忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ 徽宗皇帝のブログ

RSS TWITTER RssTwitter

神はこの世に関与せず



すでにあちらこちらで取り上げられているから、お読みになった人も多いと思うが、京大の小出浩章氏の国会証言である。長いので、その一部だけを転載する。書き起こしは「株式日記と経済展望」のTORAさんである。

長い間冷や飯を食わされながら原発推進派と戦ってきた小出氏や広瀬隆氏のような人もいれば、原発を町や県に誘致し、自分たちに金が入るなら50年後100年後に奇形の子供が生まれてもかまわないとうそぶく金の亡者も無数にいる。そして、原発マネーのおこぼれにあずかろうと蠢く多くの庶民たち。
おそらく、原発立地地帯にも反原発思想の人間はいただろうが、そういう人たちがどのような目に合わされたか想像できる。ところが、「天罰」は原発推進派にも原発反対派にも無差別に襲いかかるのである。それでよく神などを信じることができる人間がいるものである。
また、これほどの惨事を目の前にし、自分の親兄弟がいわば政治によって殺されながら、何一つ抗議の声を上げない人々が無数にいる。抗議をすれば、逆に弾圧を受け、自分ばかりでなく家族が悲惨な目に合うことが分かっているからである。日本は、いわば精神的な牢獄なのである。
今は、原発事故というれっきとした証拠があるから反原発の声を上げることも許容されている。だが、時間がたてば、その声も次第に押しつぶされていくだろう。
それとも、宗主国のお達しで日本も自然エネルギーへの転換が許されるだろうか? しかし、それでも反原発活動家やその縁者の味わってきた苦難の代償が得られることはない。その一方、原発で利益を得た連中の懐が少しでも痛むこともないだろう。それが我が日本である。いや、この世である。

(以下引用)


石油の現在の確認埋蔵量だけで言っても、数字で書くとこんな事になりますが、60年、70年はあるし、究極埋蔵量がすべて使えるとすると800年近くあるというほど石炭はたくさんあることがわかっています。

その次に天然ガスもあることがわかっている、石油もある。
そしてオイルシェール・タールサンドといっている現在あまり使っていない資源があるということがすでにわかっているわけです。

そして、私自身はこういう化石燃料というものがいずれ枯渇してしまうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源のウランは実はこれしかないのです。
石油に比べても数分の1、石炭に比べれば数十分の1しかないという、大変貧弱な資源であったわけです。

ただ、私がこれを言うと、原子力を進めてきた行政サイドの方々はそれはちょっと違うんだ。と。そこに書いたのは核分裂性のウランの資源量だけを書いただろう。実は自分達が原子力で使おうと思っているのは、核分裂性のウランではなくてプルトニウムなんだと。いうわけです。つまり非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うからエネルギーとして意味があることだということを言っているわけです。

どういうことかというとこういうことです。
まず、ウランを掘ってくるという事はどんな意味としても必要です。
それを濃縮とか加工という作業を行って原子力発電所で燃やすと。
これが現在やっていることなわけです。

しかし、これを幾らやったたところで、いま聞いていただいたように原子力はエネルギー資源にはならないのです。
そこで原子力を推進している人たちはこんな事ではないと言っているわけですね。

ウランはもちろん掘ってくるわけですけどあるところからプルトニウムというものにして高速増殖炉という特殊な原子炉をつくってプルトニウムをどんどん増殖させていくと。
それを再処理とかしながらぐるぐる核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだ言ったわけですね。
で、最後は高レベル放射線廃棄物という大変厄介なごみがでてきますので、それをいつか処分しなければいけないという仕事を描いたわけです。
ただ、プルトニウムという物質は地球上に一滴もないので、仕方ないので現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すというこういう構想を練ったわけです。

しかし、その構想の一番中心が高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉は実はできないのです。

日本の高速増殖炉計画がどのように計画されて破綻して言ったかということを今からこの図に示そうと思います。

横軸は1960から2010まで書いてありますが西暦です。
え、何をこれから書くかというと、原子力開発利用長期計画というものが出来た年度を横軸にしようと思います。縦軸のほうは1980から2060まで数字が書いてありますが、これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかという風に考えたかというその見通しの年度を書きます。

原子力開発利用長期計画で一番最初に高速増殖炉に触れられたのは、第三回の長期計画。1968年でした。その時の長期計画では、高速増殖炉は1980年代の前半に実用化すると書いてある。

ところが、しばらくしましたら、それは難しいという事になりまして、次の原子力開発利用長期計画では1990年前後にならないと実用化できないと書き換えました。

それもまたできなくて5年経って改定された時には高速増殖炉は2000年前後に実用化すると書き換えたわけです。

ところがこれも出来ませんでした。
次の改定では2010年に実用化すると書きました。
これも出来ませんでした。
次は2020年代にもう実用化ではありません。技術体系を確立したいという目標に変わりました。
ところがこれも出来ませんでした。

次には2030年に技術体系を確立したいということになり、では次の長期計画でどうなったかといいますと、2000年に長期計画の改訂があったのですが、とうとうこのときには年度を示す事も出来なくなりました。

私はしかたなくここにバッテンをつけました。

そしてまた5年後に長期計画が改定されまして、今度は原子力政策大綱というような名前に改定されましたが、その改定では2050年に1機目の高速増殖炉をとにかく造りたいという計画になってきたわけです。

