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徽宗皇帝のブログ

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「詰め込み教育」は学歴馬鹿を大量に生み出す
「大摩邇」所載の岡氏の記事で、記事前半は省略。私はシュタイナー的な「脳と魂を分ける」考え方があまり好きではなく、魂と言うより、知的判断のセンターと感情のセンターは脳内の別部位(グルジェフは身体の別部位という考えだったが。)か思考の別部門だと考えている。ただし、ここに書かれた内容にはほぼ同感なので転載するのである。
ちなみに、私もDIYが苦手で、無知で不器用なので自動車整備や家の工事は専門家にお任せである。自動車のワイパーの取り換えもできないというか、したことがない。まあ、ユーチューブを見れば自分でもできるだろうが、そうした仕事をして食っている人の仕事まで奪うことはない。それは貧しい人間同士の助け合いだろう。というのは自己弁護か。まあ、それぞれ好きな仕事をやればいい、ということだ。DIYにおける「万能の人」は、それが趣味ならけっこうだが、そういう暇があれば、私は本を読んでいたい。あるいは月や星や雲や木々を眺めていたい。

(以下引用)

詰め込み教育から DIY まで

いわゆる勉強もそうです。


もう 10年くらい前ですが、今のままの詰め込み教育だと日本の学力はさらに下がっていくというような懸念を以下の記事で書きました。現実、日本の大学のレベルは下がりっぱなしです。


シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本。その日本人の生命エネルギーは驚異的なまでに低下しているかもしれない
In Deep 2015年04月16日


そりゃまあ、単に受験対策とか、そういうものに対してなら一時的な詰め込みも有効なのかもしれないですが、勉強とは本来、「自分が生きる方法を探るため」の一生のものです。


私のように若い時に一切勉強しなかったような人間もいますが、私は四十代を超えてから初めて「自発的な興味」が出ることで勉強を始めました。いつかは出るもんです。


とにかく、本人のまったく興味のないところに、いくら詰め込んでも、受験が終われば全部忘れているようなものばかり。


そのあたりは、高学歴の大人にいろいろと質問するとわかります。


多くが、なんにも覚えていないし、なんにも知らない。


 


2020年からのパンデミックとワクチン展開は、「自分の命を救うためのひとつの勉強の発露の機会」でしたが、あんなに大多数が、ワクチン展開に従っていました。しかも、高学歴になればなるほど。


詰め込み学習されればされるほど(あるいは、詰め込み学習を受け入れれば受け入れるほど)イディオットになっていくという現実がよく見える光景でした。


(参考記事)アカデミズムに駆逐される人類社会
In Deep 2024年4月17日


医師という職業は高学歴の象徴のひとつであると思われますが、2回目までの接種率が 99%以上だったというデータもあります。


大阪府の65歳以下の医療従事者のコロナワクチン接種率の推移

donkey1399,大阪府


まあ、このことはともかく、ルドルフ・シュタイナーは 100年以上前の講義で以下のように述べていて、詰め込み教育が広がることに懸念を持っていました。


シュタイナーの 1912年の講義より


大学には多くの学部があり、教授たちが思考と研究以外のことに、一年中かなり駆り立てられています。


学生が試験のために知らなくてはならないことを、二、三週間で習得させます。つまり、最も必要なものを詰め込むのです。


そのような詰め込みが最悪なのです。


小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう


詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。


習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。


その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。


人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。


ここに、


> 心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。


とありますが、本来的に心の底から興味を持てない(あるいは自分の生き方と結びつかない)ものに対して、真剣に学び続けようとする意思が生まれるはずもないはずです。


これは勉強の話でしたが、他のさまざまにおいても、現在の Z世代からスキルが奪われた…まあ、スキルといっても、電球交換くらいの話ですが、そういうことと関係しているのだとも思います。


 


今のデジタル社会は、多くの人が自分で使っている機器について、その「中身」をまったく知りません。スマートフォンを含めて、ほぼ完全なブラックボックスです。


パソコンくらいなら自分で組み立てる若者もたくさんいるでしょうが、他のデジタル機器についてはブラックボックスのままです。


確かに照明ひとつにしても、今の家庭用家電には「スマート」などという冠のつく複雑なものも多く、故障した場合どうしていいのかわからないものもありますが、生活していると、いろいろな小さな不便は出てくるわけで、ある程度は自分で修復できるようにしないと、何しろ、


「今後ずっと今のようなデジタルの便利な時代が未来永劫続くかどうかはわからない」


のですから。裸電球で暮らさなければならない時代にならないとも限らない。裸電球とはいっても、今はほとんど LED 電球ですけれども。


さらには、一から火をおこしたり、食糧を備蓄できるようなスキルが必要となる時代が来ないとも限らないです。


日本の若者が米国ほどスキルを喪失しているとは考えたくはないですが、デジタルと仮想コミュニケーション以外へも若者の人たちが「自発的に」興味を持つような社会にならないと、未来は大変な気がします。

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