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徽宗皇帝のブログ

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女性の売春と結婚制度
私がむしろ興味を持つのは、長年続いてきたテレビ局や芸能界の「売春強制文化」がなぜ突然公表され問題視されるようになったのか、ということだ。それと矛盾する話だが、フェミニストを中心に「売春は普通のビジネスである」という意見が目立って流されている。テレビドラマでも、その手の「急進派フェミニスト」的思想の作品がかなり増えている。つまり、女性の「主体的売春」は善、「客体としての売春」は悪、となっているようだ。
まあ、思想的にはこれ(女性を物として扱うことへの批判)は間違った思想だとは言えないだろうが、問題は、こうした「主体的売春」肯定思想が一般化すると、結婚する男はゼロになるのではないか、ということだ。女性の「主体的売春」を認めるなら、結婚後も夫以外の相手との性交も容易だろう。つまり、結婚の意義は男にはなくなる、ということだ。原始時代に戻るだけだから「それで問題ナシ!」とする男がどれくらいいるだろうか。ちなみに、法律条文があるかどうかは知らないが、法的にも(裁判慣例かもしれないが)結婚には「守操義務」があるらしい。男でも女でも、それに反すれば離婚されても当然ということだ。

さて、結婚する男がゼロになったら、これはすべての女性が男とまったく同じ立場でこの競争社会で生きるしかなくなるということだ。つまり「結婚という選択肢」がなくなるのだが、それははたして物質的精神的に豊かな人生になるだろうか。男にとっても、「生涯の伴侶」のいない人生、子供を持つという経験の無い人生だけになるわけだが、まあ、それはどうでもいいか。

かくして世界の人口はどんどん減少し、DSの望みどおり、世界人口は5億人くらいになるわけだ。


(以下引用)

フジテレビ〝CM差し止めドミノ〟で最大危機! 転職活動始めた若手局員も

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/27971547/
<転載開始>




激震のフジテレビ(顔写真は港浩一社長)

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「とんでもないことになった…」


 そうこぼすのは現役フジテレビ局員だ。スポンサー企業から次々と「NO」を突きつけられているのだ。


 18日にわかっただけでも、トヨタ自動車、日本生命保険、明治安田生命保険、アフラック生命保険などが同社に提供するCMの放送差し止めを決めた。これらのCMは公益社団法人ACジャパンのものに差し替わる。


 背景にあるのは、タレント中居正広の女性トラブルに端を発した一連の騒動だ。一昨年6月、中居はX子さんとの間に深刻なトラブルを抱え、代理人を通じて解決金を支払ったとされる。これが明るみに出ると、CM2本、テレビ・ラジオのレギュラー6番組が差し替え、放送休止、出演シーンの全面カットを余儀なくされた。

 これだけでは終わらない。フジが長年、女性局員をタレントに〝献上〟していたという疑惑が浮上。アテンダーとして、フジの編成幹部A氏の存在が伝えられている。16日発売の文春では、フジの女性アナが仮名で「私もAさんに〝献上〟されました」と衝撃告白している。




 拡大する騒動にフジ港浩一社長は17日に記者会見を実施。中居とX子さんのトラブルにA氏の関与はないとする一方で、〝上納文化〟については「週刊誌報道にあるような性的接待があるとかそういったことは全くないと私は信じております」とし、外部弁護士らによる「調査委員会に委ねている」と述べるにとどめた。


 代理店関係者は「クライアントはすでに広告費を局側に支払っているため、CM放送差し止めは損失だ。それでも取り止めを選択するのだから、ガバナンス欠如のフジに対し明確に『NO』を突きつけているのと同じ。今後、生命保険各社と近い銀行業や、イメージを重視する製薬業界なども追随する可能性がある」と語る。


 一連の問題に怒りを覚えた視聴者がCM企業に「なぜ流すのか!」と抗議することも想定される。


 冒頭のフジ局員は「1か月足らずで会社を取り巻く環境が激変した。局員の表情は暗く、転職活動を開始した若手もいる」と話す。


 開局以来、最大の危機にひんしている。



<転載終了> 

(引用2)「世に倦む日々」から転載。

NHK大河ドラマ『べらぼう』と売春防止法 - 風紀紊乱の助長と社会的悪影響

世に倦む日日
2025年1月7日 15:18

今年のNHK大河ドラマ『べらぼう』は、江戸中期の版元として活躍した蔦屋重三郎の生涯を描く物語で、その初回が1月5日に放送された。葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽、山東京伝など、今や世界的人気を博している天才芸術家を次々発掘し、世に送り出し、江戸文化を華麗に花開かせた文化的英雄として蔦屋重三郎を位置づけ、その偉業を視聴者国民に紹介するドラマとなっている。脚本は森下佳子だが原作者はいない。放送開始と合わせたタイミングで田中優子著の『蔦屋重三郎 ー 江戸を編集した男』が刊行されていて、番組のガイドブックとなり、バックボーンとなる役割を果たしている。ちょうど昨年(2024)、『光る君へ』放映に合わせて木村朗子が文春新書から『紫式部と男たち』を出し、番組を宣伝するNHKの特集番組に出演していたが、そのエンドースメントと権威づけの方式と全く同じだ。田中優子がこのドラマの事実上のプロデューサーだと考えられる。




ドラマの主舞台は幕府公認の遊郭だった吉原で、吉原という小宇宙がリアルにかつ詳細に描かれる設定と構成となっている。3000人の女郎が暮らし、1万人が定住したところの、特殊な近世売春街の閉鎖空間で物語が進行していて、番組は吉原のガイダンスとプレゼンテーションとなっている。初回はまさしくその内容で埋められていた。吉原がこれだけ本格的にテレビで紹介されるのは初の企画であり機会だろう。言うまでもなく、テレビは社会の教育機関として機能する媒体であり、特に公共放送はその性格を強く持つ。その意味で、『べらぼう』はある種の”文化革命”の意味を持つに違いない。30年前の日本ならこの企画は実現しなかっただろうし、PTA全国協議会がNHKに抗議し、社会問題となり、世論の非難を受けてお蔵入りになったはずだ。なぜなら、売春の意味が肯定化され、容認され、売春街の存在が社会的に公認される趣向でドラマが制作されているからである。


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