みなさんこの図をどのようにご覧になるのでしょうか。

私はここに一本の線を引きました。

どんどんどんどん目標が逃げていく事がわかっていただけると思います。

この図は縦軸も横軸も1マスが10年で、この線は何を示しているかというと10年経つと目標が20年先に逃げる。ということです。

10年経って目標が10年先に逃げたら絶対にたどり着けません。
それ以上に酷くて10年たつと20年先に目標が逃げていくわけですから永遠にこんなものにはたどり着けないという事をわからなければいけないと私は思います。

ところが、こういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるいはそれを支えてきた行政は一切責任を取らないという事で今日まで来ているわけです。

日本はもんじゅという高速増殖炉という原型炉だけでもすでに一兆円以上の金を捨ててしまいました。現在の裁判制度で言うと1億円の詐欺をすると1年実刑になるそうです。

では一兆円の詐欺をしたら何年実刑をくらわなければいけないか。一万年です。
原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省等々行政に関わった人の中でもんじゅに責任ある人が何人いるのか私は良く知りません。

でも仮に100人だとすれば一人ひとり100人実刑を処さなければいけないというそれほどの事をやってきて、結局だれも未だに何の責任も取らないままいるというそういうことになっているのです。

原子力の場というのは大変異常な世界だと私には思えます。

次はいま現在進行中の福島の事故の事を一言申し上げます。
みなさんはご存知だと思いますけれど、原子力発電というのは大変膨大な放射能を取り扱うというそういう技術です。

いまここに真っ白なスライドがありますが、左の下のほうに今私は小さい四角を書きました。これは何かといいますと広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。800グラムです。みなさんどなたでも手で持てる、それくらいのウランが燃えて広島の町が壊滅したわけです。

では原子力発電の電気も原子力発電所から来ているわけですけれどこれをやるために一体どのくらいのウランを燃やすかというと、一つの原子力発電所が1年動くたびに1トンのウランを燃やすと、それほどの事をやっているわけです。

つまりそれだけの核分裂生成物という放射性物質を作り出しながらやっているということになります。

原発は機械です。機械が時々故障を起こしたり、事故を起こしたりするのは当たり前の事です。

原発を動かしているのは人間です。人間は神ではありません。時には誤りも犯します。当たり前のことなわけです。

私達がどんなに事故が起こって欲しくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に持っています。いつか起きるかもしれない。という事になっているわけです。

そこでじゃ、原子力推進する人たちがどういう対策を取ったかというと、破局的事故はめったに起きない。そんなものを想定する事を想定する事はおかしい。想定不適当という烙印を押して無視してしまうという事にしたわけです。

どうやって、破局的事故が起きないかというと、これは中部電力のホームページから取ってきた説明文ですけれど、たくさんの壁があると、放射能を外部に漏らさないための壁があるといっているのですが、このうちで特に重要なのは第四の壁というところに書いている原子炉格納容器という入れ物です。

巨大な鋼鉄製の容器ですけれど、これが何時いかなる時でも放射能を閉じ込めるというそういう考え方にしたわけです。原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大事項仮想事故というかなり厳しい事故を考えていると彼らは言うわけですけれど、そういう事故では格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は絶対に壊れないとそういう仮定になってしまっているのです。

絶対に壊れないなら放射能は出るはずはないということになってしまいますので、原子力発電所はいついかなる時でも安全だと。放射能の漏れてくるような事故を考えるのは想定不適当。想定不適当事故という烙印を押して無視する事にしたわけです。

ところが破局的事故が起きて現在進行中です。

拍手

PR

政治についてのあれこれ

沖縄県民としては、少し前の「普天間基地嘉手納統合案」についての考えも書くべきだろうが、いっこうに話題にもならずに終わってしまいそうなので、あまり書く気が起こらない。
案としては悪くないと思う。嘉手納自治体からは当然反対が起こるだろうが、今ある基地に隊員や飛行機などが移動するだけでどれほどの危険性が増すのか、よく分からない。べつに、飛行機の発着間隔が縮まるわけでもないだろうから、現状とそれほど変わらないのではないか? それなら、二つある基地のうちの一つを返還してもらうほうが、大きなメリットではないか。
まあ、私のように軍事知識に無知な人間が詳しい分析ができるわけもないので、この話はここまでにする。
下に引用するのは「阿修羅」に引用された『田中良紹の国会探検』とかいう文章の一部の孫引きだ。省略した前半は、菅総理の浜岡原発停止命令は、実は「原発は継続します」という意志の表明だのに、国民やマスコミは騙されている、という内容である。まあ、言われてみれば、「安全のための工事をする間停止する」ということは、「その後、再開する」という宣言であり、原発行政はこのまま継続するということを宣言しているのに等しい。
原発問題に関しては、本当は、国内の原発をすべて停止し、廃炉にするか、原発路線を継続するかの二者択一しかない。そして政府と産業界は後者を断然主張しているわけである。
私の予測では、今は潜伏してニヤニヤ笑いながら状況を眺めている前原あたりが「反原発」を主張して次期総理に名乗りを上げるという気がする。そして、今度はマスコミがいっせいに彼を褒めたたえて、めでたく「日本のヒトラー」誕生となるわけだ。案外と、橋下大阪府知事との連合も考えているのではないか? 石原、東国原という異常性格者変質者をそろえた基地外内閣というのも考えられる。まあ、日本国民がそれでよいというのなら、仕方のないことだ。
マスコミを支配すれば、国民を支配するのは容易なことなのだから。


