「ねずさんのひとり言」というブログから転載。ブログ主は私の目からは相当な右翼、もしくは国粋主義者で、その中国嫌悪、韓国朝鮮嫌悪の論調を私は好まないのだが、時々いい記事を書く。下記の小泉八雲を引用した記事もその一つだが、後半は毎度ながら、いわゆる「特亜」へのヘイトスピーチになっており、不快感を感じる人も多いだろうから省略した。むしろそういうヘイトスピーチをお好みの方もたくさんおられるのは承知しているが、東アジアの親戚国家とも言うべき中国・韓国・北朝鮮・日本が互いに喧嘩をして喜ぶのは白人(ユダ金・NWO)だけだろう。
私は、毎度言うように、ロシアも含めて、アジア全体が連帯することが、この地球全体を救うと考えているので、そういう近隣国家憎悪の思想には与しない。また、ねず氏は共産主義・社会主義を嫌悪しているが、私は社会主義こそが真の人民主権の政治思想、つまり民主主義の最後の到達点だと考えている。(共産主義のほうは実現不可能なファンタジーだと思っている。もっとも、この二つの区別もつかない馬鹿が偉そうに政治論を語っているのをよく見るが)だがまた、皇室尊重の姿勢においては、私はねず氏と同じ側にいることになる。さらに言えば、私は愛国心が強いが、国粋主義を嫌悪している。経済的鎖国主義者だが、世界文化との交流は好ましいと考えてもいる。
そういうわけで、私はねず氏とはかなり思想が違うのだが、愛国心の点では似たり寄ったりで、愛国心というものは、日本が褒められると、それだけで自分が褒められたように嬉しいという、単純なものだ。だから、「2ちゃんねる」などでも、「日本のこんな素晴らしいところが外国から絶賛されている」というような記事はついつい読んでしまう。
その「日本礼賛」の嚆矢であったラフカディオ・ハーンの話であるのだから、私がこの記事を一読して、いつかブログネタにしようと考えたのは当然だろう。確か、記事の存在自体は「酔いどれギャラリー」で知ったのだが、もちろん、小泉八雲のこの文章自体は私自身、大昔に読んではいた。だが、その当時は「今の日本」との関連でこの文章を考えるところまでは行かなかったのである。
「日本の強みは貧困である。」
文学者で政治家でもあったポール・クローデルは、敗戦後の日本人のことを「貧しいが高貴だ」と言ったという。彼が今の日本を見たら、「裕福だが下賤だ」と言うに違いない。
もっとも、その裕福さは、小泉改革以来、一部の人間だけのものとなり、国民全体は再び貧しくなろうとしている。だが、貧しくはなっても、かつての高貴さを日本人は取り戻せるだろうか。
(以下引用)
小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人作家です。
彼は、深く日本を愛し、日本人の持つ深い精神性を持った民話を取材し、小説に仕立てて全世界に紹介し、ついには日本に帰化して日本人となりました。
その小泉八雲が、明治27(1894)年に、熊本で講演を行っています。
タイトルは、「極東の将来」です。
その中で彼は、以下のように述べています。
=======
諸君は動物学で、絶滅した動物について読んだことがあると思います。
かつて、敵を恐れる必要がないほど強く、また暑さ・寒さ・干ばつなどによって滅ぼされることのないほど恵まれた、驚くべき動物がこの地球上に存在しました。
けれど彼らは消滅しました。
地球は、彼等を養うことを拒否したのです。
人間も動物と同じような運命を辿るかもしれません。
生活費が余りにも高いというだけの理由で、滅亡する民族が出てくるかもしれない。
私は、「日本の貧困は強みである」という固い信念をあえて述べたいと思います。
裕福は将来、弱体化する原因になりうるからです。
日本も、その危険があります。
なぜなら日本は、古来からある、簡素で、健全で、自然で、節度ある誠実な生活を捨て去る危険性があるからです。
私は日本がその質素さを保ち続ける間は強いであろうと思います。
けれどもし、日本が舶来の贅沢志向を取り入れるとすれば、日本は衰退していくことでしょう。
極東の賢人である孔子も、孟子も、ブッダも、みんな「贅沢を避けて、ごく普通の楽しみと知的娯楽に必要なもので満足することこそ、民の強さと幸せのために重要である」と説きました。
