「寺島翻訳研究所」所載の、クリス・ヘッジスの記事の一部である。長いので前半(ガザの現状)を省略。あなた方が喝采するトランプ(おそらくマスクも)はイスラエルの絶対的支持者であることもお忘れなく。
「ガザを無視する人」に言っておく。意図的に何かを見ないことと盲目であることは現実的には同じである。まあ、「世界が滅びようと、俺が一杯の紅茶を飲めればいい」、というのもよくある話ではある。
ユダヤ人哲学者に私淑し、「シオン長老の議定書」は偽書だと宣伝する内田樹が「ガザ問題」について曰く
(以下引用)
イスラエルによるガザの壊滅は、国際的に合意された法律や規則に導かれた世界秩序の終焉を意味する。この秩序は、米国がベトナム、イラク、アフガニスタンでの帝国主義的な戦争で度々破ってきたものではあるが、少なくとも理想的な未来像として認められていたものである。米国とその西側同盟国は、大量虐殺を継続するための武器を供給するだけでなく、人道法の遵守を求めるほとんどの国々の要求を妨害している。
軍事用無人機、攻撃ヘリ、壁やバリケード、検問所、コイル状に巻かれたコンクリート・ワイヤー、監視塔、収容施設、強制送還、残虐行為や拷問、入国ビザの拒否、不法滞在を伴うアパルトヘイト的な存在、個人の権利の剥奪、電子監視などは、パレスチナ人にとってだけでなく、メキシコ国境沿いやヨーロッパへの入国を試みる絶望的な移民たちにとっても、身近な存在である。
『Rise and Kill First』の著者であるロネン・バーグマンが指摘しているように、「西側諸国の中で最も多くの人々を暗殺してきた」イスラエルは、ナチスによるホロコーストを理由に自らの「先天的な犠牲者」としての立場を正当化し、入植者による植民地国家、アパルトヘイト、大量虐殺の促進活動、そしてナチス・ドイツが植民地支配のために標榜していた「レーベンスラウム(生存圏)」のシオニスト版を正当化するために利用している。
アウシュビッツを生き延びたプリモ・レヴィは、この理由から、ショアー(ヘブライ語でホロコーストの意味)を「尽きることのない悪の源」と見なし、それは「生存者たちの憎悪として実行され、万人の意志に反して、復讐への渇望、道徳の崩壊、否定、倦怠、諦めとして、さまざまな形で現れる」と述べている。
ジェノサイド(民族大虐殺)や大量殺戮は、ファシスト・ドイツの専売特許ではない。アメリー・セゼールが著書『植民地主義に関する論説』で述べているように、アドルフ・ヒトラーが「白人に屈辱を与えて」いたからこそ、とりわけ残酷に見えたに過ぎない。しかし、ナチスは「それまでアルジェリアのアラブ人、インドの苦力、アフリカの黒人だけにもっぱら適用されてきた植民地主義の手続き」をユダヤ人にも適用しただけだと、セゼールは書いている。
ドイツによるヘレロ族とナマクア族の虐殺(*)、アルメニア人虐殺(**)、1943年のベンガル飢饉(***)(このとき英国首相ウィンストン・チャーチルは、飢饉による300万人のヒンドゥー教徒の死を「獣のような宗教を持つ獣のような民」と軽々しく呼んだ)など、ナチス・ドイツによるホロコーストは、「西洋文明」の根本的な何かを物語る出来事である。ハンナ・アーレントが理解していたように、反ユダヤ主義だけではホロコーストには至らなかった。近代官僚国家の中に巣食っていたジェノサイドを許容する風潮もその要因として欠かせなかったものだったのだ。
* ドイツ帝国による植民地支配の下で「ヘレロ・ナマクア虐殺」として知られる大量虐殺。1904~08年にナミビアの先住民であるヘレロ族とナマ族が蜂起した際、ヘレロ族8万人のうち約6万5000人、ナマ族の2万人のうち少なくとも1万人が殺害されたという。