(以下引用)


日本が原発を54基持っているという事は、54個の核爆弾を持っているに等しい。つまり核戦争に備える思考と準備が必要なのである。敵は自然の猛威かもしれないし、テロ攻撃かもしれない。日本にミサイルで原爆を投下しなくとも、テロリストは小型スーツケースの原爆を都心で爆発させる事も出来るし、また海岸に建てられた原子力発電所を襲えば原爆投下と同様の効果が得られる。

 ところがそうした備えがない事を今回の事故は示してくれた。警視庁の放水車や消防庁の放水車が出動するのを見て私は不思議でならなかった。核戦争に備えた自衛隊の部隊はいないのかと思った。こんな事では政治は国民も国土も守る事が出来ない。いちいちアメリカを頼らなければならなくなる。

 考えてみれば日本のエネルギー自給率は4%に過ぎず、すべてはアメリカ頼みである。かつては国内の石炭に頼っていたのを1960年代に政府は無理矢理石炭産業を潰し、アメリカの石油メジャーが牛耳る中東の石油に切り替えた。ところが遠い中東の石油に頼りすぎる危険性が指摘されると、これもアメリカの主導で原子力発電を導入した。発電用濃縮ウランの大半はアメリカから輸入されている。

 普天間やTPP問題で分かるようにアメリカの足の裏を舐めないと存続できない菅政権は、原発見直しのフリは出来ても「転換」は簡単には出来ないのである。

拍手

絶望と希望と夢

山科恭介氏のブログより転載。前半部は省略。
こういうように一部だけ引用されるというのは、引用される側には迷惑な部分もあるだろうが、前半部に書いてある内容「インターネットでの発言は無力である」には私は反対意見なので、引用しない。もう趣旨だけの引用はしたが。
引用部分については、私も山科氏と認識を共有している。今の日本はまさしくこういう国である。だが、権謀術数に勝れた人格低劣な人間ほど上に行く、というのは必ずしも日本の特性ではなく、組織というものは「冷酷非情な部分を持った人間でないと上には立てない」ものなのである。ただ、「公徳心がまったく欠如した冷酷非情なだけの人間」が上に立つのが問題なのだ。そして東電や現政府のように、そういうことはしばしば起こる。それは、「悪人は何でもできるが、善人にはできないことがある」結果、権力闘争では常に悪人が勝つからだ。それはこの世の基本原理だ。だが、権力もまた道義の前に敗れ去ることもある。

私は山科氏のブログのファンであるが、氏の「絶望」には共感しない。毎度言うが、「絶望の虚妄なること、希望と相同じい」(魯迅)が私のモットーの一つなのである。つまり、絶望も希望も、どちらもただの幻想だ。現実になるまではすべて幻想にすぎない。ならば、有益な幻想である希望を虚無的幻想である絶望よりも選ぶということでいいではないか。

私は「夢」に関してはいつも憎まれ口を叩いている。「夢は必ず実現する」などというJポップスのフレーズには吐き気がすると。あんなのは「夢商売人」のセールストークだと。しかし、岸田秀ではないが、我々の文明自体が「幻想」を土台にしているとも思っている。国家という幻想を信じるから我々は税金を払い、民主主義という幻想を信じているから選挙の投票に行くのである。そして、その幻想の一部は確かに実現されていく。それを100%であってほしいと無理な夢を持つから絶望するのである。

「夢は必ず実現するということは絶対にありえない」
しかし、
「夢を持つことによって人間は生きる力を得る」
ことも確かだろう。

夢とは、「一見実現不可能な計画」のことだ。したがって、子供が「私は将来お菓子屋さんになりたい」というのは夢でも何でもない。「それは君の人生計画だ。でも、そのために何をやるかが分かっていないと、ただの夢で終わるよ」ということである。
日本が良い国になるためにどうすればいいかについて、私にはプランがある。したがって、それは夢ではなく、ただ周囲に理解されない計画にすぎない。10年後、あるいは100年後にそれを実現してくれる人が出てくるかもしれない。それが私の希望することだ。


(以下引用)


福島周辺農民および漁民達の放射能汚染された食材の出荷要請、生食用でない食材の生食への提供、汚染されたセメント材料が日本中に出荷されていたという事実、政府自治体の隠蔽体質とそれを助長し擁護するマスメディアの姿勢、そして、それらを鵜呑みにする多くの国民。
生活住民と政府自治体とのせめぎ合いや、食品を管理する団体と業者間との裏取引、自分達の生活さえ守られれば、遠くの日本人など、どうなっても知らないという感覚・・・、
こういった事例に接すると、もはや日本人の矜持など何処にもないのだと考えざるを得ない。
かつて、日本の農民達が自分達が精魂込めて作った作物を出荷し、美味しい物を食べて欲しいと願った 「農民の気概」 など、すでに過去の遺物だ。
みんなが皆、自分達さえよければそれで良いという感覚は、そのうち、国家という共同体を滅ぼすだろう。

企業体で低い地位で働いている人のうち、そういったものを持っている人は出世できず、日本は中国とはまるで違ったピラミッド構造を為している。
日本という国家は、上に行けば行くほど、保身に凝り固まったアホやタコが多いのだ。
そして、その頂点が今の内閣総理大臣である。
これは、日本という国家が重大な欠陥を抱えているという証拠だ。

