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徽宗皇帝のブログ

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近代的合理性の不合理性
昨日の私の記事中に引用した文章について、「混沌堂(播州武公祠遍照院)」さんが見事に掘り下げて反論して下さっているので、それを引用して、私自身の意見に代えたい。まさに、混沌堂さんのおっしゃる通りだと私も思う。昨日の段階では、引用した文章は私の「思考素材」としたいとしただけで、考察はまったくしていなかったのだが、混沌堂さんの手によって、その必要もなくなったようだ。有難いことである。私の駄文をお読みいただいているだけでも有難いのだが。(笑)
このように、自分の意図を正しく読み取ってくださる方がいると、ブログを書くのもいっそう楽しくなるものだ。
もちろん、前の記事で引用した文章自体、間違ったことは言ってはいないのであり、私が懸念したのは、そのような「一面的な正しさ」「合理性」というものの持つ危険性なのである。あの文章の筆者自身、産業の成長についての議論と、社会福祉などの問題は区別して論じるべきだ、としている。だが、今の政治は、社会福祉を切り捨てて産業のみに奉仕しているではないか。
「合理性」、いや「近代的合理性」とは本質的に「無駄なものを切り捨てる」思考であり、そこから膨大な豊穣さが失われる、ということなのだ。そういう意味では「近代的合理性は不合理である」とも言える。
『荘子』の最初に、混沌という生き物に恩を受けた何者か(神様か?)が、お礼として混沌に目や耳や鼻に相当する穴を幾つか開けたら、混沌は死んでしまった、とかいう話があったと記憶するが、近代社会というものがそれを基盤として「進歩」してきた「合理的思考」というものは、あるいは、混沌に穴を開けて殺すような行為であるのかもしれないのだ。


(以下「播州武公祠遍照院」より引用)


そもそも「経済合理性」とは何か?という疑問がある。

「生産性のない人間は死ね」となると、ではそれではその社会・国家のモラルなど簡単に崩壊する。

「いじめ・差別」を推奨するようなものである。


「生産性の無い人間を排斥することによるモラルハザードの崩壊を防ぐ」という「経済合理性」があるのに気が付かないのが愚人である。


「透析患者は金食い虫で死ね」とか暴論を時々聞くが、ブラック企業だらけの社会の中、かろうじて過労死寸前まで働いてもらえるのは、透析患者でも社会・国家が保証して生きていけるからで、その「セーフーティーネット」の生きた広告にもなる。

「弱いものは死ね」の新自由主義で、2000年以降特に小泉郵政選挙以降は、「弱肉強食」を第一原則で行ったために、きわめて責任感もモラルも低下した。

その挙句は、福島第一原発事故の経営者や関係者の無責任と、その放置という形で報われているのです。

経済合理性といえど、現在の観点では浅薄で「モラル・人心の在り様から起きる経済的影響」には無知無能な視点であると思える。


そもそも「医療・介護は、反成長産業」なのは当たり前である。それは農業・水産業が、基本的に「儲からない・せいぜいトントン」なのと同じで、「社会の基礎・下支え」の産業で、他の鉱工業・商業が花咲くための社会・経済の「土台」なのである。

食い物の栄養が無く医療が滅茶苦茶で、それで儲かる製造業・鉱工業の労働者・研究者が、まともに働けますか?ってこともシンプルに言えるのである。


高齢者向けの介護・医療を「成長産業」とするから、おかしなことが起きる。

「いかにロスと思われた老人・障碍者を、「モラルの保護」や「他の産業のサポートに回せるか」」という、志向に変える必要がある。


>このロジックをインフラ=物的資本ではなく、人間=人的資本に適用してみましょう。生産活動に寄与するインフラ=治療・リハビリ後に生産活動を行える人、生産活動に寄与しないインフラ=治療・リハビリ後に生産活動を行えない人、なので、リタイアした高齢者への医療や介護支出は、経済全体にとって損失になることが分かるでしょう。


では「役に立たないから、さっさと死ね。」となって起きるモラル崩壊のすさまじいコストを考えてはいないのか? 
学校やマスコミが「モラル」や「道徳」を唱えても、弱肉強食を家や町で実地に行われていたら、弱肉強食の人食いの実地教育をしているのである。
そのモラル・秩序の破壊は、国家・社会にとって致死的である。
別に外国の侵攻がなくても、日本は無人の野原に化すだろし、外国の侵攻を嬉嬉と日本人は受け入れるようになるだろう。

まさに無知・愚劣さをさらしているのである。


10年程度の若者を中心にした「弱肉強食・役に立たないやつは死ね」という新自由主義で、福島第一原発が大爆発して、いまだに止めれないである。

こういう観点でしか物事を見れないとしたら、日本中の原発に爆発してもらわないと、まあ地獄の修羅の日本は、まともにならないだろう。まあ日本人死滅の平和も結構なことです。





お読みくださりありがとうございます。



追記

これまでの高度成長・バブル期と、必要な福祉・厚生に銭も資源もまわしてなかったから、高齢化や社会の衰退期に、そのツケが回ってきただけに思える。

「反成長産業」でなく「これまでの怠慢のツケ」に過ぎない。

バカな話である。


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