将来、日本が偉大な国になるかどうかは、すなわち素朴、善良、質素なものを愛して、生活での無用な贅沢と浪費を嫌悪する心をいかにして持ち続けるかどうかにかかっているのだと、私は強く申し上げたいのです。
私は、毎度言うように、ロシアも含めて、アジア全体が連帯することが、この地球全体を救うと考えているので、そういう近隣国家憎悪の思想には与しない。また、ねず氏は共産主義・社会主義を嫌悪しているが、私は社会主義こそが真の人民主権の政治思想、つまり民主主義の最後の到達点だと考えている。(共産主義のほうは実現不可能なファンタジーだと思っている。もっとも、この二つの区別もつかない馬鹿が偉そうに政治論を語っているのをよく見るが)だがまた、皇室尊重の姿勢においては、私はねず氏と同じ側にいることになる。さらに言えば、私は愛国心が強いが、国粋主義を嫌悪している。経済的鎖国主義者だが、世界文化との交流は好ましいと考えてもいる。
そういうわけで、私はねず氏とはかなり思想が違うのだが、愛国心の点では似たり寄ったりで、愛国心というものは、日本が褒められると、それだけで自分が褒められたように嬉しいという、単純なものだ。だから、「2ちゃんねる」などでも、「日本のこんな素晴らしいところが外国から絶賛されている」というような記事はついつい読んでしまう。
その「日本礼賛」の嚆矢であったラフカディオ・ハーンの話であるのだから、私がこの記事を一読して、いつかブログネタにしようと考えたのは当然だろう。確か、記事の存在自体は「酔いどれギャラリー」で知ったのだが、もちろん、小泉八雲のこの文章自体は私自身、大昔に読んではいた。だが、その当時は「今の日本」との関連でこの文章を考えるところまでは行かなかったのである。
「日本の強みは貧困である。」
文学者で政治家でもあったポール・クローデルは、敗戦後の日本人のことを「貧しいが高貴だ」と言ったという。彼が今の日本を見たら、「裕福だが下賤だ」と言うに違いない。
もっとも、その裕福さは、小泉改革以来、一部の人間だけのものとなり、国民全体は再び貧しくなろうとしている。だが、貧しくはなっても、かつての高貴さを日本人は取り戻せるだろうか。
(以下引用)
小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人作家です。
彼は、深く日本を愛し、日本人の持つ深い精神性を持った民話を取材し、小説に仕立てて全世界に紹介し、ついには日本に帰化して日本人となりました。
その小泉八雲が、明治27(1894)年に、熊本で講演を行っています。
タイトルは、「極東の将来」です。
その中で彼は、以下のように述べています。
=======
諸君は動物学で、絶滅した動物について読んだことがあると思います。
かつて、敵を恐れる必要がないほど強く、また暑さ・寒さ・干ばつなどによって滅ぼされることのないほど恵まれた、驚くべき動物がこの地球上に存在しました。
けれど彼らは消滅しました。
地球は、彼等を養うことを拒否したのです。
人間も動物と同じような運命を辿るかもしれません。
生活費が余りにも高いというだけの理由で、滅亡する民族が出てくるかもしれない。
私は、「日本の貧困は強みである」という固い信念をあえて述べたいと思います。
裕福は将来、弱体化する原因になりうるからです。
日本も、その危険があります。
なぜなら日本は、古来からある、簡素で、健全で、自然で、節度ある誠実な生活を捨て去る危険性があるからです。
私は日本がその質素さを保ち続ける間は強いであろうと思います。
けれどもし、日本が舶来の贅沢志向を取り入れるとすれば、日本は衰退していくことでしょう。
極東の賢人である孔子も、孟子も、ブッダも、みんな「贅沢を避けて、ごく普通の楽しみと知的娯楽に必要なもので満足することこそ、民の強さと幸せのために重要である」と説きました。
将来、日本が偉大な国になるかどうかは、すなわち素朴、善良、質素なものを愛して、生活での無用な贅沢と浪費を嫌悪する心をいかにして持ち続けるかどうかにかかっているのだと、私は強く申し上げたいのです。
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