多くの人々は日々、生活を確保するために働き、時間に追われ、人間としての思考を奪い取られている。時間があり、かつ心にゆとりがあれば他愛もなく判る事も、こういった状況の中では、容易に考える事も出来ない。
緊急時には人間はパニックになるが、日本の普段の状況は緩やかな緊急時状態を演出しているように思える。
カネの再分配が不適当に行われ、その絶対量が少なく、働いても働いても取得する金銭は少なく、いつまで経っても生活は楽にはならない。
すべての神経はそちらに費やされてしまう。
日本人の民度が低く、約九割の人間が政治や経済や思想哲学などを考えもしないのは、
なにも、日本人の特質だけの問題ではないだろう。

しかしながら、国家存亡に瀕し、
日本という国家を動かしてきた本当の勢力・・・・、
天皇を仰ぎ見た閨閥・財閥の時代が、国家の解体と同時に事実上の終焉を迎える。

そして、
事態は、さらに悪くなる。

では、何を為すべきなのか?

拍手

IT技術の功罪

インターネットというものは、居ながらにして情報が即座に得られる、まさに画期的な発明であった。
私は、IT技術それ自体は何も生産しないのだから、経済的な意味では「IT革命」などというものは虚妄だと思っていたが、情報革命・知識革命が起きたようだ。
もちろん、IT技術でコストダウンはできるのだから、そういう意味での経済的意味はある。だが、それは同時に無数の失業者を生み出す経済革命なのである。個々の経営者の利益を増すことが社会全体の不利益につながるという、まさに「合成の誤謬」がIT革命であった。社会の中間層が消え、富裕層と貧困層に二極分化したというのも、IT革命によるものだ。かつて機械の出現で手仕事をやる労働者が駆逐されたのと同じことで、IT技術によって管理業務の多くが不要になり、中間管理職がいらなくなったということだ。
分かりやすく言えば、中間管理職の仕事とは実は伝達である。トップと現場をつなぐ働きだ。ならば、それこそ情報機器の仕事そのものであり、機械が現場情報をより正確に集計して上にあげ、上からの意思を正確に現場に伝えられるようになれば、中間の人間はいらないわけである。
現場労働はマニュアル化して派遣労働者にすれば、いっそうコストは削減できる。
かくして、経営者はいっそう会社のコストダウンをして裕福になり、労働者の大半は派遣労働者となって貧困化する。
これが現在の日本であり、現在の世界である。
コストカッターが雇われ社長になるという傾向も1980年ごろから顕著になってきたものだ。東電の清水社長は雇われ社長ではないが、コストカッターとして有名である。コストカットとは、たいていは人件費削減であり、労働強化によって労働者の生活を悪化させるものだ。

とりとめもないことを書いてきたが、今日は、本当はインターネットがあればいくらでも自己教育ができるということを書くつもりだった。ただし、その自己教育は主に「社会科」であり、世界についての情報を得ることである。

拍手

日本の今後10年

これからの日本を考える上でのヒントになりそうな記事を当面は集めていこうと思っているので、予定を変えて、先ほどみつけたダイヤモンド・オンラインの中のインタビュー記事を転載しておく。神田何とかいうマーケッター(って、何をする人間かはよく知らないが)の発言の中に参考になりそうな部分があるのでその部分だけ保存する。インタビュー後半部分はあまり参考にはならないようだ。
引用部分を一言で言えば、「自分の人生にとって何が一番大事か」というコンセプトでこれからの人間は生きていくだろうし、その社会的価値観に合わない企業は淘汰されていくということかと思う。つまり、「贅沢のための商売」や「虚業」は衰退し、「生きるために必要な物」が重視されることになる。これまでのように「何も生み出さない人間ほど大金をかせぐ」というのは日本では通用しなくなる。(そうなると一番先に淘汰されるのはビジネスコンサルタントやマーケットプランナーの類ではないかという気もする。)
もう一つの指摘は、「反社会的企業」も淘汰されていくということだ。つまり、下請けいじめで巨利を貪り、社員に利益を還元もせず経営者や株主だけで懐を肥やすような企業は、その内情を全国民が知るにつれて「あの会社の製品だけは、どんなに性能が良くても買わない」となってくるだろう。会社収益が海外に持ち去られるような外国人株主の会社も同様だ。(このあたりは私の想像である)
まあ、本物の生活に直結する仕事や道義にかなった会社が重視される社会が来ることは日本の将来にとってはいい事である。


(以下引用)


――価値観が一変すると、社会やビジネスはどう変化しますか?

 1990年のバブル崩壊後の時代が「失われた10年」といわれてきたのに対し、今後の10年は“奇跡の復興の10年”と呼ばれるほどになるだろう。そのインフラが、フェイスブック、ツイッターなどのソーシャルメディアである。今回の震災で、ソーシャルメディアは、電話やメールが不通になるなか、社会の通信インフラとして定着した。このインフラ変更が何を意味するかといえば、大企業に代わって、NPOやソーシャルビジネスが変革を牽引する時代に入るということだ。

 今後3ヵ月間は、必需品以外がなかなか売れず、いわゆる“戦時下経済”に近い状況である。また4月前半には失業問題、新入社員の雇用取消、会社の清算や事業整理を決断する企業も多数現れる。そうしたなかで、稼げる能力のある会社とそうでない会社に明確に分かれていく。稼ぐ力のある会社は、規模の大小を問わず、先頭に立って、日本全体を救っていかなければならない。

