代医療を本気で信仰していた」のです。
この著作『医療異端者の告白』の最初の章である「告白」という、普通の本でいう「はじめに」というような部分ですが、そこに、メンデルソン医師がどのように宗教の呪縛から解放され、暗示から目覚めたのかの経緯が書かれています。
少し抜粋します。太字はこちらでしています。
ロバート・メンデルソン『医療異端者の告白』より抜粋
私は現代医学を信じない。いうなれば、医学界の異端者である。本書を書いたのは、一人でも多くの人に現代医学の呪縛から逃れてほしいと願うからだ。とはいえ、私は最初から異端者だったわけではない。それどころか、かつては現代医学を心から信じていた。
医学生だったころ、ジエチルスチルベストロールという合成ホルモンの研究が周囲で行われていたが、私は深く考える努力を怠っていた。現代医学を信じ切っていたからだ。
この薬を妊娠中に服用した女性から生まれた子どもたちのあいだに、20年ほど経って膣がんや女性器障害が多発することになるとは、誰が予想していただろうか。
研修医だったころ、未熟児に対して酸素療法が行われていたが、私はそのときも疑いを抱かなかった。最新の医療設備を誇る病院でこの治療を受けた低出生体重児の約9割に弱視や失明という重度の視覚障害が発生していたにもかかわらず、である。
一方、医療水準が劣る近くの病院では、この病気(未熟児網膜症)の発症率は1割以下だった。
この差について医学部の教授たちに質問すると、「設備の乏しい病院では正しい診断法がわからないのだ」という答えが返ってきた。私は教授たちを信じた。
未熟児網膜症の原因が高濃度酸素の投与であることがわかったのは、それから1、2年後のことだった。……私はそれでも現代医学を信じつづけた。
その後、私は研究グループに加わり、科学論文の作成に取り組んだ。テーマは「未熟児の呼吸疾患に対するテラマイシンの使用」だった。私たちは論文の中で「この薬には副作用がない」と主張した。当然だろう。副作用が現れる前に論文を書いたからだ。
じつをいうと、テラマイシンだけでなくすべての抗生物質が未熟児の呼吸疾患にあまり効果がないばかりか、テラマイシンを含めてどのテトラサイクリン系抗生物質も数千人の子どもの歯を黄緑色に変色させ、骨にテトラサイクリンの沈着物を形成することを確認している。
私はなおも現代医学を信じつづけた。
私は扁桃腺、胸腺、リンパ節の病気には放射線治療が有効だと信じていた。実際、教授たちは「放射線の照射はむろん危険だが、この程度の線量ならまったく無害だ」と言っていた。
私はその言葉を信じた。
しかしその後、「まったく無害」な線量でも、10年から 20年後には甲状腺に腫瘍を発生させるおそれがあることが判明する。
数年後、現代医学がまいた種を刈り取る時期が到来した。そのとき、かつて放射線で治療した患者たちのことが脳裏に浮かんだ。その中の何人かが甲状腺に腫瘍を患って戻ってくるのではないか。その思いにさいなまれた。
なぜ私に頼るのか。あなたたちをこんな目に遭わせたというのに。
私はもう現代医学を信じない。
ちょっと長い抜粋になりましたが、何度も何度も自分が学校で教わった、あるいは病院で教わった医学的確信が「むしろ悪いほうにばかりいっている」ことが繰り返されても、
「何度でも信仰を信じ続ける」
ことが繰り返された後に、「自分は、今まで医者としてあまりに多くの被害を患者さんたちに与えていたことに気づいた」とき、それはもう何度も何度も、しかも数多くの子どもたちに多大なダメージを与え続ける中で、「ようやく気づいた」のでした。
「なぜ私に頼るのか。あなたたちをこんな目に遭わせたというのに」
というのが、「告白」です。懺悔の部分です。
その後、メンデルソン医師は、医師でありながら現代医療を批判し続け、強固な「現代医学界の異端」として知られるようになり、その一方で、小児科の開業医として、数多くの子供たちを救い続けて人生を終えました。
このように「気づく」ためには、もちろん根底に「良心」が必要です。
マインドコントロールが深い場合は、「自分は悪いことをしている。しかし、それでもこれは医療的に正しいんだ」という無意識からの訴えが、その良心を抑え続けますが、「良心が逆転したとき」、精神が解放される道筋が示されます。
あるいは、日本の医学者で、胸腺ではない場所で作られる T細胞 (胸腺外分化T細胞)の発見などで世界的に著名だった安保徹さんの体験も似ています。安保徹さんは現代医学の多くの部分を承認できないという部分で、メンデルソン医師同様、日本の「異端」でした。
安保徹さんが、医師の石原結實氏(著作)と対談した際に以下の安保さんの発言が出てきます。太字はこちらで入れています。
安保徹さんと石原結實医師の対談より
東北大学を卒業した後、青森の県立中央病院で2年間、内科の研修医をやりました。「父のように患者さんを治し、世のため人のために尽くそう」と理想に燃えていました。
でも、夢は無残に打ち砕かれました。私が勤務していた間、15人のガン患者さんを担当しましたが、一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。生還率はゼロでした。
ほどほど治る患者さんも混じっている環境なら、「たまに亡くなるなら仕方ない」と割り切ることもできるのですが、15人が 15人とも、バタバタと亡くなっていく。強い抗ガン剤を使う結果、あっという間に弱っていくのです。
あまりにも、みんながみんな、具合が悪くなって死んでいくので、「ああ、これはダメだ」と思いました。
自分の無能力にさいなまされ、患者さんへの慰めの言葉も見つからないような状況で、私は絶望し、最後には無気力になってしまいました。
「こんなことを続けて、本当に病人を救えるのだろうか?」と、現代医学に疑問を抱いたのはそのときです。
同じような体験をかつてされた、あるいは現在されている医師の方は数多くいらっしゃると思います。つまり、
> 一生懸命に手を尽くしても、次々に亡くなっていくのです。
という部分です。
医学部では「これで治る」と教わった方法で患者さんたちと向きあった若き安保さんが直面した現実でした。
安保さんの場合は、これ一発で「良心が勝った」のだと思われます。15人の死を前にして。
もちろん実際には、メンデルソン医師や安保さんのようになる医師の方の方が少ないのが現実ですが、それはお医者様の良心の問題ではなく、
「マインドコントロールが深い、あるいは暗示が強いため、そこから抜け出すのが不可能な状態」
になっているだけだと思われます (悪意のある医師も少しはいらっしゃるでしょうけれど、全体としては良い人たちが多いはずです)。
これはおそらく、多くの方の場合で一生抜け出すことができないと思われます。
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