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徽宗皇帝のブログ

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過激な活動は体に悪い
「東京新聞電子版」から転載。
えっ、日本にテロリストなんているの? という感じだが、相手が誰だろうが、テロリストと認定すれば政府にとって都合の悪い言論活動をしている人間は全部逮捕・処罰できるわけである。最悪は「大逆事件」のようなものになる可能性もあるだろう。
「国内にいる過激な活動家」って、噂にも聞いたことが無いんだけどねえ。まあ、身体的な「活動家」つまりスポーツマンなどはご注意を。(笑)

追記:石破幹事長が特定秘密保護法案に反対する国会周辺でのデモを「テロ行為」呼ばわりしたことを多くの人は既にお忘れだろう。私も忘れていたが。

追記2:「最悪は大逆事件のようなものになる可能性もある」は舌足らずな言い方だった。要するに、フレームアップ(でっちあげ)で事件を「作り」、その人の社会的生命を奪う、と言いたかったのである。資産凍結とは財産の没収に等しいわけで、ほとんど死刑に等しいのではないだろうか。




(以下引用)



五輪対策でテロ資産凍結新法 政府、臨時国会提出目指す

2014年4月6日 02時00分



 政府は、過激な活動家らをテロリストに指定し、資産を凍結する新法を策定する方向で検討に入った。2020年東京五輪・パラリンピックの開催に向け、国内のテロ対策を充実させる必要があると判断した。秋の臨時国会への提出を目指す。政府関係者が5日明らかにした。恣意的なテロリスト指定の可能性が排除できない上、取引の規制は憲法で保障される「財産権」を侵害する恐れも否定できない。

 現行では、国内にいる過激な活動家らへの送金・取引は、金融機関の自助努力に委ねられているのが実態。新法では、リストを作成し、掲載者への送金、預金や信託などを許可制とし、事実上の資産凍結を図る。

(共同)





(参考)ウィキペディアより転載。言うまでもなく、「幸徳事件=大逆事件」である。赤字部分は徽宗による強調。

幸徳事件[編集]


冒頭のとおり、「大逆」と言えば一般的にはこの事件が指される[2]


堺利彦片山潜らが「平民新聞」などで、労働者中心の政治を呼びかけ、民衆の間でもそのような気風が流行りつつあった中の1910年(明治43年)5月25日信州の社会主義者宮下太吉ら4名による明治天皇暗殺計画が発覚し逮捕された「信州明科爆裂弾事件」が起こる。以降、この事件を口実に全ての社会主義者、アナキスト(無政府主義者)に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を、政府が主導、フレームアップ(政治的でっち上げ)したとされる事件。敗戦後、関係資料が発見され、暗殺計画にいくらかでも関与・同調したとされているのは、宮下太吉、管野スガ、森近運平、新村忠雄、古河力作の5名にすぎなかったことが判明した。1960年代より「大逆事件の真実をあきらかにする会」を中心に、再審請求などの運動が推進された。これに関して最高裁判所は1967年以降、再審請求棄却及び免訴の判決を下している。


信州明科爆裂弾事件後、数百人の社会主義者・無政府主義者の逮捕検挙が始まり、検察は26人を明治天皇暗殺計画容疑として起訴した[3]松室致検事総長、平沼騏一郎大審院次席検事、小山松吉神戸地裁検事局検事正らによって事件のフレームアップ化がはかられ、異例の速さで公判、刑執行がはかられた。平沼は論告求刑で「動機は信念なり」とした[4]。検挙されたひとりである大石誠之助の友人であった与謝野鉄幹が、文学者で弁護士の平出修に弁護を頼んだ。


1911年1月18日死刑24名、有期刑2名の判決(鶴丈一郎裁判長)。1月24日幸徳秋水森近運平宮下太吉新村忠雄古河力作奥宮健之大石誠之助成石平四郎松尾卯一太新美卯一郎内山愚童ら11名が、1月25日に1名(管野スガ)が処刑された。特赦無期刑で獄死したのは、高木顕明峯尾節堂岡本穎一郎三浦安太郎佐々木道元の5人。仮出獄できた者は坂本清馬成石勘三郎崎久保誓一武田九平飛松与次郎岡林寅松小松丑治


赤旗事件で有罪となって獄中にいた大杉栄荒畑寒村[5]堺利彦山川均は事件の連座を免れた。

大逆事件以後[編集]

社会主義運動はこの事件で、数多くの同志を失い、しばらくの期間、運動が沈滞することになった。いわゆる〈冬の時代〉である。













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