 こういう危機的状況下では、多くの会社は、既存のビジネスモデルを手放す大転換が求められる。東北地方からの移転ニーズに応え、賃貸マンションからウィークリーマンションの斡旋。新築よりも中古住宅。エステよりもデトックス。レジャーよりはメンタルケアのためのキャンプ。太陽光+蓄電池による計画停電への対応。海外からの有機食材輸入ルートの確立など、時間勝負で提供しなければならない。そうしたことを次から次へと発想し実行できる主体は、いままで経験を積んだ地元密着のビジネスパーソンしかいないと、私は思う。

 同時に、この難局は多くの会社のビジネスモデルを「フリー経済モデル」に移行させる。自粛ムードで、営業・販促なんてできない。派手な宣伝をやれば、バッシングされる。

 となると企業が顧客にアプローチするには、無料で提供するしかない。つまり「フリー経済モデル」が急速に浸透する。

 すでに赤ちゃんのいる家庭に、安全な水を無料で配っている会社や、被災者に家賃3ヵ月無料のアパートを斡旋する会社が現れ始めている。

 フリー経済モデルとは、全部フリー(無料)にすることではなく、フリーで提供し、顧客リストを集めて、そこから本当に必要な人に対して適切なサービスや商品を販売することによって、利益を全体として成り立たせるというモデルだ。

 もちろん、先の会社の例は、善意からの行動であり、利益目的ではないが、結果として、多くの顧客を魅了していくことになろう。つまり、社会貢献意識に基づく行動が、同時に顧客を集める行動と一致し始めたのである。

拍手

マスコミ利用の大衆操作

「阿修羅」言論人の中で私が高く評価するasy8氏の文章を転載する。
べつに新しい情報は無いが、社会の既得権益層(何かいい名称は無いかと思うのだが、エスタブリッシュメントとか権力層とかよりももっと軽蔑的な言葉が欲しい。「資本主義の豚」などと言うと、昔の左翼みたいだし)の大衆操作の常套手段を明確に説明しているところがいい。
元の文章は改行が無くて読みづらいので、勝手に改行して掲載する。「不安を増微させて」のような明らかな誤文もあるが、改行以外は手を加えていない。


(以下引用)


報道に差がある-c
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/274.html
投稿者 asy8 日時 2011 年 3 月 27 日 00:04:05: 3ati27iqg4fYY


2011年3月26日、福島原発事故について、日本政府及び日本のテレビ、ラジオ等のマスコミ関係各社の事実隠蔽工作が判明した。
電力会社の大規模で徹底した隠蔽工作だけでなく、日本政府当局、NHKを中心とする各テレビ局等も事実報道を一切していない事がわかった。
それは、日本国内のマスコミ報道と、日本以外の海外のマスコミ報道の取り扱いの違いを調べてみれば、歴然としてわかる。日本の電力会社、国や行政機関、NHK当は、専門家の意見としてよく登場させている人物は、すべて中立公正な立場ではない事がわかっている。少なくとも、原発に反対の立場を取っている専門家は絶対に登場させない。すべて原発推進派である。
また、もともと日本国内で設定されていた放射線被爆安全基準を突然に勝手にどんどん変更しており、これに対する明確な説明もない。このもともとの安全基準レベルというのは、国際基準に準じたものであり、勝手に変更してもよいわけがない。
またたびたび登場する「人体に直ちに影響はない」という表現も、すぐには影響はないが、いずれは影響が出ると解釈するべきである。日本政府は、福島原発からの半径20キロ以内に居住する住民に自主的に避難するように勧告を出している。これは避難命令ではなく、直ちに人体に影響は出ないが、念のために自主的に避難してほしいと言う事である。これに対して、海外では、福島原発から半径80キロ以内の人は、即座に避難するようにするべきだとしている。福島原発の放水口付近の海水から安全基準の1250倍以上ものヨウ素131が検出された。当然ながら無責任な原発関係者は海水で薄められるので直ちに人体に影響はないとしている。
要するにこのように電力会社、ゴマすりマスコミ、公務員の意見は、すべて、大気や海水で薄められるので、安全だとするものである。これほどいい加減な主張はない。
放射線被爆の影響は、直ちに出ないことは知られている。以前発生した東海村での臨界被爆事故でも、かなり強力な放射線を浴びていた者でも、即死はしなかった。しばらくの間は、健康上何の影響もないかのように普通に生活していたのである。ところが、結局は死んだ。弱い放射線被爆の場合には、さらに影響が出始めるのは遅くなり、要するに死亡原因の特定が困難である。
原発推進派が主張するように、ガンで死亡する人は、5割以上である。放射線被爆の影響は、DNA遺伝子破壊なので、ガンで死亡する事が多い。すると、放射線被爆が原因であるかどうかは特定できない事になる。しかし、統計的には異常にガンで死亡する人が急増する事になるが、いつものように当局は知らぬふりをするだろう。
原発推進は、日本政府の国家事業なので、公務員も原発は安全であると主張する。腐れ外道のインチキNHKも公正中立な報道はせず、日本政府の強い命令により、風評被害対策として、ことさらに問題なしとする取り扱いをしている。つまり、これは国家ぐるみの隠蔽工作である。恐ろしいまでの報道規制だ。
それは不安を増徴させて、パニックや暴動が発生するのを回避しようという事なのだろう。だが、それは虚偽報道であり、戦時下の虚偽報道と同じである。こういうときには、海外のニュース報道を情報源にするべきだ。こういうときにはどんな国でも、隠蔽工作をするし、虚偽報道をする。
そもそも普通に考えてほしいのだが、原発施設内で、水素爆発が起きて、天井が吹き飛んだり、津波で、海水が入り、電気系統が麻痺して機能不全となれば、それは大事故なのである。それを当初は、事故と表現する事も避け、事象として取り扱おうとしたのが原発推進派である。
原発事故はいじめ事件と非常に似ている。いじめでは、組織幹部は、いじめなどはないとし、それはすべて被害妄想だとする。原発事故でも、事故による影響はないとし、それはすべて風評被害による妄想だとする。こういうやり方が日本の体質なのである。だがそれは外国では通用しない。