** 19世紀末から20世紀初頭にかけてオスマン帝国で発生した。特に1915年に多くのアルメニア人が強制移住や虐殺によって死亡した。
*** 1943年から1944年にかけてインドのベンガル地方で発生した大規模な飢饉。約200万から350万人が死亡したとされている。主な原因には、第二次世界大戦による食料供給の混乱や、インド植民地当局による食料輸送の妨害が挙げられる。
「アメリカでは、」詩人のラングストン・ヒューズは言う。「黒人たちはファシズムが何をしようとしているかを教えられなくても分かる。我々は知っている。北方人種至上主義と経済的抑圧の理論は、我々にとって長い間現実のものだった。」
我々米国民が世界を支配しているのは、我々が優れた徳性を持っているからではなく、地球上で最も効率的な殺人者だからである。メキシコ、中国、インド、コンゴ、ケニア、ベトナムなどの国々における人種差別的な帝国主義作戦の犠牲者となった数百万人の人々は、ユダヤ人が自分たちの犠牲者としての立場は唯一無二であると主張する愚かな主張には耳を貸さない。黒人、褐色人種、ネイティブ・アメリカンも同様である。彼らもホロコーストを経験したが、これらのホロコーストは、西洋の加害者たちによって矮小化されたり、認められなかったりしている。
パンカジ・ミシュラは著書『The World After Gaza(ガザ後の世界)』の中で、「これらの出来事は、宗教的伝統と世俗的な啓蒙主義の両方の基本的な前提を損なった。すなわち、人間は本質的に『道徳的』な存在であるという前提を損なった」と書いている。「今や、彼らにはそうした『道徳性』がないのではないかという腐敗の疑いが広まっている。 多くの人々が、冷酷さ、臆病さ、検閲の体制下で、死や身体の損傷を間近に目撃している。彼らは、あらゆることが起こりうることを衝撃とともに認識し、過去の残虐行為を思い出すことが現在におけるそれらの繰り返しを防ぐ保証にはならないことを理解し、国際法や道徳の基礎はまったく安全ではないことを認識している。」
大量虐殺は、ホロコーストと同様に西洋の帝国主義に不可欠な要素である。それらは、白人至上主義という同じ病に侵され、「劣った」人種を服従させ根絶することによってより良い世界が築かれるという信念に支えられている。
イスラエルは、政治的・文化的な多元主義を否定し、法的、外交的、倫理的な規範をも拒絶する、欧米の極右が自ら作り出したいと夢想する自民族中心国家の体現である。イスラエルは、人道法を無視し、社会から人間としての汚染者と断罪された人々を「浄化」するために無差別な殺傷力を行使しているため、キリスト教原理主義者を含むこれらの原始ファシストたちから賞賛されている。
イスラエルと西欧の同盟国は、公民権運動に携わった米国の小説家ジェイムズ・ボールドウィンが予見したように、「捕虜から奪ったものを手放すことができず、鏡を見ることもできない」支配的な国々が、「世界中に混沌を引き起こし、それが地球上の生命を絶滅させることには至らなくても、世界がかつて経験したことのないような人種戦争を引き起こす」という、「恐ろしい可能性」に向かって突き進んでいる。
欠けているのは知識ではない。わが国やイスラエルの背信行為は歴史の記録の一部であることを学ぶだけでは不十分なのだ。欠けているのは、わが国の闇を名指して非難し、悔い改める勇気である。この故意の盲目と歴史の健忘症、法の支配に対する説明責任を拒否する姿勢、そして、わが国の意志を貫くために軍産複合体の暴力を使用する権利があると信じる姿勢は、世界の貧困層や弱者層が増加する中、グローバル・ノース(北の先進国)による大量虐殺大作戦の始まりを意味するものであり、終わりを意味するものではない。
イスラエル人がソーシャルメディア上で共有している、ガザ地区をすべて海に沈める軍用ブルドーザーの画像。彼らは大量虐殺を望んでいる。 – Dan Cohen on X
「ガザを無視する人」に言っておく。意図的に何かを見ないことと盲目であることは現実的には同じである。まあ、「世界が滅びようと、俺が一杯の紅茶を飲めればいい」、というのもよくある話ではある。
ユダヤ人哲学者に私淑し、「シオン長老の議定書」は偽書だと宣伝する内田樹が「ガザ問題」について曰く
