なお、私も「丸山真男」は好きな思想家で、政治学者というよりは「政治思想家」と言うべき存在であり、敗戦後の日本の民主主義の旗手、つまり日本人の政治的教養を数段階上げた功労者だったと思っている。
その丸山真男を排斥したのが全学連の馬鹿たちだった。その学生運動の馬鹿騒ぎ後、日本人の政治嫌悪と政治への無関心が現在まで至っている。ちなみに、学生運動に日本の大物資本家がカネを援助していたことを、たいていの人は知らないと思う。そして、その援助は「日本人を政治的白痴にする」という、資本家と政治家にとって大きな利益を生んだのである。
(以下引用)
ウェーバー的に言えば、ハリスは政治家としての「天職」に不適格な個性であり、指導者としてのカリスマ的資質を欠如させた人物だ。その不具合については、民主党指導部も不安を持っていただろう。その欠陥の事実は、副大統領の在任期間中に十分証明されており、3年半の間、ハリスが副大統領として活躍する場面と実績はなかった。ハリスは「お飾り人形」であり、バイデン政権で”多様性”の意義を象徴してアピールする広告塔の存在だった。本来ならもっと優秀で能弁な、いかにも民主党が選抜した俊英だと人々が納得する、「天職」的指導者の類型を副大統領に据え、高齢のバイデンの後継者に、あるいは病魔進行中のバイデンの非常時に備えるべきだっただろう。だが、4年前の民主党は多様性のイデオロギーを選別評価の基準とし、女性・黒人・アジア系の属性要素を優先させてハリスをポジションに抜擢した。ウェーバー的基準を押しのけて、誤った人選を決定してしまった。その戦略判断が裏目に出たのが今回の選挙結果に他ならない。
ハリスの資質貧弱と、それをもたらした過度の多様性主義への依拠の問題が、中林美恵子らから指摘されている。私は(客観的には左派の範疇に属するけれど)、その見方に静かに同調する立場である。ポリティカル・コレクトネスとか、アイデンティティ・ポリティックスとか、文化左翼の概念で括られる脱構築の政治思想と政治運動に対して、ずっと懐疑的で異議的な意見を保持し、しばき隊との厄介な闘争も含めて、その位置と観点からの言論姿勢を崩さなかった。つまり、文化左翼とか文化右翼 - そんな言葉があるかどうか知らないが ー を分類する座標系では、中立あるいは保守の側に立っていると自覚する場合が多い。具体的に言えば、ジェンダー・マイノリティ・LGBTの政治的争点に対して、相対的にニュートラルあるいはコンサバティブな認識であり、慎重派であり、その争点をラディカルに切り出され押しつけられる進行に賛同できない者だ。傍目には、新時代について行けない古い老人かもしれないが、その偏見と断定で結構である。
ポリティカル・コレクトネス、あるいはアイデンティティ・ポリティックスの脱構築の政治思想は、私の視角からは、少なくとも日本では「つぎつぎとなりゆくいきほひ」であり、21世紀の流行思想(輸入ファッション)に過ぎず、したがって丸山政治学の方法によって相対化され裁断される一対象に他ならない。22世紀以降も続く人類史の普遍的思想とは認められず、日本国憲法に「ジェンダー」の片仮名が明記される事態はないと思う。世界の人々は、いずれこの思想現象が一過性のムーブメントだったと悟る地平に至り、いま全盛を極めているリベラリズムが止揚された新しい時代に生きていると展望する。リベラルの契機はソシアルの契機によって中和され、個と全体がバランスよく調和される。資本主義・利己主義を規制するソシアリズムの理念が基軸となり、それぞれの国で伝統思想が見直され、個人中心ではなく共同体中心のマイルドな原理方向に移行し収斂して行くだろう。
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