もはや今の段階では、津波の被害のニュースも少なくなってきたし、原発事故のニュースもかなり減ってしまった。もはやあたかも何も問題がないかのようである。そして原発安全神話の構築が再び繰り返されるだろう。情報操作が得意な連中の原発安全催眠術が繰り返される。何度も何度も安全ですよ~という虚偽の宣伝が繰り返され、そういうCMだけでなく、国や行政も原発は安全ですよ~というお墨付きを与える。
そして、原発に反対する者は、たとえそれが科学者であろうとも、風評被害を撒き散らす反政府主義者、左翼ゲリラというレッテル貼りをされる。原発に反対する者は、すべて胡散臭い連中であり、社会の敗北者であり、進歩を認めようとしない者、非科学的で、知識が未熟な連中と決め付けられるのである。
だがその一方で、確実に被害は出続ける。それを風評被害とみなすのなら、原発被害は何が起きても一切でないということになり、原発関係者もまったくいかなる責任もなくなり、まさに夢の発電システムだろう。これを無責任発電と呼ぶ。風評被害とは、原発推進派による無責任被害である。  

拍手

これでも「陰謀論」と言うか?

前の記事に関連して、「マスコミに載らない海外記事」から、元CIAの諜報部員だったらしい人物の手記である。この中に出てくるメル・ギブソン(俳優兼監督)は勇敢な硬骨漢であり、かつて世界支配層にとっては非常に都合の悪い真実、つまり「陰謀論こそが真実である」という事実を「陰謀のセオリー」という映画の中でさらけだしている。
下記の記事はCIAの仕事の内容をよく示しているという点で有益であり、また、世界中が「アメリカの嘘」に気づき始めていることをも暗示している。


(以下引用)




2011年3月 1日 (火)

同じ偽装、同じ嘘:30年前、私はラオスでレイ・デービスの仕事をしていた
Robert Anderson


2011年2月28日 "Counterpunch"


レイモンド・アレン・デービスの事件は私にとってなじみ深い話で、アメリカ政府にはこうしたことを止めて欲しいと私は思う。こういう行為はアメリカの信頼性を損なってしまう。


デービスは、パキスタンはイスラマバードのアメリカ大使館の外交官を装って働いていたスパイとして拘留されているアメリカ人だ。何故諸外国がもはやアメリカを信じず、中東至る所で、大魔王に対して人々が蜂起しているのかを読者はお分かりだろう。


ベトナム戦争時、ラオスという国は、今日アフガニスタンに対して、パキスタンが占めているような地政学的な位置にあった。パキスタンにおいてと同様、ラオスでも、アメリカは独立した国民に対し、CIAを使って、秘密軍事作戦を遂行していた。


私はラオスでのCIAエア・アメリカ作戦に従事すべく配属された空軍の破壊技術者だった。我々は軍の身分証明書と制服を返却し、国務省の身分証明書を発行してもらい、ジーンズをはいていた。捕らえられた場合には、もし生き残れたら、外交官特権を主張するよう教えられていた。ラオス、カンボジア、タイやベトナムの全ての国中で、我々は毎日のように軍事任務を遂行していた。


もしも殺害されたり、捕らえられたりした場合には、我々は恐らく捜索されないだろうこと、アメリカにいる家族は、我々は何らかの自動車事故のため、タイで亡くなったのだと言われ、遺体は回収されないだろうことも知っていた。


我々のチームは、国連査察官や国際的なメディアが、いつ到着予定なのか知っていた。我々が飛行場を支配していたのだから。質問をされずに済むよう、我々は隠れ家に姿を隠すのだった。これは、アメリカ大使館の軍と外交官が関与した全て非常に良く練られた60年代の作戦だった。私がいた1968年のテト攻勢の間もこれは長期間続いていた。これは、我々が敗走し、戦争そのものを失敗だったとして放棄せざるをえなくなるまで、長い間続けられた。


アメリカの狙いに対して忠実ではないと判断された人々の組織的暗殺を遂行するラオス・プログラムに私は配属されていた。それはフェニックス・プログラムと呼ばれており、インドシナ半島中で推計60,000人を抹殺した。我々はラオスの民間インフラに驚くべき損害を与えたにもかかわらず、戦争に敗北した。私が訓練していた傭兵のあるチームが、彼等が殺した民間人の死体から切り取った耳を入れた袋を見せてくれたことがえる。これが、彼等が殺人したことを我々に証明する方法だったのだ。当日グリーン・ベレーは、死んだ人々の写真を撮影し、耳だけ取っておけば良いと彼等に言っていた。


