忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

独占資本主義の先の道を探す
「現代ビジネス」の「佐藤優直伝インテリジェンスの教室」への質問を転載する。この質問に佐藤優は明確に答えていないようだが、この質問は日本と世界の未来を考える上で必須のテーマだろう。
私の持論の一つは、良い疑問を持つことはそれに答える以上に価値がある、というものだ。言い方を変えれば、我々は現実や日常にあまりに慣らされていて、疑問を持つこと自体、非常に困難だということである。常に「それは本当か? それで本当にいいのか?」という疑問や批判精神を持つことが、知識人には必要だろう。ただし、それは本当は庶民には不必要であり、庶民が政治の恩恵を知らずに「王の政治が我々に何の関係があるものか」と嘯く鼓腹撃壌の呑気な生活こそが王道政治の理想ではある。だが、残念ながら、それでは国民全員がB層になり、ユダ金やグローバリズムの餌食になるのが現代世界である。
駄弁はともかく、下の問題提起は非常に面白いと思う。
私はこの問題、特に「技術革新→雇用減少→国民の貧困化」というサイクルをかなり前から指摘していたのだが、それにどう対応するか、ということへの決定的回答は出していない。当座の答えとしては「第一次産業を次世代産業として政府の金や力を投入していく」ということで、これは安倍政権の方針の一つでもあり、これに関しては、私は安倍政権の方針に肯定的だ。ただし、「農業への大企業参入」には「コーポラティズム」拡大という危険性もあり、全面的な賛成をしていいかどうか思案中だ。
とりあえず、今日はテーマだけを掲載し、考察は今後のこととする。
なお、「阿修羅」にはこの問題への(佐藤優ではない人物の)回答付きの転載記事があったが、その回答は私にはやや不満足なものだったので、その部分はカットした。



(以下引用)


【質問】産業革命以後、生産現場のイノベーションが急速に進み、次いで金融工学を駆使した操作で、未来までを担保に経済が肥大化しているのが現代であろうと理解しています。その肥大の多くは実物の裏付けがない先進国の国債という名の借金であれば、次の三点から早晩必ず行き詰まるのが自明であるように思うのですが、どこかに考え違いがあるでしょうか。 
(1)日本を見ても人間の欲望が物質的に無限であるという前提は成り立たないのではないか。物質に飽きるという事があれば、笛吹けど民は踊らず、生産やサービスは縮小を余儀なくされ、未来を担保にしていた金融もまた破綻を余儀なくされるのではないか。 
(2)イノベーションのもたらす経済的インパクトは、今後100年が過去100年ほど大きいものにはならないだろうし、徐々に逓減してくることは、上述(1)の傾向と相まって不可避のように思われる。 
(3)そもそもイノベーションの多くは、生産やサービスから人手を奪う省力化の方向に進むのであるから、それを享受する人口は提供に従事する人口よりも多くなる方向に進む。世界人口が増える中で生産やサービスに従事する必要のない「持たざる純粋消費層」の社会的位置付けができないのではないか。 
言ってみれば為替も株も、「胴元がすでに破産しているのはわかっているが、すでにお金を賭けているし、止めても他にする事がないから、とりあえず、それは言わないことにして続けようよ。」という各国の合意の中で成り立っているようなものではないですか。
独占資本主義もここに極まりつつあるという事とは違うのでしょうか。




拍手

PR

コメント

コメントを書く