僕たちにできるのは「ジェノサイドは割りに合わない」という経験則を人類全体が共有するように努めることです。時間がかかりますけれど、人類の学習速度は非常に遅いのです。
この言葉を翻訳すると、つまり、ガザのことは無視しろ、ガザ住民が全部死ねばガザ問題は終わるし、人類は「経験則」を得るからその犠牲は無意味ではない、ということか。ここで「人類全体」を持ち出すことは、人類全体の前にはガザ問題は無に等しい、と聞こえる。(以下引用)
イスラエルによるガザの壊滅は、国際的に合意された法律や規則に導かれた世界秩序の終焉を意味する。この秩序は、米国がベトナム、イラク、アフガニスタンでの帝国主義的な戦争で度々破ってきたものではあるが、少なくとも理想的な未来像として認められていたものである。米国とその西側同盟国は、大量虐殺を継続するための武器を供給するだけでなく、人道法の遵守を求めるほとんどの国々の要求を妨害している。
このメッセージは明確である。あなたや、あなたを守ってくれるかもしれないと思っていたルールは重要ではない。我々にはすべてがある。それを奪おうとするなら、あなたを殺す。
軍事用無人機、攻撃ヘリ、壁やバリケード、検問所、コイル状に巻かれたコンクリート・ワイヤー、監視塔、収容施設、強制送還、残虐行為や拷問、入国ビザの拒否、不法滞在を伴うアパルトヘイト的な存在、個人の権利の剥奪、電子監視などは、パレスチナ人にとってだけでなく、メキシコ国境沿いやヨーロッパへの入国を試みる絶望的な移民たちにとっても、身近な存在である。
『Rise and Kill First』の著者であるロネン・バーグマンが指摘しているように、「西側諸国の中で最も多くの人々を暗殺してきた」イスラエルは、ナチスによるホロコーストを理由に自らの「先天的な犠牲者」としての立場を正当化し、入植者による植民地国家、アパルトヘイト、大量虐殺の促進活動、そしてナチス・ドイツが植民地支配のために標榜していた「レーベンスラウム(生存圏)」のシオニスト版を正当化するために利用している。
アウシュビッツを生き延びたプリモ・レヴィは、この理由から、ショアー(ヘブライ語でホロコーストの意味)を「尽きることのない悪の源」と見なし、それは「生存者たちの憎悪として実行され、万人の意志に反して、復讐への渇望、道徳の崩壊、否定、倦怠、諦めとして、さまざまな形で現れる」と述べている。
ジェノサイド(民族大虐殺)や大量殺戮は、ファシスト・ドイツの専売特許ではない。アメリー・セゼールが著書『植民地主義に関する論説』で述べているように、アドルフ・ヒトラーが「白人に屈辱を与えて」いたからこそ、とりわけ残酷に見えたに過ぎない。しかし、ナチスは「それまでアルジェリアのアラブ人、インドの苦力、アフリカの黒人だけにもっぱら適用されてきた植民地主義の手続き」をユダヤ人にも適用しただけだと、セゼールは書いている。
ドイツによるヘレロ族とナマクア族の虐殺(*)、アルメニア人虐殺(**)、1943年のベンガル飢饉(***)(このとき英国首相ウィンストン・チャーチルは、飢饉による300万人のヒンドゥー教徒の死を「獣のような宗教を持つ獣のような民」と軽々しく呼んだ)など、ナチス・ドイツによるホロコーストは、「西洋文明」の根本的な何かを物語る出来事である。ハンナ・アーレントが理解していたように、反ユダヤ主義だけではホロコーストには至らなかった。近代官僚国家の中に巣食っていたジェノサイドを許容する風潮もその要因として欠かせなかったものだったのだ。
* ドイツ帝国による植民地支配の下で「ヘレロ・ナマクア虐殺」として知られる大量虐殺。1904~08年にナミビアの先住民であるヘレロ族とナマ族が蜂起した際、ヘレロ族8万人のうち約6万5000人、ナマ族の2万人のうち少なくとも1万人が殺害されたという。