メル・ギブソンは、こうしたこと全てについて『エア★アメリカ』という映画を制作した。この映画、背景として、作戦用資金を得るためにCIAが行っていた違法な麻薬作戦も描いている。我々が行っていることに、議会が予算を認可しなかったのだ。私は自分の目で麻薬作戦も見た。これはすべて、アルフレッド・マッコイ著『東南アジアの麻薬政治学』中で詳細に描かれている。オリバー・ノースがそれについて証言したイラン-コントラ聴聞会まで、こうしたこと全てを結びつけることが、私にはできなかった。オリバー・ノースは私が従事すべく配属されたラオス作戦の指導者だったのだ。


アメリカのこうした類の作戦に対する実績は、第二次世界大戦にまでさかのぼる。アメリカは、これを第二次世界大戦時のナチスの戦争から模倣したように思える。アメリカは、これは冷戦に必要だと正当化したのだ。最初の作戦の一つは、イランの油田を乗っ取る為、1953年に民主的に選出されたイラン政権を転覆した、カーミット・ルーズベルトが行ったTPアイアスだった。


あのクーデターでは、ダレス兄弟支配下のCIAと国務省が、これら秘密の、違法で不道徳な行為を最初に完成させた。TP-アイアス作戦こそが、我々が現在も対処を余儀なくされているイスラム教原理主義政治勢力を発動させた出来事だったことを歴史家達は示唆している。


やはり元CIA職員であったチャルマーズ・ジョンソンも、アメリカ国民から真実が隠されている時に起きる、こうしたブローバックについて一連の著作を書いている。


当時アメリカが、我々の問題に対して、違う手法を、つまり、アメリカや他国の国民に嘘をつき、彼等を見境なく殺害することに依存しない手法をとっていれば、アメリカは、海外でいま遭遇している大惨事にはあっていなかっただろう..


ベトナム戦争の時代には、私は若く愚かで、アパラチア出身の無教養な田舎者にとっては一大事である、極秘の国家機密事項取り扱い許可を得ることを切望していた。我々は自分たちのことをジェームズ・ボンドの登場人物のように考えていたが、今の私は多少賢明になっている。こうした類の行為は、重大かつ、はるか後まで及ぶ結果をもたらすものであり、停止されるべきなのだ。


だが、パキスタンでのレイモンド・デービス大失態で、皆が真実と知っていることを世界中の人々に否定する従来のやり方を、アメリカ政府が依然として行っている様が見て取れる。


この公式の偽善は、一体いつになったら終わるのだろう。一体いつになったら、アメリカの政治家達は、これについて口を開き、嘘と策略を続けるのを止めるのだろう? これから更に一体何人のアメリカ国民や他国民が、こうした馬鹿げた計画で死ぬのだろう?


世界中の大半の人々が、中東いたるところで、我々が目撃しているように、今や嘘を見破り、もはや言う通りに首を振ろうとはしないので、デイビスは今まずい状況にある。


“大半”の人々が知っているという言い回しを私がしているのは、軍とCIAを掌握しているはずの、アメリカ国民そのものが、絶えずだまされ続けているからだ。オバマ大統領がデマ宣伝を繰り返しているのを見るのは悲しいことだ。


ロバート・アンダーソンはニューメキシコ州アルバカーキ在住。citizen@comcast.netで彼に連絡がとれる。



記事原文のurl:counterpunch.org/anderson02282011.html

----------

レイモンド・デービスなる人物、アルカイダ?に核物質等?、ぶっそうなものを供与していたという記事もある。永久戦争の仕込み担当者なのだろうか?


都知事選挙、想像通り?都政民営化の推進者や、松下幸之助最大の欠陥製品、松下政経塾出身の知事が立候補した。芸能人も立候補するだろう。彼等の誰かが、めでたく都知事となり、石原知事の生活破壊路線を継承・推進してくれるだろう。


国政でも、小さな政府を主張するミニ小泉のような連中が、新たな党派を作り、それが第三の与党になるという。自民民主につぐ傀儡政党だろう。究極の猫騙し八百長。連立しようがしまいが、国政も都政同様、生活破壊路線を継承・推進してくれるだろう。

財務省・外務省の優秀な親米派高級官僚が描く脚本の通りに。


ひどいこと(売国)をした政治家は、落選させ、そうでない政治家に政治を行わせてみるしかないだろうと素人は思うのだが、決してそういうことにはならない。

大多数の国民の皆様が、ストックホルム症候群なのか、あるいは選挙制度がひどく歪んでいるのか、あるいは、その両方なのだろう。


政治家は選挙で選べる・落とせることになっている(二大やら三大政党は、もちろんどれを選んでも、結局同じことになる仕組みだ)。

しかし高級官僚や企業幹部は、国民も都民も、彼等を落選させることはできない。宗主国の覚えがめでたい高級官僚や大企業幹部や学者が、65年間、続けて事業を運営すれば属国化は簡単に実現する。


「昭和史を動かしたアメリカ情報機関」有馬哲夫著を読むと、そういう工作が実際に行われていた(いる?)のは事実であり、素人の妄想でないのが残念。もちろん、マスコミもその対象。宗主国の工作、パキスタンやラオスだけの話ではない。


大本営新聞の社説、高らかに?小学校英語教育推進をうたっている。

重要なのは、英会話教育だろうか?誰がどこで何に使うのだろう?

