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徽宗皇帝のブログ

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これから「高齢者いじめ」社会が到来する
「世に倦む日々」ブログ記事で、選挙結果が出た今だからこそ読む価値の高い記事である。選挙前だと、ここに書かれた内容の恐ろしさがまるで実感できなかった人が多いはずだ。
貴重な記事だが、長くてかなり煩雑なので、大量にカットして載せる。

(以下引用)画像のほとんどは省略するが、冒頭の画像だけは重要なので残す。



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世代間対立を扇動する玉木雄一郎の危険な公約 ー 若者の高齢者への憎悪と抑圧移譲

世に倦む日日
2024年10月24日 17:21

衆院選も大詰め。マスコミの情勢報道を見ると、今回、国民民主党が大きく議席を伸ばすと予想されている。朝日の最新(10/21)の情勢調査では、現有7議席を3倍増させて21議席になると書かれていた。国民民主の選挙での訴えは、課税最低年収(基礎控除+給与所得控除)を引き上げるという税制改正だが、もう一つ注目を浴びたのは、尊厳死を法制化して終末期医療の給付総額を抑え、若者の社会保険料負担を抑制するという「改革」案だ。この選挙公約が発表され、党首討論で表面化した途端、江川紹子らから猛烈な反発が出て、選挙の序盤戦での大きな騒動となった。要するに、終末期医療を受けている高齢者を安楽死させる法制を整備するという意味で、それによって医療費削減を図る社会保障「改革」だ。以前、石原伸晃が軽率に口に出し、猛批判を浴びて撤回した経緯がある。




早い話が、成田悠輔の「高齢者は集団切腹」論の政策化であり、その第一歩として位置づけられる危険な動きだ。ネットでは大きな批判を浴び、玉木雄一郎は姑息な詭弁で逃げているが、党の政策パンフレットには「法整備を含めた終末期医療の見直し」が掲載(P.32)されたまま訂正されていない。マスコミの予想どおり国民民主が選挙で伸びた場合、この公約は国民に支持されたと見做され、公共空間で市民権を得る政治状況になるだろう。現在、自民党は単独過半数を割る公算が高く、自公の過半数維持も微妙だと言われている。場合によっては、玉木国民に連立参加の打診が届く局面も考えられ、そのときは、玉木雄一郎は目玉政策である高齢者安楽死の法制化を自民党に受け入れるよう迫るだろう。無論、維新は全面的に賛成のはずで、総選挙後に与党の政策としてあっさり実現してしまう可能性が小さくない。




玉木国民は、実際にはきわめて過激なネオリベ政党であり、維新と同じかそれ以上に危険な新自由主義の前衛だ。そして、その党の性格を今回の選挙では露骨に強調して立ち回っている。今に始まったことではないが、最近特に高齢者に対する攻撃が政治の世界で顕著になっていて、若者と現役世代を持ち上げる一方で、高齢者を叩いて貶めるキャンペーンがマスコミとネットで氾濫している。竹中平蔵を中心とする新自由主義勢力側が、社会保障削減政策を正当化する目的で、高齢者を無価値化し、社会のお荷物扱いして切り捨てる言論を吐き散らかし、マスコミを含めた日本の支配的世論になっている事実に気づく。「現役世代の負担軽減」を名目に、70歳を過ぎても高齢者に働いて稼ぎ続けることを求め、それを当然視し常識化する空気が支配的になった。収入のない高齢者は病院に行くなというような言説が横溢している。




現在、病院での窓口負担は、70歳から74歳までが2割負担、75歳以上が1割負担となっている。維新はすべて3割負担にする「改革」を政策に掲げ、自公政府も選挙前に「高齢社会対策大綱」を打ち出し、75歳以上の医療費の自己負担を3割にする方針を示している。今回の選挙で躍進が予想される国民民主がこれに乗れば、3割負担が現実のものになる。また、65歳以上の高齢者の年金を減額する「在職老齢年金」制度も実現の進行となるだろう。若いとき、せっせと働いて社会保険料を納めていたときは、こんな日が来るとは夢にも思わず、リタイアしたら悠々自適の老後生活を送れるものと思っていたが、信じられない悪夢の現実世界に変転してしまい、途方に暮れるばかりだ。政府(支配勢力)が無理やり社会保障を削減し、それを正当化するべく、高齢者を社会のコストであると断定し、邪魔な余計者として不当視している。




この空気は30年前の新自由主義の思想的台頭から始まり、小泉竹中の「聖域なき構造改革」で実行に移され、病院のベッド数削減とか、リハビリ入院日数の短縮とか、次々と冷酷な処置が打たれて行き、国民はそれに慣れて行った。現在、国の社会保障費の前年度に対する伸びは、4400億円の規模に抑えられている。思い出していただきたいが、小泉竹中改革の以前、20年以上前は、この自然増が毎年1兆円だった。毎年1兆円ずつ伸ばしながら、当時の水準の年金・介護・医療サービスを賄っていた。そこから、高齢者もずっと増えているのに、自然増が4400億円と半分以下に削減されている。つまり、それだけ給付が減らされ、保険料負担が増やされ、あるいは別の防衛費とかに歳費が回されたという意味だ。20年前と比べて国の予算は4割も増えている。82兆円から112兆円になっている。が、社会保障の伸びは半減以下になっているのだ。




先週(10/20)、尊敬する上皇后陛下が90歳の卒寿を迎えられた。小泉竹中の「聖域なき構造改革」が断行されていた頃、美智子皇后が高齢者を冷遇する社会風潮に懸念を示し、慎重な言葉運びで批判していたことを思い出す。2009年の即位20年のときの記者会見での発言であり、「高齢化が常に『問題』としてのみ取り扱われることは少し残念に思います。本来日本では還暦、古希など、その年ごとにこれを祝い、(略)長寿社会の実現を目指していたはずでした」と言っている。政治への関与を厳禁されている立場でありながら、勇気を出して問題提起をした美智子皇后は立派だと思う。今、その言葉が日本の指導層の中から誰一人として出ない。思い出せば、15年前の当時も、弱者である高齢者を痛めつける新自由主義政策に対して、正面から批判するマスコミの論者や学者はいなかった。だから、私は美智子皇后の言葉が印象的でよく記憶に残っているのである。


(中略)

新自由主義のシステムとイデオロギーが定着した現在、日本の若者たちは高齢世代を敵として意識し、自らを社会的被害者の如く錯覚する病んだ倒錯観念を刷り込まれている。高齢世代に対して、若い世代から税や社会保険を収奪する特権階級のように敵視する観念が植え付けられ、自身の不満な境遇の原因が高齢世代にあるように責任転嫁している。そしてまた、身体的な弱者で現実の労働現場で生産性の劣る高齢者を、社会的に不要で抹殺してもよい無価値な存在として侮蔑している。だから平気で殺害処分に及べるのだろう。玉木雄一郎の主張は、こうした観念を正当化し、彼らに「正義」の根拠を与えるものだ。


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