** 19世紀末から20世紀初頭にかけてオスマン帝国で発生した。特に1915年に多くのアルメニア人が強制移住や虐殺によって死亡した。
*** 1943年から1944年にかけてインドのベンガル地方で発生した大規模な飢饉。約200万から350万人が死亡したとされている。主な原因には、第二次世界大戦による食料供給の混乱や、インド植民地当局による食料輸送の妨害が挙げられる。
「アメリカでは、」詩人のラングストン・ヒューズは言う。「黒人たちはファシズムが何をしようとしているかを教えられなくても分かる。我々は知っている。北方人種至上主義と経済的抑圧の理論は、我々にとって長い間現実のものだった。」
我々米国民が世界を支配しているのは、我々が優れた徳性を持っているからではなく、地球上で最も効率的な殺人者だからである。メキシコ、中国、インド、コンゴ、ケニア、ベトナムなどの国々における人種差別的な帝国主義作戦の犠牲者となった数百万人の人々は、ユダヤ人が自分たちの犠牲者としての立場は唯一無二であると主張する愚かな主張には耳を貸さない。黒人、褐色人種、ネイティブ・アメリカンも同様である。彼らもホロコーストを経験したが、これらのホロコーストは、西洋の加害者たちによって矮小化されたり、認められなかったりしている。
パンカジ・ミシュラは著書『The World After Gaza(ガザ後の世界)』の中で、「これらの出来事は、宗教的伝統と世俗的な啓蒙主義の両方の基本的な前提を損なった。すなわち、人間は本質的に『道徳的』な存在であるという前提を損なった」と書いている。「今や、彼らにはそうした『道徳性』がないのではないかという腐敗の疑いが広まっている。 多くの人々が、冷酷さ、臆病さ、検閲の体制下で、死や身体の損傷を間近に目撃している。彼らは、あらゆることが起こりうることを衝撃とともに認識し、過去の残虐行為を思い出すことが現在におけるそれらの繰り返しを防ぐ保証にはならないことを理解し、国際法や道徳の基礎はまったく安全ではないことを認識している。」
大量虐殺は、ホロコーストと同様に西洋の帝国主義に不可欠な要素である。それらは、白人至上主義という同じ病に侵され、「劣った」人種を服従させ根絶することによってより良い世界が築かれるという信念に支えられている。
イスラエルは、政治的・文化的な多元主義を否定し、法的、外交的、倫理的な規範をも拒絶する、欧米の極右が自ら作り出したいと夢想する自民族中心国家の体現である。イスラエルは、人道法を無視し、社会から人間としての汚染者と断罪された人々を「浄化」するために無差別な殺傷力を行使しているため、キリスト教原理主義者を含むこれらの原始ファシストたちから賞賛されている。
イスラエルと西欧の同盟国は、公民権運動に携わった米国の小説家ジェイムズ・ボールドウィンが予見したように、「捕虜から奪ったものを手放すことができず、鏡を見ることもできない」支配的な国々が、「世界中に混沌を引き起こし、それが地球上の生命を絶滅させることには至らなくても、世界がかつて経験したことのないような人種戦争を引き起こす」という、「恐ろしい可能性」に向かって突き進んでいる。
欠けているのは知識ではない。わが国やイスラエルの背信行為は歴史の記録の一部であることを学ぶだけでは不十分なのだ。欠けているのは、わが国の闇を名指して非難し、悔い改める勇気である。この故意の盲目と歴史の健忘症、法の支配に対する説明責任を拒否する姿勢、そして、わが国の意志を貫くために軍産複合体の暴力を使用する権利があると信じる姿勢は、世界の貧困層や弱者層が増加する中、グローバル・ノース(北の先進国)による大量虐殺大作戦の始まりを意味するものであり、終わりを意味するものではない。
イスラエル人がソーシャルメディア上で共有している、ガザ地区をすべて海に沈める軍用ブルドーザーの画像。彼らは大量虐殺を望んでいる。 – Dan Cohen on X
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