こうした異論を解読する方が大切だろうに。役所の方針、会話重視ではあっても、決して読解、作文力重視とは読み取れない。これも属国化推進策。


テレビ番組「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」。マスコミが煽ったのだという。

そのマスコミ、反省ともう全く無縁。いや、第二次大戦時代より、巧妙かつ徹底しているだろう。小選挙区を煽り、二大政党化を推進し、完全アメリカ属国化推進のTPPを煽り、米日本同盟という名での海外派兵を推進している。大日本帝国大本営の広報部が、宗主国および傀儡政権の広報部に変わっただけの話。今も、相変わらず、マスコミが煽っている。


「日本人はなぜ属国深化へと向かっているのか」を見たいもの。もちろん、そういうテーマ、属国化が完成する今後は決して見ることはできない、幻の番組。


マスコミがデマ宣伝を繰り返しているのを見るのは悲しいことだ。


2011年3月 1日 (火) アフガニスタン・パキスタン, アメリカ | 固定リンク

拍手

メモ日記「政治・社会」45

#286 植民地独立とハイパーインフレ

 アフリカのジンバブエで今、ハイパーインフレが起こっているが、その原因を単純化すれば、欧米国家の策謀によるものだろう。ムガビ大統領の独裁と失政が原因であるというのが、例によって欧米に支配されたマスコミその他の論調だが、必ずしもそうではあるまい。そもそも白人の手から政権を奪取したことが「失政」であるという印象を与えるための情報操作なのだから、人々がそういう印象を受けるのは当然である。だが、これは例によって、国際間のマネーゲームの結果生じたインフレなのである。というのは、他国との通貨交換を行う限り、手持ち資金の豊富な側はいくらでも相手との交換レートを変えていくことができる。その結果生じるのがハイパーインフレなのである。すなわち、外国との貿易や通貨交換を停止すれば、いくら商品不足でインフレが進んでも、それは常識的レベルのインフレにとどまる。なぜなら、売る側も、いつかは売らない限り、自らの生活が成り立たないからである。鎖国政策における商品不足は、単なる生産政策の失敗や不運によるものだが、世界貿易時代のインフレは外国との関係で生じるものなのである。ジンバブエで起こったことは、これからも他のアフリカ諸国で起こるだろう。その教訓は何かと言えば、「無能な黒人の手に政治を任すとこうなるのだ」ということを世界に示したい欧米国家と国際金融家たちがその背後にいるということである。 (2009年1月2日)

拍手

メモ日記「政治・社会」44

#285 共和党と民主党

 共和主義とは、君主制に対立する語で、国家元首が直接または間接に選ばれるものだが、共和党は英語のリパブリカンの訳語で、これはもともと南北戦争時の北部同盟、フェデラリストが改名した政党である。フェデラリストとは、南部がアメリカから独立することを許さないという、「国家主義」のことだ。南北戦争とは自由貿易主義者を中心とした北部と、保護貿易主義者を中心とした南部の政治的闘争、およびそこから来る南部独立の動きを封じ込めようとした〈独立弾圧の戦争〉であり、けっして奴隷解放のための戦争ではない。すなわち、イギリスからの独立を果たしたアメリカが、その数十年後に、今度は自らの内部に独立の契機を抱え込み、それを弾圧して、今度は自らがイギリスと同じ立場に立ったのが南北戦争であったわけだ。
 したがって、共和党は北部の利益、すなわち自由主義資本家の利益を守る政党であるが、民主党は南部の利益を守るというよりは、デモクラティック・パーティの名の通り、民主主義の政党である。ということは、資本家の利益を追求すれば、それが民衆の利益を損なうことになるのが、この民主党の誕生自体に示されており、その事実は、現在でも共和党が資本家の利益保護の政党で、民主党が大衆の利益保護の政党であることにも現れている。もちろん、民主党の内部が現在では腐っていることは別の話としてだが。

拍手

メモ日記「政治・社会」43

#282 文化大革命

毛沢東の文化大革命は、現在では単なる権力闘争だったと見られているようだが、本当は彼の「永久革命宣言」だったのだろう。つまり、革命によって旧来の社会体制は崩壊し、新たな社会主義国家としてスタートした中国だったが、やがて革命の指導者の多くは、権力と利権漁りに明け暮れるようになった。その成り行きに業を煮やした毛沢東が、革命はまだ終わっていない! と打ち出したのが文化大革命だったわけだ。その基本理念は、「生産者こそが最高の地位にあるべきだ」ということであり、生産者以外の仕事の人々は批判され、農村に追放された。中には、「ブルジョワ思想」のために悲惨な処罰を受けた人々もいた。
確かに、これは行き過ぎた「革命」であっただろうが、しかし、必ずしも間違っていたとは私は思わない。毛沢東は「精神の革命」を目指したのである。資本主義経済が発展してくると、働かない人間こそが儲ける風潮が出てくる。彼はそれを警戒したのだろう。
文化大革命の過ちは、「狂気の自己増殖」にあった。戦前や戦時中の日本では過度の天皇崇拝が様々な悲劇と喜劇を生んだが、文化大革命も、紅衛兵という愚かな子供たちが革命の中心になったために『蝿の王』的な狂気へとエスカレートしていったのである。
理念が正しくても、方法が間違えば、悲惨な結果を生むということの、これは一例である。

拍手

Clear