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徽宗皇帝のブログ

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黄金時代は実在した
ブリア・サヴァランの「美味礼讃」は、グルマン(美食家・グルメ)に関する古典的著述だが、その中に非常に重要な歴史的証言がある。それは、かつてこの世に真の民主主義社会が存在したという事実の記録であり、民主主義が何をもたらしうるかという記録である。
岩波文庫「美味礼讃(上)」P117以降に書かれた文章を抜粋する。時は1794年である。つまり、米国独立革命(1775~83年)の約10年後である。

(以下引用)

あるアメリカの地主さんが自分の地所へ来て猟をしないかと誘ってくれた。……(中略)……ビュロウ氏(注:前出の米国の地主)はわたしをわきに呼んで、次のような注意すべきことを話された。
「ごらんのとおり、この世に幸福な男がいるとすれば、わたしこそその幸福な男ですよ。あなたをめぐるすべて、あなたがわたしの家でご覧になったすべては、皆わたしの持ち物から生まれたものです。このくつ下は娘たちが編んでくれたものですし、くつだって衣服だって皆うちの羊からの賜物です。羊はまた菜園や家畜小屋といっしょになって、わたしのために単純でしかも身になる栄養を供給してくれます。皆さんは政府をえらくおほめになるが、それというのもコネチカットに住む何千の農夫が、皆わたしと同様に満足しているからですよ。かれらの家には、わたしの家と同様、戸締りなんてものはないんですよ。
税だってここではほとんどないも同然です。そしてその税金さえ納めていれば、われわれはまくらを高くして眠れるんです。議会はわれわれの始めたばかりの工業をできるだけ補助してくれるし、郵便配達は東奔西走してわれわれが売りたいと思うものをさっさと片づけてくれます。わたしは長いこと現金には事かきません。わたしは最近メリケン粉を、いつもは八ドルで渡すものを一たる二十四ドルで売りましたよ。
それらのことは、皆われわれが自ら獲得してよき法律の上に置いた自由の賜物です。わたしはここに来てから太鼓の音なんか聞いたことがありません。七月四日すなわちわれわれの独立記念日のほかには、兵隊も制服も銃剣も目にすることはないのです。」

(引用終わり)

さて、この記録を読んで、何も感じないようなら、そういう人と私は別人種と言うしかない。私は、この文章を読んで、この世にこういう社会が存在しえたということに感嘆と羨望の気持ちを抑えきれない。
もちろん、こういう幸福な人間は一部だけであったという可能性もあるが、いや、そういう可能性の方が高いとは思うが、私が驚嘆するのは、「国民が政府に満足している」という事実である。これは、昨日書いた「独立宣言」の精神が政府の中に生きていたことによるものだと私は思う。(「1776年の独立宣言から憲法の制定、1783年のパリ講和条約締結から連邦諸制度の新設と続いたアメリカ建国の四半世紀は、アメリカの政治リーダーたちがノブレス・オブリージュを行動規範にしていた時期であることは間違いない。」(「超・格差社会 アメリカの真実」小林由美著より))政府とは国民の福祉を増進するために存在するものだ、という精神である。それに反する政府なら、それを打倒する権利が国民にはある。
今、アメリカで、そして世界中で起こっている「反格差デモ」は、その格差を許し、むしろ積極的に推進してきた各国政府への国民の「ノー」でもある。
つまり、それらの諸国の政府は打倒される資格がある、ということだ。
一部の人間が政府と結託し、政治を私物化してきた結果、国民の大多数が貧困化し、さまざまな不幸に苦しんでいる。
今、そういう一般大衆が悲惨な状況にあるアメリカと、この「美味礼讃」に描かれたアメリカを比べるなら、そのあまりの違いに茫然とならないだろうか?
なぜ、こうなったのか。
もちろん、それは政府が一部の人間(資本家)に奪われたからだ。政府が国民のための政府ではなくなったからだ。
長い間、米国民は「自主独立の精神」を教えられ、自分の国は公正な自由競争社会だと信じていた。だから、競争に敗北した人間はそれを自己責任とし、泣き事を言わないのが男らしさだと信じていた。競争のシステムそのものを平等にしようという試みや、競争の敗者に配慮する試みはすべて「共産主義的である」として排除された。その結果が現在の貧困国家アメリカである。1%の富裕層が残り99%を支配する経済的奴隷制度(超・格差社会)のアメリカである。
米国民が独立宣言を読み、そして新約聖書の中のキリストの言葉(ほとんど共産主義思想である)を先入観なしに読めば、自分たちがいかに愚かな社会を作ってきたかがわかるはずである。地上の天国を作ることも可能であり、一時はそうなりかけていたのに、一部の人間の強欲と悪辣な策謀により、多くの国民が貧苦の中に投げ込まれてきたのである。

民主主義を批判する人間は、真の民主主義が何をもたらしうるかを知らないで、ただ観念だけで批判しているのではないだろうか? 民主主義の腐敗は、民主主義のせいだろうか? それとも金で人間を支配する資本主義のせいだろうか? 資本主義が宗教などに由来する自制心やモラルを失った時に、それに歯止めをかけることはできるのだろうか? 今、世界中で沸き起こっている怒りの行動が、その答えである。

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