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徽宗皇帝のブログ

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AMラジオ周波数の数字に隠された秘密
「バカ国民帝国日本の滅亡」から転載。
冒頭にある、日本のAMラジオ放送周波数が、全局とも数字の和が18(6+6+6)である、という指摘にはほとんど呆然となった。いくら何でも、これは数学的確率として、偶然にはありえない事象だろう。私はフリーメーソンとやらにはほとんど興味がなかったのだが、ユダ金と欧州王族貴族全体はかなり深く結びついているとは思っている。で、イルミナティとなると、まったく興味も無かったし、イルミナティとフリーメイソンの違いもよく知らない。だが、彼らが数字遊び(遊びと言うより、呪術的なものだろうか。)が好きだということはよく聞いている。そして、日本のマスメディアが最初からイルミナティ(かフリーメイソンかは知らないが)に支配されているというのは、このラジオ周波数の数字遊びの事実でほぼ確定的だと言えるのではないか。
では、我々はいかにしてこのユダヤ支配から脱出し、ユダヤを打倒して現状のゴイム(家畜)の生活から人間としての生活を取り戻すか。その方策を考えねばならないだろう。安倍政権打倒だとかいう、ちっぽけなレベルの話で済む問題ではない。これは全世界的な課題であり、フクシマもウクライナもガザも、すべては同根なのである。いや、日常的な搾取(労働問題や物価問題)や税金の使途、中央銀行問題などすべての問題の根底であるのではないか。


(以下引用)



「文明」の正体
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悪魔の数字…666…




そして、6+6+6=18で、18も悪魔の数字とされます…





中国などでは「八」が「末広がり」ということで好まれたり…




「9」が、皇帝の数であるとして尊ばれたりするので、別にどうってこともなさそうですが…




とても有名な話で日本のAMラヂオの周波数が…




NHK第一…594kHz…5+9+4=18


NHK第二…693kHz…6+9+3=18


ANF東京…810kHz…8+10=18


TBSラジオ…954kHz…9+5+4=18


文化放送…1134kHz…11+3+4=18


ニッポン放送…1242kHz…12+4+2=18


ラジオ日本…1422kHz…14+2+2=18




…のように、ぜ~んぶ”18”を導ける数になっているというのは、「偶然」で片づけられるものでしょうか?




メディアが、悪魔の道具であると素直にみたとき、日本人の多くが脳をメディアに支配されている事実と、その意味を、我々は悟らざるを得ないのではないでしょうか?




ネットを含めたメディアによって、チンパン国民はきょうも”猿回し”を踊っているではないですか…





さて、それで今回は壱万円札に描かれている、福沢諭吉という男です…




こいつは、「文明」の思想を日本に植え付けた人物です。


福沢諭吉は、もともとは大分の中津藩士の子。19歳で長崎に出てオランダ語を学んだ。




そして、翻訳家として世界を回ったのちに江戸に”蘭学塾”を開いた…




その蘭学塾は、現在慶応義塾である。





これによって「西洋の学問」が日本に大いに流入した…が、それだけではなかった…




福沢諭吉は、牛乳や肉食を広めるなど、日本の「欧化」「市場化」を積極的に進めた…





この「文明化」によって、日本が発展したのは事実だが、同時に日本は「日本らしさ」や歴史を失った。




福沢諭吉が立ち上げた「明六社」には森有礼や西周といったフリーメーソンのメンバーが集い、日本人を洗脳し、自分たちにとってコントロールしやすい国にしていった。




奇しくも、明治六年は太陽暦が導入された年…、日本はこのとき”別の国”になったのであった…


さらに敗戦後、やはりフリーメーソンであったマッカーサーが占領軍総裁となったことで、日本の支配体制は、さらに強力なものになってしまった…




日本が初等教育ばかり熱心で、高等教育が手抜きになっているのは、リーダーが育たないようにということだろうし…




「出る釘は、寄ってたかって打たれる」というのも、生え抜きのリーダーを育てないためであろう…





日本のトップに据えるのは、あべやこいずみのようなチンパンゴリラで十分というわけである…





しかしみなさん…これを「西洋文明」と呼んでよいのでしょうか…




この「文明」に抗う思想も西洋にはあります。それが日本に入ってきてエコロジーになっていたりします。




アンチ文明の思想もまた「西洋」の文化ではないでしょうか?





「文明開化」「脱亜入欧」などと言われて、「文明」=「西洋」のように考える人が多いです。




むしろ、明治以降の日本のように、西洋の国々も「文明」に征服され、洗脳されてきたのではないでしょうか?




「文明」とはなにか…福沢諭吉が広めた価値観、思想の中枢はなんだったのか…




「ユダヤ陰謀論」を学んだ人にはこう言うとわかりやすいでしょうか…





「文明」とは「ユダヤ」のことである…と…





この世には、「支配する者」と「支配される者」があり、「支配する者」が「優秀」なのだ…と…




あらゆるものには、それを所有する者、支配する者がいるのだと…




「だれのものでもない」ものはないのだと…(もしあれば、強者が腕づくで所有してしまう)





人権思想とは正反対の…まさに「悪魔の思想」…





「文明」とは、「所有権思想」なのです…だから…




「尖閣は、だれのものか?…日本のモノだ」




「著作物は、だれのものか?…著作権者(著作者では必ずしもない)のものだ!」




「会社はだれのものか?…株主のモノだ!」




…こんな感じのことを常に問題にして論じているのです。





あらゆる決定権は所有権者にあって、所有物に対して独裁権を行使する権利があるという考え方です。




だから、労働者も、その労働時間は資本家に売って「資本家の所有物」になっているので、煮て食おうと焼いて食おうと資本家が自由にできる。その自由、権利の「侵害」には厳罰で臨むと考え、そのとおり実行しているはずです。




彼ら、悪魔には、そもそも「人間やそれに付随するモノを他者が所有してよいのだろうか」と考える脳ミソはありません。




そんな都合の悪いことは考えないのです。そこを疑えば、自分たちは富も権力も手放さなければならなくなるからです。




「正義」とは、自分たちに都合のよいモノでなければいけないと信じているのです。





こうした「悪魔の思想」は人類、古今東西に共通しています。




ローマにも、インドにも、中国にも存在し、それが「帝国の基礎」を築きました。




多くの人民を奴隷にし、家畜以下に扱って、裕福な暮らしをしてきたのです。





そして、そうした「悪魔の思想」に真っ向から対峙したのがキリストであり、仏陀でありましたが…




今日の世俗のキリスト教や仏教は、この「悪魔思想」に「お墨付きを与える役目に堕落しています。





本当にキリスト教や仏教を信じているのであれば、所有権思想は捨てているはずです。




「だれのものだ。おれのものだ」という醜い争いをしていないはずです。





みなさん、いま…人間と悪魔を明確に”聖別”するときが到来しています…




「文明」思想を捨てて、人間として生きるべき時代が到来したのです…



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